第10話 彷徨者ルプス

 お日様がこんにちはと砂漠を照らしはじめるなかをリュートたちを乗せたトラックは進む。


「あぢぃ……もうちょいしずかに照らしてくれねえかな、お日様よお……」


 夜の冷え切った空気はすっかりとどこかへ鳴りを潜めていて、リュートはあの涼しさを閉じ込めておいて日中に取り出せたらいいのになどと非現実的な妄想に逃げていた。

 当然トラックには冷房があるのだが。


「こうも砂混じりの風に吹かれちゃあ、マトモにゃ使えんよね」

『車内循環の冷却のみで我慢してください。換気などしたらあの忌々しい砂どもがトラックに入ってきてしまいます』


 クロコはどうやら砂を嫌がっているらしい。理由を尋ねると『精密機器を砂にさらすなど、人間のあらゆる粘膜に病原菌を刷り込むようなものですよ』とリュートは返された。なるほど。


「ルート変更する? 風の少ない場所とか……」

『そんな便利な道があれば困りませんよ。ミュータントを避けて通るだけで手一杯です』

「だよなあ。アホなこと聞いてスマン」

『いえ。あらゆる可能性の検討を試みるのは非常に好感が持てます。バグズロイド的には試行錯誤の姿勢はキュンです』

「キュンておまえね……どこで憶えてくるんだそんな言葉」


 などと夫婦漫才を繰り広げているリュートたちへ、助手席に座るルプスが首を傾げる。


すなけしたいならあたしがやろっか?」


 公園の落ち葉の掃き掃除を引き受けるような気軽さでルプスはとんでもないことを言い出した。食いついたのはクロコだ。


『ルプスさん、いまなんと? 私の聞き間違いじゃなければ砂をけると言いましたか』

「え? うん。そだよ」

『……砂ですよ? いまフロントガラスにもうっすら積もりはじめてる、この厄介者ですよ?』

「わかってるよー。んー、言うより見せた方が早いかな。──あたしの法術アルテを」


 言うが早いか、ルプスは腰から提げていたベルトから短剣を抜き放つ。刃渡りはふつうの菜切り包丁ほど。だが刀身は乳白色で、要するに生き物の牙を研いで磨いた短剣だった。

 牙剣デンサと呼ばれるそれは宝飾品として用いられることが多い。だがルプスは抜き放った。


『ルプスさん? いったいなにを? というのは?』

「あれっ。クロコってば物知りだから何でも知ってるかと思った」

『新人類のあなたがたについては知らないことも多いのです。それで、とは?』

法術アルテってのは……まあ、あたしが体内の〈灰幻素グレージュ〉を使って起こす不思議な技ってとこかな。ほら、こんな風に」


 ルプスは牙剣デンサの切っ先をフロントガラスに向ける。否、そのもっと奥。トラックの進む先へ、砂色の地平線へと向けられていた。

 リュートは知っている。これからなにが起きるのかを知っている。『灰路彷徨グレイ・トレイル』でみたから知っている。

 だがなにも知らないクロコは目の前の光景に釘付けになっている。


 牙剣デンサの切っ先を中心として風が吹きはじめた。ルプスの髪が躍るようにしてはためき。


「景気よくいっちゃおーか」


 ルプスがそう言うと、牙剣デンサの刀身がサファイア色に光を放つ。蒼光は切っ先の向けられた正面へとまっすぐ伸び、フロントガラスを通り抜けていく。



せ────〈波濤狼砂バトローザ〉」



 紡がれたのは、ルプスが己の内面に飼っている異能を解き放つためのフレーズ。令言レーゲンと呼ばれる短いと、これから行使される──法術アルテの名。


 蒼光がはじけた。

 牙剣デンサから伸びていた一条の光が、ガラスが砕けるみたいにして、砂漠の風に散っていく。


『いったい何が……』

「ここからだよ、クロコ」


 ルプスが牙剣デンサを指揮棒として振るうと、目の前に広がる大地が。右からのそりと、左からボコりボコりと。今の今までそこで伏せっていた獣が立ちあがるかのように、砂の地面は盛り上がり、形を為していく。あちこちで砂が獣をかたどって、走りはじめる。

 その獣とは、狼。一頭また一頭と狼たちは鼻先を揃えて群れを成していく。


「おいで、みんな。一緒に行こう」


 あっという間に砂の狼たちが生まれていくと、気付けば波打つようにしてうねりながらトラックと並走していた。

 リュートも前のめりになって釘付けにされてしまう。『灰路彷徨グレイ・トレイル』の演出としてなら見たことはあったが、実際に目の前で見たことなど当然ない。


「……すっげえ」

『……これがルプスさんの法術アルテ、ですか』


 二人ぶんの驚きを受け取ったルプスはすこしばかりはにかんだ。


「へへ、あたしの〈波濤狼砂バトローザ〉は砂を操って狼として率いることができるんだ。だから、ほら、こうやって」


 ルプスが牙剣デンサをひょいと振るうと、フロントガラスにうっすらと積もっていた砂が渦巻いて一点へと集まっていく。やがてそれは小さな狼となった。指先サイズだ。そんなにちんまりとしているのはフロントガラスに積もったぶんの砂だけで作られているからだろう。

