第二章 緑雨の聖女

第9話 親友


「めい様、下がってください」

 駆けつけたソーマがめいとかんなの間に割り込み、その手の杖をかんなに向けた。

 杖の先に浮かぶのは、魔法陣だ。

 それが攻撃のためのものだと気づくのに、しばらくかかった。

「やめっ……!!」

≪≪雷の閃光ライトニング≫≫

 杖から放たれる閃光が、かんなに向かう。

 けれど、それは、かんなを貫く前に、かんなの前に立ちはだかった男に防がれた。

 正確には、男の持つ煌めく大剣に。

 かんなと同じ灰色のマントとフードがはだけ、背の高い男の容貌が明らかになる。

 短く刈った群青の髪に、赤い瞳。野性味あふれる整った容貌に、冷たく鋭い双眸が光を放つ。

「ベルデの聖騎士グレアムだっ。ベルデが聖女を召喚したのか⁉」

 めいはその瞬間、かんながここにいる理由を悟った。

「もう、ばれちゃいました。早すぎです」

「めい様を守れ!」

 ソーマの声に、城壁にいた兵たちが集まりかんなと聖騎士に剣を向ける。

「ふふっ。さすが私のめいちゃんです。大人気ですね」

 めいは、何をどう考えていいかわからず、ただゆっくりと首を振った。

「グレアム。めいちゃんと話したいの。邪魔者を黙らせてくれます? あ、めいちゃんの召喚者だけは殺さないであげてくださいね」

 かんながそう言うと、聖騎士グレアムは、静かに剣を振り払った。

 剣の軌跡は見えなかった。

 ただ、めいを守るように立ちはだかった兵の頭の上から、すべるように首が落ちていった。

 吹きあがる血と共に、めいの前に道が開いた。

 その光景に、兵たちの動きが一斉に止まる。

「めい様っ」

 視界の端で、ソーマだけが、雷光をほとばしらせ、聖騎士は再び剣で応戦した。

 かんなは、そんな周囲の光景に注意を払うこともなく、まっすぐにめいの元へ歩み寄る。

「めいちゃん」

 かんなはいつものように甘い声で、めいの背に手を伸ばした。

 めいより背の高いかんなは、めいと話すときは、いつも目の前にいたのに。

 今は視線が合わない。

 棒立ちになったままのめいの背に、かんなは囲うように腕を回す。

 めいは、かんなの顔を見上げることができなかった。

「そんなに怯えないでください。あ、小鳥のように震えるめいちゃんももちろん可愛くってわたし的にはとってもツボなんですけど、久しぶりにいつもの勇ましくってかっこいいめいちゃんによしよしされたいです。今日はなでてくれないんですか?」

(いつものかんなだ)

 でも、ならば、かんなの背後の血塗れの死体は、いったい何なんだろう。

(それに、さっきは、かんなは私に──)

「こほん。話がそれました。あの、さっきは死んでくださいって言いましたけど、別にすぐに死んでほしいわけじゃないんです。だって、すぐに死んじゃったら、楽しめないじゃないですか」

(嘘だ。かんながあたしにそんなこと言うはずない)

 何かとんでもない間違いが起こっている。

 あるいは、自分が何か夢を見ているんじゃないだろうか。

 でも、背中を抱きしめるかんなは明らかに実在している。

「かんなも、召喚、されたのか?」

「やっと話をしてくれましたね。そうなんです。めいちゃんに会いたくて召喚してもらいました。がんばったんですよ、ほんとに。めいちゃんに会いたくて会いたくて」

 かんなは、何でもないことのように死んでほしいと言った口で会いたかったと語る。

「それなのに、ひどいですよね。殺さないと帰れないなんて」

 かんなは、めいの腰に回した両手を、そのままめいの背をなぞるようにゆっくりと持ち上げた。

 その手はゆるゆると背からうなじを回り、めいの髪をかき分け、めいの頬を挟むように触れた。

「そこで、わたし、考えたんです。めいちゃんと一緒に帰る方法」

「方法? あるのか?」

「はい、あります」

 かんなはめいのあごを持ち上げると、視線を合わせてにこりとほほ笑んだ。

 無邪気に。

 何でもないことのように。

「めいちゃんを殺して、めいちゃんの聖痕を取り込んで、一緒に帰るんです」

 そのまま片手で自分の首元のローブを引き下げて、めいに見せた。

 その首元に聖痕が見えた。

「こんなふうに」

「りこを……」

「はい。クリステラ王国のりこは、私が倒しました。あ、この世界では失墜させたっていうんでしたね」

「聖女を失墜させて、聖痕を奪った……」

そうだ。使われた魔法は、りこの持つ蘇生だった。

「そう、私は、二つの聖痕を持ってます。あのりこって子も、かわいそうなので連れて帰ってあげることにしました。あの子も、帰りたくてたまらなかったみたいなんです。私の魔法を使ってあげたら、帰りたいってたくさん泣いてたんで」

