第6話 三兎を得る

 ルプスは、ひとりで施設の外へと脱出すると、すぐさま指笛で愛馬ポルルクゥを呼び寄せてまたがった。


「リュート……本当に大丈夫なんだよね……」


 胸には不安が渦巻いていた。

 さきほど別れた青年・リュートの進んだほうを、心配そうな眼差しで見つめる。

 全裸に金属製のパンツという格好には驚かされたが、いま不安になっているのはそのことではない。


(「作戦がある」「説明はあとで」なんて言われたけど……本当に大丈夫なんだよね!?)


 〈灰幻嵐テンペスト〉はもうすぐそこまで迫っている。

 名前のとおりに灰色の巨大な竜巻がゴウと吼えて、地上の砂を巻き上げている。荒れ狂う風の渦のなかには生き物の姿もある。それも数匹。野生の騎獣きじゅうだ。あれではもう助かるまい。


(この距離……思ったよりも余裕がないな……いまからあの子ポルルクゥで逃げても間に合うかどうか)


 これまで幾度となく〈灰幻嵐テンペスト〉から人々を救いだしてきたルプスだったが、今度ばかりは、と覚悟を決める。


(あぁもう、彷徨者トレイラー失格だよこれじゃあ!)


 彷徨者トレイラーとは。

 この〈ネオ〉の大地を旅しながら、〈灰幻嵐テンペスト〉から人々を逃がしたり、襲い来るミュータントを討伐してコロニーの安全を守ったりする者たちを指す。

 ちょうどいまリュートを助けようとしているのも活動の一環だ。


 ルプスは若いながらも経験豊富で優秀な彷徨者トレイラーだった。


 だからこそ知っている。

 この過酷な大地では小さな選択の誤りが命取りになることを。


 〈灰幻嵐テンペスト〉との距離を見誤れば死ぬ。

 ミュータントと自分の戦力差をはかり間違えれば死ぬ。

 積み込む水の量を間違えれば死ぬ。

 ささいなことで、人は死ぬ。


 それが今回はどうだろう。さっき会ったばかりの怪奇・金属パンツ男の作戦に全てを賭けようとしている。


(うぅ、みんなごめん。あたしもヤキが回ったかも……)


 ルプスは彷徨者トレイラーの仲間たちの顔を思い浮かべる。


(……でも)


 ルプスは先ほどのリュートの自信ありげな顔を思い浮かべる。


(なんでだろ。どうにかしてくれそうだなって感じる)


 自分でも不思議だった。

 ひとつには、彼の見た目が変わっていたことが挙げられる。

 全裸金属パンツ……のほうではなく。


。そんなの古い資料に残ってるじゃないとありえない……)


(でも旧人類だったら〈灰幻素グレージュ〉への耐性がないから、すぐにミュータントになってしまうはずなのに……リュートはどうしてそうならないの?)


(それにあのクロコっていう〈超越遺物オーパーツ〉。あれはなに?)


(確かに言葉を話す〈超越遺物オーパーツ〉もないことはない。でもあんなに流暢りゅうちょうに会話ができるマシンなんて見たこともない。ジョークだって飛ばしてくるし)


 ルプスの彷徨者トレイラーの勘が、彼らはただ者ではないと告げていた。

 とはいえ不安は不安。なにせ彼らが何とかできるという根拠もない。


(あたしにできるのは……信じて、備えて、待つことだけ。もし、いざとなったら──)


 その時だった。大きなクラクションが鳴り響いた。


 ルプスの意識が現実に引き戻されると、まずゴムの擦れる匂いがした。それから、先ほど嗅いだ青年の匂いが猛スピードで近づいてくる。

 ルプスのなかの狼の部分がそれらを敏感に嗅ぎとっていて。


(これって、まさか──)


 施設の奥から砂煙を立てて現れたのは、一台の車だった。

 