 その小さな狼は果敢にトラックから飛び降りると、あたりの風に砕かれて、すぐに姿が見えなくなる。

 フロントガラスはすっかり透明さを取り戻していた。


「ね、綺麗になったでしょ」


 これがルプスの法術アルテ。これが彷徨者トレイラーとしての真の実力。

 ルプスにとって砂は全て自分のしもべだった。そしてこの〈ネオ〉の大地はほとんど砂に覆われている。つまり


『……もしかしてルプスはすごい人なのですか?』

「アハハ! なにそれ、どゆこと?」

『いえ、もし他の彷徨者トレイラーたちも同じように法術アルテを修めているのであれば、新人類は旧人類とはまた違った体系の超技術を手に入れていることになります。それは、私の目算を軽く超える事態です』

「うーん、あたしと同じくらい法術アルテを使える人はそこそこいるよ」


 リュートは嘘つけい! とツッコみたくなるのを抑えた。


(ルプスは『灰路彷徨グレイ・トレイル』の彷徨者トレイラーのなかでも上級団員エリートメンバーだぞ。さすがに一般人がみんなこんな強さってことはないだろ!)


『だとしても素晴らしいですルプス。こんな力が発揮できるならば』

「いやー、そこまで万能じゃないよ。燃費だって悪いし」

『燃費、ですか?』

「そ。法術アルテを使うにはあたしの体内の〈灰幻素グレージュ〉を消費するんだけど……これがまあ、疲れるんだよねー」


 本編のシナリオで、騎獣ポルルクゥを喪ったルプスは主人公とともに砂漠を歩いて渡ったとされているが、実際のところ、〈波濤狼砂バトローザ〉の砂の狼の背に乗って逃げたシーンもある。だが、一度しかない。ルプスの言うとおり燃費が悪いのだ。

 普段は体内の〈灰幻素グレージュ〉を温存するために徒歩で移動して、ここぞというときのためにとっておくのが生き延びるためには必要だった。

 いまこうして披露してくれているのは、クロコがルートを選び、トラックが安全に走っているおかげで余裕があるからだろう。


「だからまあ、これはデモンストレーションってことで。みんな、またねー」


 ルプスが言うと、狼たちは大地へ伏すようにその身を崩して、砂へとかえっていく。


「トラックの周りの砂を除けるだけにして出力を抑えちゃうね。それなら長いこと発動できるからエアコンも使えると思うな」

『ありがとうございますルプスさん。あなたはバグズロイドの恩人です。地獄に落ちたとしても私だけは糸を垂らしてあげましょう』


 どーいたしまして、とルプスは笑う。


「どうだいリュート。君が成ろうとしてる彷徨者トレイラーってのは、みんなこんな風になにかしらの特技を持っているんだ。だからもし、君が本当に彷徨者トレイラーになりたいっていうなら、なにか特技を持っているといい」

「特技……」

「うん。この〈ネオ〉の大地は常にあたしたちに牙を剥く。だから、けっして負けないような、牙があたしたちにも必要なんだ」

「……うん」


 ルプスの言葉に拳を握りこむ。人造灰人ホムンクルスの体で出来ることをリュートは把握している。『灰路彷徨グレイ・トレイル』のとおりなら、法術アルテとはまた違った先史文明の技術の粋を宿した、人造灰人ホムンクルスだけの“牙”がある。

 いつかルプスの前で披露するのが楽しみでもあり、いまから緊張でもあり。


「リュートってば嬉しそうな顔しちゃってさ。自信たっぷりって感じだね」

「え、そんな顔してたかな」

「そりゃもう、ネズミを捕まえたキツネくらいニタ~って笑ってたよ。悪人ヅラだった」

「そっ、そんなことないだろ! 俺はもっとこう、不安とかさあ」

「くすくす。からかってごめんて。でも、そんなにこわばった顔をしないで? いまは気を抜いて……この旅路を楽しもうよ」


 ルプスが励ましの言葉とともに牙剣デンサを軽やかに振るうと、フロントガラスの上を小さな砂の狼たちが列をなして生まれていく。つるつるのガラス面をにして、現れては消え、現れては消え、ぶつかって大きくなり、また分裂して、自由自在に透明なを踊りながら走っていく。


 消えてはまた現れるさまが、小さいころに遠足で行った水族館のイルカショーみたいだな、と思った。ルプスは、〈波濤狼砂バトローザ〉の出力を抑えながらも、緊張をほぐすために楽しませてくれているのだ。そういう気遣いが彼女らしいなとリュートは思う。


「ありがとう、ルプス」

「ふふん。どういたしまして!」


 ますますルプスのことが好きになってしまうのだった。


『おアツくなってるところすみませんが、砂の心配がなくなったのでエアコンを稼働させますよー』


 クロコからのツッコミでリュートの顔が赤くなったのは言うまでもない。






 ◆ Tips ◆

 法術アルテ

灰幻素グレージュ〉を消費して行使する摩訶不思議な術。個人によって発現する能力が違う。令言レーゲンと呼ばれる呪文をトリガーとして発動することが一般的。能力に名前を付けるのも一般的。どちらも「それを唱えたときに能力を使う」ということを体に染みこませるためであり、逆説的に「唱えていないときに能力を使わない」という、能力の制御の観点から浸透している方式である。

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