第24話 めいの洗脳

「さあ、めい様。目を開けてください」


 従わずにはいられない、心地よい声がめいの耳に響いた。その声は、いつも優しくめいを甘やかしてくれる、ソーマのものだ。


 ソーマは、この世界へ来て右も左もわからなかっためいのそばで、いつもめいを助けてくれた。だから、そんなソーマの声に少しでも応えたくて。


 でも、持ち上げようとしたまぶたはどうしても動かず、体が言うことをきかなかった。まるで、めいの心に反して、体だけが意思をもって逆らっているかのようだった。


「めい様。目を開けられませんか?」


 ソーマのひんやりとした手が、めいのまぶたをなぞった。


「んっ」


 何かがじんわりと伝わってきて、頭がさらにぼうっとしてきた。でも、体は動くような気がする。


「どうです?」


 その声に従って、めいはどうにかまぶたを持ち上げることができた。


 めいの顔のすぐそばには、ソーマの顔があった。束ねたまっすぐな淡い金色の髪と、心配そうに細められた、眼鏡の奥の青い瞳が目に入る。


(きれいな顔。きれいな目)


 眼鏡の奥の瞳にどうしようもなく惹きつけられる。


(心配しないで。私がなんでもしてあげるから)


 この人にこんな心配そうな顔をさせてはいけないのだという、何か追い立てられるような切実な思いが胸を覆った。


「だいじょ……ぶ」


 どうにか声が出た。


「魔力は、足りますか?」


「まりょ……く」


 よくわからなかった。足りないような、十分のような、その感覚はどこかあいまいだ。


 けれど、ソーマの手が、めいの胸の聖痕に触れる瞬間、体はそれを拒否するようにこわばった。


「いら……ない」


 考えるより前に、めいはソーマの手を払いのけていた。


「困りましたね。聖女様は、魔力が尽きてしまったら戦えません。この世界の人間と違って聖女様は魔力生成器官がありませんから」


 それは以前にも聞いたことがあった。


 聖女は異世界からめいのように召喚されてやってくる。この国の人間と違い、休息をとるだけでは魔力は回復せず、召喚者から、聖痕を通してしか魔力を得ることができないのだ。


 ソーマは心配そうにめいを見つめている。拒絶して傷つけてしまったのかもしれない。そんな顔をさせてしまうのが申し訳なくて、めいはソーマの青い瞳から目をそらした。それだけで罪悪感が少し軽減する。


「魔力はいらない。戦える」


 本当にそう思ったのだ。めいの中にはまだ魔力がある。そんな気がするのだ。


「だから……」


「本当に聞き分けがない。困った聖女様だ」


 突然冷ややかな声がして、めいは驚いて顔をあげた。


 いつものソーマの顔ではなかった。冷ややかで、汚いものを見るような目だった。


(これは、誰?)


 再び近づいてくるソーマの手を払いのけようとしためいの両手は、いとも簡単に、頭の上に縫い留められた。


「魔力供給は、必要ですよ」


「やっ」


 体をよじるが男の力には敵わなかった。めいの体は、ソーマの片手で簡単に動きを封じられてしまった。


 ソーマの片手が、再びめいの胸の中央の聖痕に近づいてくる。胸の中央が大きく開いた衣装は、聖痕が露わになっている。


「やあああっ」


 体をよじっても、大声で叫んでも、近づく手は何も変わらなかった。


 めいは力をぶつけようとしたが、その瞬間ソーマの青い瞳が目に入る。


「めい様」


 ──まるで力が封じられたように、何もすることができなかった。


その目に侵食されるように思考がぼやける。


 ソーマの手は、めいの胸の中央、露わになった肌の聖痕に触れる。


 どくん。


「魔力供給は、必要なんですよ。聞き分けのない聖女のしつけには、これが一番ですからね」


 どくん。


「うっ、がっ、あ、ああああああああっつ」


 胸の中央から押し寄せる、暴力的なまでの快楽が、めいの体を駆け巡った。




──なんで聖女は、戦わなければならないんだ?


『力があるからです。力あるものは、その力に応じた責任を負わなければなりません。めい様は、聖女の中でも最高の力、聖なる光を持ってこの世界に召喚されました。めい様は、この国だけでなく、他の国の民たちをも導く責任があるのです』


──守るためだけの戦いではなかったのか?


『自陣を守るのに一番必要なのは、攻めることです。攻めることこそが最大の守りなのです』


──でも、戦いたくない。特に、かんなとは。


『緑雨の聖女は裏切り者です。裏切り、あなたを殺そうとしました』


──裏切ってない、かんなは、親友だ。


『親友だと思っていたのは、あなただけでは?』


──違う。かんなは、あたしの母さんのことだって、変な目で見なかった。母さんだって、かんなのこと大事にしてた。


『親友から母親を奪おうとしていたのですね』


──え?


『彼女は、めい様のものをすべて奪うためにこの世界を訪れたのでしょう。めい様が手に入れるはずだった、泥濘の聖女の聖痕も横取りしたでしょう?』


──それは……。


『全ての聖女を倒し、聖痕を手に入れ、元の世界に戻るのは、めい様の権利です。それを奪うのは、裏切り以外の何物でもありません。あなたは、裏切られたのです』


──裏切り。


『裏切り者は、断罪されねばなりません。相手は、自国の民を大量虐殺するという禁忌を犯している者です。今殺しておかなければ、後日、アルファレドの民へも大きな災いとなって降りかかるでしょう。民のためにもご決断ください』


──民のため。


『お願いです。皆を、民を救ってください』


──わかった。ソーマがそういうのなら。


 


 霧がかかったような思考の中、その声はめいの迷いに答えをくれた。迷いの中にいためいに、一本の道筋を示してくれた。


 答えにたどり着くと、体が泥のように重くなる。


(今は、何も考えたくない)


 めいの意識は眠りの中に沈んでいった。




「本当に他愛のない。犬のように簡単になついてしまった。もうちょっとしつけがいがあるとよかったんですが」


 ソーマは、ベッドの上に横たわるめいの頬をなでながら嗤う。


「魔力がなかなかなくならないと思っていたら、これのせいでしたか。魔力を帯びた宝玉。これで魔力を補給していたんですね」


 ソーマは、先ほどめいの服から奪い取った勲章──その裏に縫い付けられた大きなブルーグリーンの宝石を手に魔力を込めて握りつぶした。


 王から功績を称えて賜ったという勲章は、神官の手の中でさらさらと砂のように零れ落ちていく。


「しかし、終わりを少し遅くしただけでした」


 零れ落ちた砂を見つめる神官の声には、侮蔑が含まれていた。


「王の力も衰えた。目的が達成される日も近い──はは、ははははははっ」


 部屋には、ただソーマの笑い声だけが、空虚に響き渡っていた。



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