第17話
第17話
また翌日も、咲月は昼前に起きて適当な遅めの朝食を済ませてから、家を後にした。病院へたどり着く前に見かけたケーキ屋を覗き、見舞いに行っているのに手土産の一つも持たないのはどうかと今更気付き、店内に足を踏み入れて四つほどケーキを詰めてもらった。その箱を抱えながら、咲月は病院へと向かった。
受付を済ませて病室に向かうと、窓際のベッドに夏海が居た。シーツの下に下半身を
「夏海。おはよう」
咲月の声に反応をして顔を上げた夏海は、その姿を視認するなり表情を綻ばせた。雑誌を閉じ、シーツから体を出す。
「おはよ。・・・何、それ?」
夏海はすぐに咲月が持っている箱に気付き、首を傾げた。テーブルは可動式で、彼女は慣れた手付きでその位置を変えていく。
「いや、見舞いに来るのに、毎回手ぶらはどうかと思って・・・」咲月はそう言いながら箱をテーブルの上に置き、夏海が見える位置でそれを開けて見せた。中にはショートケーキとチョコレートケーキが二つずつ、互い違いに収まっている。「好みが分からなかったから、適当に買ってきたんだけど」
「そんな気を使わなくてもいいのに。でも、ありがと。凄く嬉しい」
箱の中身を覗きこんだ夏海はそう返すと、咲月に向かって微笑んだ。咲月は気恥ずかしくなったので頭を掻きながら視線を反らし、視界にパイプ椅子が入ったのでそれを広げて腰掛けた。
何を食べるかという夏海の問いに、咲月は小さく首を振った。あまり甘いものが得意なわけではないからだ。すると、夏海は小さく笑って眉を下げた。
「ふふっ。じゃあ、こんなにいらないじゃん」
「・・・店入って一個だけ買うわけにもいかないだろ」
夏海の鋭い指摘に、咲月は冷たく返した。そんな態度を気に留める様子もなく箱からショートケーキを取り出した彼女は、口を大きく開いてケーキの半分をその中に放り込んだ。あまりの豪快な食べっぷりと鼻についたホイップに呆れて、咲月はケーキと一緒に入っていた紙ナプキンを取り出して手渡した。
「・・・お前、もうちょい食べ方あるだろ。ほら」
咲月から紙ナプキンを受け取った夏海は、再び大きく口を開けて残りのケーキを放り込み、結局それを二口で平らげてしまった。彼女は咲月の言葉など意に介さないといった様子で、口の周りのホイップを拭った。
「私に、女らしさを求められてもねー」
「・・・まぁ、そうだな」
その時、小さなノックの音が部屋の中に響き渡った。夏海が返事をすると、おそるおそるという感じで扉がゆっくりと開かれる。その隙間から顔を半分覗かせたのは香織だった。彼女は窺うような視線で振り返った咲月を確認すると、少しだけ固まったあと小さく頭を下げた。
「あ・・・、こんにちは。あの、夏海お姉ちゃん、居ますか?」
「香織ちゃん。入っていいよ」
張り上げられた夏海の声に、香織はゆっくりと病室に足を踏み入れた。咲月がベッドの前で腰掛けているせいで夏海が見えないのだろう、彼女は少しだけ不安そうな表情で歩を進めた。
「香織ちゃん。ケーキ、食う?」
咲月はそう言うと、立ち上がって香織のために椅子を空けた。彼女は歳に似合わず遠慮したが、立ち上がった咲月が視線で椅子を示すと、彼女は頭を下げてから椅子に腰掛けた。自分がいるせいで随分と緊張させていることに気付き、壁に身を預けた咲月は居心地悪そうに頭を掻いた。
「香織ちゃんは、どっちが好き?」
夏海は箱を傾けて、中身が香織に見えるようにした。彼女は目を輝かせて好きな方を指差す。夏海はチョコレートケーキを取り出して、香織の手に紙ナプキンを引いてから形が崩れないようにそっと手渡した。
「はい。どうぞ」
「ありがとう。お姉ちゃん」
「あ、お礼は後ろの咲月お兄ちゃんに言ってね」
夏海が咲月を指差すと、香織は窺うような瞳で咲月を見上げた。咲月は
香織が礼を言うと同時に、再び扉がノックされた。本日は千客万来だ。三人の視線が注がれる中、病室の扉を開いたのは歩だった。
「あ、やっぱり。雨宮君、今日も来てたんだね。良かった」
部屋の入口から真っ先に目に入った咲月に向かって、歩は笑顔を浮かべた。何が良かったのだろうかと不思議に思っていると、開ききった扉、歩の隣には見覚えのある顔があり、咲月は目を見開いた。
「・・・結城!」
突然のことに、咲月は声を上げる。なぜ彼がここに居るのか、理由がまったく分からない。
「おぅ。元気か?」
二人が病室に入ると、夏海は首を傾げた。どうやら夏海と結城は面識がないらしい。咲月の疑問は、そのせいで更に膨れ上がっていく。
「誰?随分と派手な友達ね」
「妹の歩さんと同じクラスの吉田結城です。結城って呼んでください。これ、つまらないものですけど、良かったら」
結城は普段使わないような敬語で夏海に挨拶すると、脇に抱えていた菓子の包みを
「・・・何で、お前がいるんだよ」
状況把握の困難さに咲月はため息混じりで問いかけると、彼はあからさまに心外だという表情を浮かべて、咲月に詰め寄った。
「はぁ?もとはといえば、お前が原因なんだけど。メールは返さないし、家に行っても誰も居ないし。・・・制服、どうすんだよ」
「あっ!」
結城が発した言葉に咲月は声を上げて固まった。彼がわざわざ洗濯してくれているのを、すっかり忘れていたのだ。
「・・・ごめん。忘れてた」
「三日も晴れりゃ、そりゃ乾くさ」
憮然とした結城の態度と皮肉を込められた言葉に咲月は反論することが出来ず、拝むように手を合わせて頭を下げるしかなかった。
「本当にごめん。帰りに取りに行くから」
「そうしてくれ。しかし・・・」
結城は歩達と談笑している夏海を
「お前、いつの間にあんな美人と仲良くなってんだよ」
「いや、・・・成り行きで」
「で?どこまでいったんだ?」
「・・・はぁ?」
咲月はつい大きな声を出してしまい、結城は慌てた表情を浮かべて人差し指を口元に当てながら咲月を宥めた。そっと三人の方を窺うと、誰も反応していなかった。
「お前、急に何言い出すんだよ」
「だって、彼女なんだろ?」
「・・・違う」
「何の話?」
突然の第三者の反応に、二人は声を上げそうになるほど驚いた。振り向けば、いつの間にか目の前に夏海の顔があり、二人は反射的に大きく身を引いた。
「な、何でもない。なぁ?」
「あ、あぁ」
「・・・ふーん」
咲月と結城の不自然さに夏海は眉をしかめたが、特に追求するわけでもなくベッドに戻っていった。どうやら聞こえてはいなかったらしい。彼女が残りのケーキを歩と結城に勧めると、結城は頭を下げながらベッドに近付いていった。咲月は壁に身を預け、夏海の楽しそうな横顔を窺ってみる。
自分にとって、彼女は何なのだろうかと考えてみる。知り合いと呼ぶほど他人行儀に近い距離感ではないし、結城のような友人と呼ぶのも、少し違う気がする。
思考を巡らせてみたが結局答えを導き出せないまま、咲月はそれを振り払うように壁から体を起こし、四人の会話に入ることにした。
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