第18話 めいの母

 かんなは、その夜、警察署から解放されるとまっすぐにめいの自宅へと走った。自宅の電話番号は知らなかったから直接行くしかなかった。


 めいの住む小さなアパートのベルを鳴らすが、応答はない。


「めいちゃんのお母さん!」


 心配になって扉を叩いていたら、隣の家から人が出てきた。


「あんた、よくめいちゃんとこに遊びに来てた子だよね」


「はい、そうです」


「高坂さんね、さっき救急車がきて病院に行ったんだよ」


「病院はっ、どこの病院か知っていますか⁉」


 病院はわかったが、結局、家族でないからと入れてもらえず、かんながめいの母に会えたのは次の日だった。めいの母は、昨夜、娘の件でパニック発作を起こしてかかりつけの病院に入院したのだという。


 看護師には、興奮させないように、と注意されて面会を許された。


 病室に入ると、彼女は、髪を風になびかせて、窓の外を見ていた。めいと同じビスケット色の髪と、淡い茶色の瞳をした彼女はまるで少女のようで、とても三十代には見えなかった。


 めいの母は、かんなの姿を見ると、唐突に切り出した。


「めいがね、連れていかれちゃったの。あそこに」


 


  ◇




 ずっと疑問に思っていた。


『うちの母さん、ちょっとさ、なんていうか、不思議な人だから。ときどき、あっちの世界の話をするけど、気にしないで。半分、空想の世界に住んでると思うんだけど』


 めいは、母は精神を壊してずっと通院してる人だから、と瞳を揺らして説明してくれた。


 でも、かんなはずっと疑問だったのだ。空想にはどこか破綻が生まれる。細かいつじつまが合わなくなる。ましてや、精神を壊した人に、そんな細かい話が創れるだろうか?


 作り話というには、めいの母の空想はできすぎていた。


『召喚された聖女が戻ってくるにはね、来た時以上の力が必要なの。だから、聖痕を集めないといけないの』


 幼い頃、空想の世界で生きてきたかんなは、めいの母の話をもう一つの世界のこととしてごく自然に受け入れていた。


 ──聖女のいる世界。


   聖女が魔法を使って殺し合いをしなければならない世界。


   聖女を殺し、最後の一人にならないと帰れない、残酷な世界。




  ◇




 だから、めいの母の話を、かんなは疑わなかった。


「めいちゃんと、どうすれば会えますか?」


 めいの母はかんなににこりと無邪気なほどの笑みを向ける。昨夜のパニックの片鱗は全く感じられなかった。


「待ってれば会えると思うわ。だって、みんなが言うのよ。めいは強い子だって。きっと私のところに帰ってくるって」


「だって、帰ってくるには……!」


(殺さなきゃならないんですよね。最後の一人になるまで)


 かんなは、その言葉を口に出すことができなかった。


 めいの母の断片的な異世界での話を聞くだけで、それが、どれだけ過酷な体験だったのかは想像がついた。


(きっと、めいちゃんには殺せません)


「私は、めいを信じることにしたのよ。あの人たちが、まためいを助けてくれるかもしれないし。きっと大丈夫よ」


 かんなはそんな風に無条件にめいの帰還を信じることができなかった。


 めいが優しいのを誰よりも知っていたから。


 だから。


「どうすれば、向こうに行けますか?」


 かんなはその道を選んだ。




「神隠し、ですか」


「ええ、昔から、私たちの一族ではね、若い娘が神隠しにあっていたの。いなくなってしまう娘もいれば、帰ってくる娘もいた。昔は、外聞が悪いからって隠されていた、一族だけの秘密よ」


 深夜。


 かんなは、めいの母の病室に忍び込んだ。


「戻ってこれた娘もね、おかしくなってしまう子が多くて、一族の病院に隠されるようになったわ。私みたいに」


 ちくりという痛みとともに、かんなの腕に針が刺さる。


 めいの母は、夜は夢見がちな瞳に正気の色が戻ることが多い。かんなは毎夜、渋るめいの母に説得を重ねた。


「おそらく、異世界に呼ばれる理由は、血だろうと言われているわ」


 目の前の赤い液体は、細い透明な管を通って、めいの母からかんなの腕へと流れ込んでくる。




  ◇




『私、ここで待ち続けて、もしめいちゃんが帰ってこなかったら、多分死にます』


 かんなは、めいの母に告げた。


 どれだけ、自分がめいちゃんを大事にしているのか。


『私が一番怖いのは、この世界に帰ってこれないことでも、死ぬことでもないんです。めいちゃんにこの先二度と会えないことが一番怖いんです』


(だって、めいちゃんのいない人生になんて意味なんかないです)


『めいちゃんは、私を生まれ変わらせてくれました。私の全てなんです』




  ◇




 めいの母は、かんなを説得することをあきらめて、とうとう、こうしてかんなが異界にいくための手助けをしてくれている。


「聖女としてあちらへ呼ばれるのは、みんな多かれ少なかれ私たちの血を引いている娘たちよ」


 この方法がとれたのは、めいの母とかんなが偶然輸血できる血液型だったからだ。これがだめだったら、血を飲むという方法をとるつもりだった。


 協力してくれるのは、めいの母と同じく、召喚された娘を持つ看護師だ。めいの母の一族である彼女の娘は、七年前に召喚され帰ってこなかった。


「聖女召喚は、同時期に行われるの。めいと違う国へ呼ばれることになるわ。あちらの大陸には、いくつかの国があるの。大きな国はアルファレド、ベルデ、クリステラ、デル、エリス……他にも小国がいくつかあるわ。でも聖女召喚ができる国は限られている」


 めいの母が伝える言葉を、しっかりと覚え込む。


 他にも、聖女の魔法の種類や、国のしくみ。宗教。文化レベルなど。めいの母の言葉を、あますことなく覚え込んでいく。


 中でも一番大事な事。


「魔力供給──これは、絶対に受けてはいけないわ。召喚者たちは、魔力供給で快楽を与えて聖女を堕落させ、奴隷にするのよ。私の時は、助けてくれる人がいたからだいぶ正気を保てたわ。彼がこれをくれたから」


「これは?」


「魔力供給の石よ。これを通しての魔力供給なら、快楽に溺れたりはしないわ」


 めいの母は、それをかんなの手に握らせた。


「あなたが使って」


「でも、これは娘のめいちゃんのものです」


「あなたももう、私の血を分けた私の娘よ」


 涙が出る。


「はい。これで、めいちゃんを守ります。めいちゃんを戦わせたりなんかしない。めいちゃんを必ずこの世界に連れ戻します」


「かんなちゃん、違うの、そうじゃないの」


 めいの母は、かんなを抱きしめる。


「あなたはただ、めいのそばにいてくれればいいから」


その願いは、かんなの心に優しさとなって届いた。


 けれどかんなは、その願いを叶えるつもりはない。



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