第三章 かんな

第17話 かんなの全て

「さっきまで目の前にいたんです。光の輪が足元に現れて、めいちゃんが包まれて! めいちゃんが私のこと突き飛ばしてくれたから、私は助かりました。でも、めいちゃんが消えちゃったんです」


「その子って、この学生証の子よね。高坂芽衣こうさかめいさん。柿の木坂女子高校二年C組。今、学校に連絡をとっているから」


「お願いします!」


「うーん、もう一度、状況を説明してくれる?」


 何度同じことを説明したんだろう。めいがかんなの目の前から消えて、数時間がたっていた。


 突然足元に現れた不可思議な模様の光の環。めいは、それに引き寄せられるように、消えてしまったのだ。スマホが入った学生カバンもベンチの上に置かれたまま、めいだけが、忽然と姿を消した。


 まるで、流行りものの異世界召喚のようだった。


(めいちゃん、めいちゃんが苦しんでいるかもしれないのに)


 学校に連絡を取ると言って部屋を出て行った警察官が戻ってきた。めいの前にいる女性警察官の耳元に声をかける。


「水瀬さん、あなた、今日はもう帰ろうか」


「めいちゃんは!」


「警察が、これから学校と連携して動くから。明日連絡をするから、ね」


 かんなはぐっと手を握りしめた。


(ほんとは、私のいうことなんか、誰も信じてくれないんです)


 彼らの小声のやりとりは聞こえていた。


『もともと虚言癖のある子で、家も学校も持て余していたらしいです』


 めいの学校に連絡を取ると言いながら、かんなの学校にも連絡をとっていたのだ。


(私はいいです。私はどう思われても。でも、めいちゃんがいなくなって、苦しんでいるかもしれないのは、本当なのに)


「嘘なんてついてません! お願いします! めいちゃんを探してください」


 かんなは、それだけ叫んで頭を下げると警察署を飛び出した。




 虚言癖、というのは嘘ではなかった。


 ただ、今思うとそれは、想像力豊かな幼い子供の特性とも言うべきものだった。子どもの認知機能は大人と全く違っていて、想像と現実との境がひどく曖昧なのだ。そして、それはある程度の年齢になると落ち着いてくる。


 詳しく勉強した今ならわかる。病院にいけば、簡単にわかったことなのに。


 不幸なことに、かんなの周りには、そんな風にかんなを心配して病院に連れてくれる親も、それをきちんと勉強して、周囲に理解を求めてくれるような先生もいなかった。年齢を重ねそんな時期を脱した頃には、嘘つきというレッテルが貼られ、周りに友達は誰もいなくなっていた。


 施設で育ったかんなは地元から出ることを許されず、そんな狭い世界の中で息を殺すように生きてきた。




  ◇




 めいと初めて会ったのは、そんな、息が詰まるような学校生活の文化祭でのことだった。




 かんなのクラスは、教室内でちょっとした喫茶店をやっていた。喫茶店は実入りがいいのでみんなやりたがる。市販のクッキーとペットボトルの飲み物を氷で薄めて出すような、そんな簡単な形式だ。


 椅子と机は、教室にあるものを並び替えれば、簡単にレイアウトできるし、百均で買ったもので簡単に飾りつければ、ほとんど準備も必要ない。


 当日、教室にいなければならない人が少し多めに必要だが、それも、クラスのカーストが低い者が多めにシフトに入ればいいだけで、クラスの大多数にはあまり影響がなかった。


 そんなわけで、かんなは裏方で誰とも話さず、ずっと飲み物とお菓子の盛り付けを行っていた。自由時間なんてなかったけれど、あったらあったで困ってしまったからかえって良かった。




「おーい、お客さんがここにお財布忘れていったらしいんだけど、誰か知ってるかあ?」


 男子生徒が、教室の入り口から中に向かって大きな声でそう叫んだ時も、かんなはただ、黙々と同じ作業を続けていた。


 けれど、そばにいた女子生徒の一言でそれを続けるわけにはいかなくなってしまった。


「水瀬さん、その辺の席、うろついてたよね」


「え?」


 かんなは困惑して顔を上げる。


 入り口で声を上げた男子生徒のすぐそばには、数人の少女たちが立っていた。純白のセーラー服は、かわいい子が多いと評判の近くの女子高のものだ。


 ビスケット色のふわふわの髪をした、小柄な可愛らしい女の子が、ひときわ目を引く。


「あの……」


「水瀬さん、何か知ってるんじゃないの?」


 その女生徒の一言で、ただの忘れものの確認のはずが、あっという間に犯人探しと断罪の場に変わってしまった。


『なんで水瀬?』


『ほら、……うそをつくって有名な子だから』


『あー、それな』


「私、知りません」


 生徒たちがささやきを交わし合う。こうやって、何もない場所で、悪意が伝播する。


 かんなが、またか、と爪を手の平に食い込ませたとき、ビスケット色の髪の少女がそれを断ち切った。


「あのさ、それ、ほんとなの? 悪いけど、中入らせてくれる? ゆうか、どこの席すわってたんだっけ?」


「う、うん、こっちだよ、めいちゃん」


 外見に似合わない、さばさばした声音と話し方だった。


 めいと呼ばれた少女は、財布の落とし主らしい少女を先導して堂々と中に入っていき、ほどなく、壁のヒーター下に蹴り込まれたお財布を見つけた。


「よかったな、ゆうか」


「うん」


「騒がせたな。見せてくれてありがと」


 入り口の男子生徒の肩を、まるで男どうしでもあるかのように、ぽんとたたく。


 そして、教室中をぐるりと見渡した。めいの視線は、かんなの顔を素通りする。


 彼女が視線を止めたのは、最初に声を上げた女生徒だった。


「あとさ、さっきみたいの、人としてどうかと思うよ。見たままを言わせてもらうと、結果として、嘘つきって誰だったの?」


 かんなの断罪の場だったのに、一瞬で空気が変わった。


「周りの人たちもさ、噂とか、誰かの悪意に踊らされないで、よく考えたら? その方がさ、かっこいいだろ?」


 そして、くるりと振り向いて去っていく。


「かっこいー」


「誰あれ」


「ほら、柿の木坂女子の高坂芽衣だよ」


「あれがー」


 有名な女の子だったらしい。


「ごめんなさいっ」


「ちょ、水瀬さん⁉」


 かんなは、めいの後を追って走り出していた。


 正義感の強いめいにとってはきっとなんてことがない、日常の一幕だったんだろう。でも、かんなにとってはめいはヒーローで、救世主で、救いの神だった。


 かんなの一生で、こんな出会いは、もう二度とない。今行かなかったら絶対後悔する。




「あの、友達になってくれませんか?」




 息を切らせながらそう言うかんなに、めいは、それはそれは素敵な笑顔で笑い返してくれた。


 


(その日から、めいちゃんは、私の全てになったんです)



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