第7話 潜む者

 リュートがルプスと運命的な出会いを果たしたのと同時刻──


 培養ポッドの行列たちは沈黙を保ちつづけていた。

 仄暗い空間にズラリと並ぶ光の筒たち。そのなかで眠る魂なき生命たちは、しばらくののち、始まってもいないその人生に幕を閉じることになる。


 ほかでもない〈灰幻嵐テンペスト〉によって発電設備が破壊されるからだ。予備電源に切り替わったところで、もって数日。それも、全ポッドのうち九割の稼働を停止したうえで、残りの一割が生き延びる日数でしかない。


 今や培養室は胎児たちの墓場へと成りつつあった。

 そこに生者の影はひとつとしてない。


 はずだった。


「……もう誰もいないかにゃー?」


 するはずのない声だ。だが、培養室の空気を震わせた。

 当然、リュートの声ではない。ルプスのものでもない。もちろんクロコのものでもない。


 その声の主はリュートの意識が宿って、部屋を出ていくのを隠れながら見ていて。


「金属パンツのひとー、もういない? いない? いないって言って~」


 女の声。なんとも軽薄な口調だ。


「ったくもー、なんですでに意識が芽生えた個体やつがいたわけー? ボスってばそんなこと言ってなかったよねぇ?」


 ぶつくさと文句はつづく。


「まったく、なんでウチがこんな小間使いみたいな下っ端仕事を……」


 声の主は唇を尖らせながら培養ポッドの陰から姿を現し──


 たところで、培養室の照明が全滅した。


「んにゃっ!? にゃにごと!?」


 声の主は急な暗転にその場でぴょんと飛び跳ねた。とんでもない跳躍力で培養ポッドの上部に飛び乗る。小柄な体による身軽な動きだった。

 あたりは完全な暗闇。

 女は息を殺して、縦長の瞳孔を丸くなるくらいにして周囲の様子を観察する。その仕草はまるで猫のようで──事実、彼女は夢猫族フェリエだった。


 と、部屋の非常灯が点った。先ほどよりも薄暗いが、モノのシルエットていどならば見分けられる。

 培養ポッドの一部にも光が戻っており。


「なんだぁ、かよぉ、驚かせんなよぉ」


 女は音もなく床に降り立つと、首飾りを取り出した。


「さーてとっ! 仕事しちゃおー、仕事っ! じゃないとまたボスに怒られちゃう……ごはん減らされちゃう……」


 首飾りの先についていたチャーム──型の端末を、頭上に掲げると、女は培養ポッドの行列に向けた。


「ど・れ・に・し・よ・う・か・にゃ~、まぁ、なんだけど~……ん? 待てよ?」


 女の動きが止まる。


「もしかして……どれでも一緒なら、さっきのやつを連れて帰れば任務完了だった!?」


 我、天啓を得たり! と言わんばかりに女の目がカッと開く。

 だが。


「でも全裸金属パンツ野郎はヤダな……はーあ、が来るかもって言われてたし、早いとこ終わらせちゃお~っ」


 女は適当に選んだポッドの底面にチャーム型の端末を挿しこむ。

 すると、ポッドの筒の曲面に複数のウィンドウが表示された。


「さぁてと、キミには今から起きてもらうよん」


 女は培養ポッドに現れたウィンドウに触れると、あちこちペタペタと触りながら操作を進めていく。


「人格インストールよし、知識インストールよし……その他もろもろの細かーい設定もたぶんよーし! 産まれなさい、そしておぎゃあと泣きなさい!」


 その言葉に応じるように、培養ポッドのなかで眠る人造灰人ホムンクルスの少年は目を開いた。

 少年はリュートと全く同じ顔で、しかし違う魂を宿して生まれ落ちた。


「おおっ」


 施設の崩壊とともに死ぬはずだった命。助かるはずのなかった命。

 その生命へ、女は上機嫌に呼びかける。


「ふっふー。右も左も分からないって顔をしてるわね。まるで赤ちゃんね、赤ちゃん!」


 軽い口調でからかうと、女は「そんじゃあ」と腰に両手を当てて。


「ウチのことはママって呼びなさいっ」


 にっこにこのスマイル百点満点で言う。

 無邪気な笑みは、薄暗い培養室でいちばん明るかった。



 

 リュートの意識が宿ったことで『灰路彷徨グレイ・トレイル』の世界に於ける“主人公”の枠はすでに埋まってしまっていたことを。


 ゆえに、彼女が目覚めさせたのは生まれるはずのなかった命。

 本来は主人公となれるハズだった命。

 


 特異点であるリュートによって運命の歯車が狂い始めたことを、まだ誰も知らない──




 ◆ Tips ◆

 種族

灰幻素グレージュ〉で滅びた先史文明の旧人類たちとはちがい、〈灰幻素グレージュ〉に適応した新人類たちは様々な種族にわかれている。

 犬狼族カーニス夢猫族フェリエ栗鼠族スキウール牙猪族スゥスゥなどなど……どれも他の生物などの特徴を備えているのが一般的。


 なお、いずれも〈灰幻素グレージュ〉への耐性があるが、

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る