第27話

第27話

高橋は、咲月の話を聞くために、彼を生徒指導室に招き入れた。つい先週も彼をここに招き入れていたが、その時との状況の大きな違いに、高橋は違和感を拭えなかった。


「大事な話って、何?」


高橋のその質問を合図に、向かいの椅子に腰かけた咲月はゆっくりと語り始めた。


治療のために訪れた病院で友人が出来たこと。彼女のお陰で、過去の出来事の捉え方が変わったこと。彼女は重い病気をわずらっていて、もう長くはないこと。しばらくの間、彼女の側に居たいということ。話がそこまでたどり着けば、高橋にも彼の頼みは容易に想像出来た。


「・・・それで、静恵さんには了解はもらったの?」


「はい。一度学校に顔を出して理由を自分から話すという条件で」


咲月の回答に、高橋はため息を吐きながら背もたれに身を預けた。咲月の真剣な表情に、静かに思考を悩ませる。


咲月の頼みを、断る理由はなかった。自分自身の目的である彼の復学は既に達成されているし、彼もそれを拒否してはいない。しかし、今の時期、二週間の停学ですら高橋自身重く感じているというのに、それ以上授業への出席がとどこおるということは、進学や就職に大きな影響を与えるということに他ならない。それほどに、今の時期は高校生にとって、未来に直結するほど大事な時期なのである。


高橋はまたため息を吐いて、何とかならないものかと考えた。


「・・・雨宮君、この時期がどれだけ大事かは、分かるよね?」


「はい」


咲月の返事は思ったよりしっかりとしていた。覚悟の上だと言わんばかりに。それが高橋の思考を再び悩ませる。彼は進学や就職に多大な影響があることを理解した上で、高橋に懇願こんがんしているのだ。


天秤は、どちらにも振れない。今を選ぶか、未来を見据えるか。


その時、豪快に生徒指導室の扉が開かれた。突然のことに勢いよく振り返った高橋の瞳には、雨宮咲月のクラスメイトである吉田結城と新藤歩が立っていた。


「咲月、来てんだったら一言言えよ」


「・・・あぁ、悪い」


少し不機嫌そうな表情を浮かべる結城と言葉を返す咲月を交互に見ながら、高橋は状況の把握に努めた。何故彼らがここにいるのだろうか。


「吉田君、新藤さん。なんで、ここに?」


「五十嵐先生に聞いた。さっき咲月が来てここに入ったって」


結城は恒例の遠慮ない言葉で高橋の質問に答えると、誰の許可を得ることもなく咲月の隣に腰を下ろした。続いて歩は一度高橋に軽く頭を下げてから、彼女も咲月の隣に腰を下ろす。