 かんなは引き下げたローブを元に戻した。

「でも、それだけじゃ寂しいですよね。だから、りことは、最後に殺し合いおもいでづくりもしました」

 うっとりするような、半ば恍惚とした表情でめいの顔を見下ろす。

 そんな表情をしたかんなを、めいは知らない。

「そうしたらですね、めいちゃん。魔力がなくなってしまって、仕方なく召喚者グレアムから魔力供給したんです。そうしたら、もう、びっくりです。すごく気持ちよかったんです。気持ちよくて気分がよくて。おもいでづくりもとーっても楽しくなって。りこの泣く声はうるさかったんですけどね」

 めいはかんなの顔から目が離せない。

「でも、めいちゃんの声なら、きっとかわいいと思うんです。めいちゃんとなら、殺し合い《おもいでづくり》──本当に、一生の思い出にできると思うんです」

 その時だった。

 ずん、と体に振動が走って、かんなの口からこぽりと、血がこぼれる。

「やめろっめい様に当たるっ」

「かんな?」

 視界の隅に、遠くから、弓を射かけた兵士の姿が映る。

 目を見開いたかんなの視線を追うと、かんなの胸から矢じりが突き出ていた。

 かんなは、にっとめいの顔を見て笑った。

「ここま……で、ですね。めいちゃんの、お母さんのは……し、してあげたかったのに」

「母さんが……それより、かんな! 血がっ。やめろっ。撃つな!」

 めいはかんなをかばう様に腕を広げて、兵士とかんなの射線上に立つ。

「ふふ、めいちゃんったら甘々なんだから」

≪≪蘇生≫≫

 聞きなれた、空間の軋む不協和音と共に、その聖魔法は構築された。

 涅色の泥のような闇が、かんなの体から発し、先ほどグレアムが倒した兵にまとわりつく。

 むくりと生ける屍が起き上がり、アルファレドの兵に向かって行く。

 目の前の魔法で、もう、かんなの言う全てが事実なのだと認めるしかなくなってしまった。

「グレアム」

 聖騎士は、ソーマの相手を、生ける屍に任せ、かんなに近づくと、かんなの矢を無造作に引き抜く。

「ぐっ」

 かんなの体は、矢を引き抜かれた反動でよろけながらも、地面を踏みしめた。

 胸から大量の出血は、ぼたぼたと地に水たまりを作る。

 それは、容易に命を奪うレベルだと、知識のないめいでもわかった。

「かんなっ。死んじゃうっ、やだっ手当てするからっ」

 かんなは、そんなめいを見たまま、ほほ笑んだ。

 ≪≪回復キュア≫≫ 

 かんなは、緑の光に包まれた。

「回復?」

「緑雨の聖女なのかっ」

 めいはほっと息をついた。

「グレアム」

 かんなは、自らのローブに手をかけ、右足の太ももの聖痕をさらす。

 グレアムは、かんなの声に忠実に応え、かんなの聖痕に近づき──ひざまずき、そこに口づけた。

 恍惚とした表情で、かんなはじっとめいだけを見つめる。

 頬がばら色に染まっていく。

 魔力供給だ。

 いつか見た、りこの姿が思い出される。

 そして、めいの体を襲ったあの恍惚感も。

 剣戟の音と雷音はいつの間にか途切れ、生ける屍たちは、全て切り伏せられていた。

「聖騎士と敵の聖女を打ち取れ!」

 グレアムが、かんなを守るように、アルファレドの兵の前に一人立ちふさがった。

 多勢に無勢だった。

 かんなは、剣を構えるグレアムの後ろで、胸の高さの城壁の上に、ひらりと飛び乗った。

 少し間違えると落ちそうな、あやういバランスでめいにほほ笑みかける。 

「めいちゃん、次は、よしよし、してくださいね」

 そのまま。

 背後に、身を躍らせた。

 残像を残し、かんなの姿は、城壁の背後に消えて行く。

 グレアムが、かんなを追うように、城壁から飛び降りる。

「やっ、かんなっ」

 どんっ地面に叩きつけられる音がして、めいは、城壁の端へと走り寄った。

 城壁の高さは、二十メートルはあるはずだった。

 聖騎士グレアムが、かんなを抱きかかえたまま、地面に倒れていた。

 その周りには砂埃が舞う。

 グレアムの四肢は、不自然に折れ曲がっていた。

 この高さで無事で済むわけがなかった。

 けれど、不協和音と共に、聖魔法が紡がれる。

(回復っ)

 緑の光が、かんなを包んでいた。

「矢を射かけろっ」

「やめっ」

 めいの声は、兵たちの発する鎧の音にかき消される。

 城壁から一斉に射かけられる矢を、聖女の回復で起き上がったグレアムが、なんなく切り払う。

 グレアムの指笛が鋭く響き渡る。それに応えるように、一頭の軍馬が、彼の元へと走って来た。

 グレアムは、かんなを抱き上げると、そのまま馬に飛び乗った。

 射かけられる矢の一歩先を、馬が走り抜ける。

「めいちゃん、約束ですよ。次は、絶対に──」


──殺し合いおもいでづくりしましょう。

 

 かんなの声が、騎影と共に、消えて行く。

 めいの中にあった、めいを支える、たった一つのきれいなものが、壊れてしまった瞬間だった。

 めいの中にあった、帰らなければならない、戦わなければならないたった一つの理由が、ぐらぐらと崩れ落ちて、なくなってしまったのだった。


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