第25話
第25話
「それで?結局どうするの?」
太陽を真上にして、いつものベンチに腰を下ろしていた夏海は、咲月の顔を覗き込みながら問いかけた。自分の中で芽生えた感情に気付いた咲月はどうしても彼女を意識してしまい、視線をわずかに反らして煙草の煙を吐き出した。
「一応、学校は辞めないつもり。まぁ、退学にならなかったらの話だけど」
「だけど、いいの?もちろん私は嬉しいけど、・・・今の時期って結構大事じゃない?」
「勉強なら、結城に教えてもらうから問題ないよ。あいつ、ガラが悪いだけで頭は良いからさ」
咲月の返した言葉に、夏海は意外そうに目を見開いてから小さく吹き出した。結城のあの外見で学年トップクラスとは、誰も気付かないし思わないだろう。不良にしか見えない彼が教師に何も言われず学校生活を送れるのは、そのためなのだ。咲月も夏海につられて小さく笑い出した。
「・・・そんな笑うことか?」
突然の第三者の声に、咲月と夏海は驚きを隠せずに急いで後ろを振り返った。ベンチの少し後方には、
「・・・ビビらせんなよ」
「あれ?二人とも学校は?」
胸を撫で下ろしている咲月の横で、夏海は首を傾げながら二人に問いかけた。咲月もその言葉でようやく気付いて首を傾げる。今はまだ午後二時を回った昼間と呼ばれてもおかしくない時間帯である。学生ならばまだ授業中のはずだ。
「中間テストだから、午前には終わるの」
夏海の言葉に丁寧に返した歩は、ゆっくりと前に回り夏海の隣に腰を落ち着けた。ベンチは三人分ほどしか座るスペースがなく、結城は三人の前で
「あ、・・・そっか。忘れてた」
咲月は空を仰ぎながら、小さく呟いた。クラスで自分が引き起こした騒動から色々あって、学校行事などすっかり忘れていた。
「あ、そう言えば今日、緊急で職員会議が開かれたの。高橋先生の様子からすると、多分雨宮君のことだと思うんだけど・・・。雨宮君、何か知ってる?」
そう問いかけた歩は小さく首を傾げた。結城と歩の視線に、咲月は頭を掻いて思考と言葉を整理し始める。一体どこからどう話せばいいだろうか。
「あー・・・。先生、顔腫れてた?」
咲月の質問に、二人の眉間に同時に皺が寄った。咲月の言葉から不穏な空気を感じ取ったのだろう。歩と結城は変わらず咲月に視線を注ぎながら、次の言葉を待っている。
「・・・話せば、長くなるんだけどさ」
咲月はそう前置きをして、静かに語り始めた。昨日家に帰った後、高橋や五十嵐、夏海の担当医である磯が居間で顔を合わせていたこと。静恵が過去を話したことに気付いたこと。怒りで高橋を殴り、家を飛び出したこと。たどり着いたここで、夏海に過去を打ち明けたこと。二人には話していなかった、十年前の出来事。要領よく説明出来た自信はなかったが、結城と歩は咲月の言葉を一言一句逃さぬよう、静かに耳を傾けていた。
想像通り、二人は沈痛な面持ちで押し黙ってしまった。どんな言葉をかけてもうわべだけのそれに何の意味もないことを理解した上で、沈黙を貫くしかなくなっている。
二人の瞳が映すのは、自分が最も嫌っていたはずの同情や憐れみという色だった。しかし今は、そこまで嫌なものとは感じなかった。捉え方が、変わったのだろうか。
「・・・悪い。聞かない方が、よかったな」
「・・・ごめんなさい」
決まりの悪そうな表情で頭を掻いた結城は、咲月に向かって小さく頭を下げた。続いて歩も、隣の夏海越しに謝罪の言葉を小さく呟く。咲月は二人の態度に小さく首を振って、空を仰ぎながら笑みを浮かべた。
「もう、いいんだ。理解しようとしてくれるかもしれないのに、理解出来ないと決め付けて、逃げていたのは、俺の方だから。まだ完全に整理出来たわけじゃないけどさ。・・・皆に話して、随分スッキリしたよ」
痛みを分かち合う。それは同じ境遇を持った人同士でしかなし得ない。それでも誰かに話すのは、誰かに痛みを知ってもらいたいから。知ってもらうことで、その痛みを知っているのは自分だけではなくなるから。そうやって、和らげるしかないのだから。忘れないために。思い出に、してしまわないために。
「・・・そっか」
咲月の笑顔に、結城もぎこちなくだが笑顔を浮かべた。彼が知っていることで、夏海や歩が知っていることで、自分の痛みは和らいでいる。確かにそう、実感出来る。
「じゃあ、退学じゃなくなったらどうするんだ?学校には来るんだろ?」
結城の質問に、咲月は口を閉ざした。歩はすぐ返答しない咲月に向かって首を傾げる。なんの反応も示していないのは、咲月と歩の間に座る夏海だけだった。しかし彼女もまた、無反応を決め込んで咲月の出方を窺っているように感じられた。
「・・・もし、退学じゃなくなっても、しばらくは、行けない」
「はぁ?・・・何でそうなるわけ?」
「私から言うよ」
眉をしかめて少し荒い声を上げる結城に、言葉を返したのは夏海だった。彼女は一度咲月に視線を向けたあと、笑顔を浮かべて結城の方に向き直る。
「側に居てくれるんだって。私が死ぬまで」
そう夏海が何気無く口にした言葉が、三人の空気を一瞬で張り詰めさせた。たった二文字の言葉が、三人の心に重くのしかかる。誰も口を開かず、夏海はそれを不思議そうに眺めていた。
「・・・?どうしたの?」
「・・・お姉ちゃん。そんなこと、言わないでよ」
夏海の言葉に一番に返したのは歩だった。彼女は今にも泣き出しそうなほど目を潤ませて、姉の夏海をきつく睨んでいる。ようやく自分の言葉が原因だと気付いた夏海は、しかし悪びれた様子もなく笑顔を崩さなかった。
「ふふっ。もう、そんなことで泣かないでよ。ほら」
夏海は隣で涙を流し始める歩を抱き締めて、そっと頭を撫でた。歩は溢れ出した涙が止まらないのか、夏海の胸に顔を埋めて嗚咽を何度も漏らしている。その光景は咲月が今まで見たこともない、姉という夏海の姿だった。
姉の命がもうわずかしかないという現実を、歩はどう受け止めているのだろう。自分が大人へと進むために過ぎていく時間が、同時に姉を失うカウントダウンとして重くのしかかる。その一日一日は、どれほどの苦痛を彼女自身に与えているのだろうか。
そんな二人を眺めながら、咲月は拳を握り締めた。かすかに残る打撲の痛みで意識をクリアにさせ、目の前の光景を必死に瞼に焼き付けた。
誰もが当たり前だと思うこと。友人や家族が隣に居ること。当たり前だからこそ、大事にしていかなければと気付く。その当たり前を守るために、人は当たり前のように日々を過ごしている。だが咲月に、そんな余裕はなかった。結城にも歩にも、もちろん、夏海にも。
守りたいと思った。たとえ夏海の命を守れないとしても、彼女の心だけは守りたいと、咲月は本気で、そう思った。
妹の頭を撫でる夏海の瞳が、一瞬、最期に見た母の瞳に似ている気がした。
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