二人の態度に眉をひそめたのは高橋ではなく、間に挟まれた咲月だった。彼は二人を交互に見ながら、小さなため息を漏らした。


「・・・何のつもりだよ」


威圧的な咲月の言葉に畏縮いしゅくして口をつぐんだのは歩だけだった。結城は彼の態度を意も介さない素振りで、彼の事を睨み返した。


「お前だけの問題じゃないだろ」


咲月にそう言い放った結城は、高橋の方に真剣な眼差しを向けた。怒ってはいないのだろうがその外見と相貌に、高橋は少しだけ反射的に緊張した。


「先生。勉強の方は俺らで何とかするからさ。咲月の頼み、聞いて欲しいんだ」


その言葉と共に、結城は深々と頭を下げた。その行為には高橋も咲月も目を見開いた。


「ちょ、お前!何して・・・」


「先生。私からもお願いします」


続いて高橋に向かって頭を下げたのは歩だった。高橋はただ呆然と、教え子達のやり取りを眺めていることしか出来なかった。


「・・・お前ら、どうして」


「夏海さんのためだよ。誰よりもお前が側に居た方が、彼女のためになるだろ」


困惑する咲月に結城は頭を下げたまま答えた。咲月は一瞬間を開けてから、二人を交互に見て小さく微笑んだ。


「・・・ありがとう。新藤、結城」


咲月は礼の言葉を述べると、二人に倣うように高橋に真剣な眼差しを向けて、もう一度深々と頭を下げた。


「・・・お願いします」


三人の祈りが、一心に高橋に注がれる。この状況下で、高橋が断れるはずもなかった。


「わ、分かったから。とりあえず三人共、顔を上げて」


慌てたような高橋の言葉に、三人は静かに頭を上げた。


「・・・正直、快く賛同が出来る訳じゃない。それに勉強は何とかなるかもしれないけど、出席日数が足りなければ、どっちにしろ留年になるし・・・」


高橋は一度深呼吸をしてから、思考を回転させて言葉を探した。咲月の言葉を思い出し、どんな語彙ごいがいいかを選定しながら、ゆっくりと口を開く。


「・・・どのぐらい、休むつもりなの?」


高橋の言葉に、空気は一瞬で色を変えた。三人の先ほどまでの真剣な表情は消え、それは見ている側にも痛みを伴わせるような、悲痛な表情へと変えていった。


「・・・そんなに、長くは、ありません」


そう口にしたのは歩だった。彼女の今にも泣き出しそうな表情が、声が、残酷な現実を高橋の脳に植え付ける。その言葉が意味するのは、わずかな生の残り火。


「・・・それは」


「私の、姉なんです。だから・・・」歩は震える声で呟くと、涙で頬を濡らしながら再び頭を下げた。「・・・お願いします」


高橋は言葉を失ったまま、悲しみに暮れる教え子達に視線を注いでいた。かける言葉が、何も思い付かなかった。


咲月の話に現れた人物が、まさか周囲の身内に属しているとは考えてもみなかった。テーブルに落ちて弾けた水滴が、彼女の未曾有みぞうの苦しみを象徴している。


高橋は何も言えず、三人の必死な願いに頷くことしか出来なかった。頭を下げて退室した三人を見送った後も、ただ椅子に身を沈めながら呆けていた。


母親の死。これから訪れる、大切な人の死。何故こんなにも、彼の大切なものが失われていくのか。これが運命と言うのならば、何と残酷なのだろうか。


「・・・どうして、こうなっちゃったんだろ」


高橋は天井を仰ぎながら、先日と同じ言葉を小さく呟いた。今回のことに関して高橋に出来ることは、何一つ、ない。ただ時間の経過を、指をくわえて見守ることだけだった。何かが、自分に出来ないだろうか。何故かそう考えてしまう。それが誰のためか、分からなくても。


「入りますよ」


ノックの音と共に、静かに扉が開かれた。顔を覗かせたのは五十嵐で、廊下の奥に遠ざかる三人の背中を一瞥してから、部屋に向かって高橋の向かいに腰を下ろした。状況は違えど度重なる記憶に、高橋は既視感を覚える。


「あ、五十嵐先生。待たせてすいません。・・・何だか、先週と流れが似ていますね」


高橋の言葉に、五十嵐は微笑みを浮かべた。


「気にしないで下さい。ははっ、これで田中先生が現れたら、文句の付け所がないんですけどね」


そう返した五十嵐は携帯を取り出した。用件は先ほど高橋が頼んだ静恵とのアポの件らしい。高橋は少しだけ姿勢を正して五十嵐に向き直った。


「五十嵐先生、磯先生とも連絡取れますか?」


五十嵐が言葉を発する前に、高橋の質問がそれを制した。彼は言葉を飲み込むように一瞬間を開けてから、携帯を持ったまま首を傾げた。


「・・・もちろん、取れますけど。どうしました?」


「少し、聞きたいことがあるんです」


高橋の懸念は、歩の姉の容態だった。もちろん、磯が知っている可能性は未知数だが、咲月が通っている病院で彼女に接触している以上、ゼロではない。その質問を受け止めた五十嵐は笑みを浮かべて、手に持った携帯を小さく振った。


「じゃあ、丁度良いですね」


「え?」


虚を突かれた表情で言葉を返した高橋を尻目に、五十嵐は立ち上がった。


「静恵とアポは取れました。七時頃なら大丈夫らしいです。ただ、他にも来客があるらしいですよ」


五十嵐の前後の言葉を繋ぎ合わせた高橋はその意味に気付き、慌てて立ち上がった。来客とは間違いなく磯のことだろう。急に動き出した高橋を見た五十嵐は、笑顔でその動きを制した。


「一応、本人にも電話を入れておきますから。慌てなくて大丈夫ですよ。まだ時間は十分ありますし、どこかで軽く食事を済ませてから向かいましょう」


その言葉で、高橋は腕時計に目を落とした。短針は四と五の間を示していて、まだ約束の時間には十分に早いことを気付かされる。一瞬前に椅子から凄い勢いで立ち上がったことが急に恥ずかしくなった高橋は、誤魔化すような笑顔を浮かべて頭を掻いた。


「そ、そうですよね。すいません。そうしましょうか」


高橋は五十嵐と共に、何を食べるかを軽く話し合いながら生徒指導室を後にした。

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