第18話
第18話
「で?バイト先は決まったのか?」
太陽がかすかに傾き始めた昼下がり。夏海が昼食を終えたのでいつもの広場に向かった香織を除く四人は、ベンチに腰を下ろして再び他愛のない会話を始めていた。そして突然の結城の発言に、六つの視線が一斉に咲月に注がれる。
「・・・いや、まだ探してない」
設置された吸い殻入れに灰を落とした咲月は、難しい表情でそう答えた。明日にでも履歴書を書こうかと、マイペースに考えてみる。
「雨宮君。バイトするの?」
歩は少し心配そうな表情で咲月を窺った。咲月は小さく頷いて立ち上がり、ベンチから少し離れて大きく伸びをした。
「高校中退だと就職は厳しいからさ。とりあえずバイトはして、迷惑かける分、生活費は入れたいんだ」
咲月の言葉に、結城だけが頷いた。夏海は首を傾げ、歩は少し悲しそうな表情を浮かべている。
「退学、決まったの?」
「まだ決まってないよ。でも・・・」
騒動の全容を知らない夏海に返したのは歩だった。彼女は窺うように咲月に視線を送ったが、咲月はその視線を避けるように目を伏せた。彼女の気持ちには、応えられない。
「決まったような、もんだよ」
「・・・話が見えないんだけど、結局どうなってんの?」
夏海の問いに、歩は再び咲月に視線を向けた。特に隠す必要もないと咲月が頷くと、彼女は自分が知っている範囲内で、姉の知る範囲外の状況を補足した。職員会議で決定された異例の処分。その理由について、咲月が退学覚悟で口を開かないこと。昨日の帰り際の咲月との会話。さすがに後半、歩は咲月に気を使って聞こえないように声を落とした。
「・・・良いんじゃない?」
説明を受けた夏海は、驚くほど軽い口調で答えた。歩は眉をしかめ、咲月と結城はただ唖然としている。
「いいって・・・。ちょっと、退学だよ?」
歩の強い口調に、夏海は両手で彼女を制した。歩は不服そうに頬を膨らませたが、夏海が笑顔のまま真剣な眼差しを向けると、歩は表情を引き締めて耳を傾けた。
「言い方が少し悪かったかな。歩が言いたいことも、分かるけどね」夏海は細く煙を吐き出しながら、歩の頭をそっと撫でた。「でも、人に知られたくないことは誰にだってあるよ。歩にだって、私にだって、もちろん、咲月にも。だから、聞いちゃいけないの。話したくないことを聞くということは、相手の心を侵すってこと。分かる?」
「・・・うん」
歩は必死に夏海の言葉を噛み砕き、それが理解出来た上で首を縦に振った。咲月と結城も、諭すように紡がれる夏海の言葉に、静かに耳を澄ませていた。
「どんな理由があったって、話したくないのを聞き出そうとするのは、相手に失礼な行為だと、私は思う。相手を本当に思っているなら、話してくれるまで、待つべきなんじゃないかな?」
「・・・ごめん、なさい」
小さく頷き沈痛な面持ちで頭を下げた歩の頭を、夏海は穏やかに微笑んで再びそっと撫でた。
「私に謝ることじゃないよ?」
夏海の言葉に歩は少しだけ表情を緩ませて、咲月へと向き直り歩を進めた。広場の中央付近で佇んでいる咲月に向かって、彼女は真剣な表情を向けたまま立ち止まる。
「・・・本当に、ごめんなさい。私、雨宮君の気持ち、・・・全然考えてなかった」
歩は唇を歪めながらそう言って深々と頭を下げた。咲月は煙草を吸い殻入れに入れ、彼女に近付いた。歩は頭を上げようとはせず、夏海と結城は咲月がどう出るかを窺っているようだ。かすかに張り詰めた空気が、心を
「・・・新藤」
咲月の呼ぶ声に、歩はゆっくりと顔を上げた。瞳にはうっすらと涙を浮かべていて、窺うように咲月を見上げている。
「その・・・、謝らなきゃいけないのは、俺の方なんだ」
咲月は歩と視線を交わしながら、必死に言葉を探した。思っていることが、どうしても言葉として上手く紡げない。それがひどく、もどかしい。
「・・・新藤が心配してくれているのは、嬉しいんだ。でも・・・、話せないことなんだ。自分のために、話せないんだ」
咲月は落とすように微笑んだ。自分が何を伝えたいのか分からないのに、それを伝えたいと思う自分が、少し
「・・・うん。待つ。話せるまで、待つから」
涙が零れそうな瞳を細めて、歩は笑顔を浮かべた。かすかにでも思いが伝わっているなら、そう思えるなら、今はそれで十分だった。
その時、空耳かと思うような悲鳴が、聞こえた気がした。それにもっとも速く気付いたのは、目の前に居る歩だった。彼女は表情を凍り付かせて、素早く振り返る。
「お姉ちゃん!!!」
その声で弾かれたように咲月は視線を動かした。ベンチに座っている夏海が、腰掛けたまま
「お姉ちゃん!しっかりして!!」
「夏海!おい!!」
ようやく異常を感じ取った咲月は、声をかけながら夏海の前に屈んで顔を覗いた。彼女は浅い呼吸で
「磯先生呼んでくる!」
隣で叫んだ歩はすぐに立ち上がって駆け出した。
「夏海!おい!大丈夫か!」
「・・・大丈夫じゃ、ない、・・・みたい」
切れ切れの息の隙間からそう答えた夏海の笑顔は、痛みのせいで歪んでいた。額にはかすかに脂汗が滲み出ている。咲月はパニックを起こして何も考えられない思考を必死に回転させて、何が出来るかを考えようとした。しかし、気持ちばかりが焦るばかりで、何も思い付けない。
「おい!どうすんだよ!」
意味がないと分かっていても夏海の背中を擦り始めた結城が声を張り上げる。それが余計に、
どうすればいい!?
何が出来る!?
心の中で怒鳴るように咲月は繰り返した。夏海をこのままには、しておけない。
「結城!ドア開けろ!」
考え付くと同時に、咲月は返すように結城に声を張り上げた。その言葉で弾かれたように彼は駆け出し、咲月は夏海の側に屈んで膝の裏と背中に手を添えた。
「夏海!上げるぞ!」
咲月は夏海の返事を待たずに力を込めた。彼女の体は、想像以上に、軽かった。
歩が戻るまで待ってなどいられない。咲月は夏海を抱えて駆け出して、結城が開け放している扉から病室に足を踏み入れた。
咲月は、いつの間にか、忘れていた。病院に入院している夏海が、病気を患っていることを。そんな、当たり前の、ことを。
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