 ルプスは知る由もなかったが、先史文明における軍用トラックにあたる大型輸送車。無骨なシルエットが頼もしい車輌だ。


「でかっ! はやっ! なにこれっ!」


 突如として現れた巨大な車にルプスの心は奮える。

 正体は分からない。どうして来たのかも分からない。けれども自分たちのだという確信がはっきりと持てるほどの威容を放っていた。


 大型トラックは後部のドアを見せつける形で停車した。

 運転席からひょこっと顔が出てくる。


「乗ってくれ、ルプス!」

「リュート!?」


 匂いで予想がついていたとはいえ、驚くものは驚く。

 ルプスがあっけに取られているあいだにも後部ドアがプシューッと音を立てて開いていく。


「説明はあとだ、いいから早く! ほら、その子ポルルクゥも乗せられるサイズにしたから! 急いで!」

「う、うん……!」


(もうなにがなんだか分からないけど……リュートは本当に、ただ者じゃないのかもしれない……!)


 想像もしていなかった展開にルプスの胸がうずく。

 期待と興奮が入り混じる。

 奇跡を目の当たりにした気分だった。


 ルプスは微笑みながら騎獣きじゅうの胴を蹴って、飛ぶようにしてトラックへと乗り込む。


「頼んだよリュート」

「あぁ、出発だ」


 リュートの掛け声とともに後部ドアは閉まり、トラックは走り出した。

 高速で回転するタイヤの起こした砂煙は狼煙のろしのように巻き上がる。〈灰幻嵐テンペスト〉へと別れを告げる合図シグナルだった。




 * * *



「っは~~~~、死ぬかと思った~~~~~」


 アクセルをベタ踏みしながらリュートは大きくため息をついた。

 体から力が抜けてずりずりと座面を滑り落ちていく。クロコが『痛いですリュート』と抗議の声をあげるが、リュートとしては「ごめん、でもこうさせて」としか言えなかった。


 そんな彼に朗らかな声がかかる。


「驚いたよリュート!」


 ルプスだ。

 愛馬ポルルクゥから降りた彼女は、荷台と繋がるドアから運転席へとやってきた。


(荷台と運転席が繋がってるってどんなつくりだよ! ……って思うけど、『灰路彷徨グレイ・トレイル』の世界のトラックの構造にケチつけてもか)


 逆に考えれば、もともと荷台との行き来が楽な方が便利な用途だったのだろう。などと浮かんだ余計な思考を振り払う。


「ねえリュート! どんな手品を使ったの? この車はリュートのものなの!?」


 ルプスは、サファイアの瞳をきゅぴんきゅぴんに輝かせながら詰め寄ってくる。


「あぁ、えと……まずは座ったら」

 

 助手席を指差すと、ルプスは興奮冷めやらぬ顔で腰を下ろした。


「で、で? いったいどうやったのさ!」


 やったことはシンプルだった。

 クロコに施設内の設備を調べてもらい、騎獣きじゅうを乗せることができるサイズのトラックを調べてもらう。

 ただそれだけ。


 リュートはこの施設には詳しくなかったが、『灰路彷徨グレイ・トレイル』ではなんどか先史文明の研究施設に入り込むシナリオが存在しており、その時にもトラックで脱出したシーンがあったのだ。


 この施設にもあるかどうかは博打だったが結果は見ての通り。

 大型の車両はバイクと違ってクロコサポートAIの権限では自動運転できないらしく、リュートみずからハンドルを握っていた。前世では無免許だったがいまはアクセルが踏めれば充分だ。


 ──ということを伝えようとしたリュートだったが。


「ねえねえ、教えてよ、リュート!」


 身を乗り出して好奇心たっぷりに尋ねてくるルプスを前にすると……。


(顔近っ……可愛っ……眩しっ……!)


 急接近してきたルプスの美少女フェイスに本気で照れて、緊張していた。


(なんかいい匂いもするし……恥ず……)


 ルプスは彷徨者トレイラーとして旅をしているのだから、石鹸や香水や、女の子の可愛らしい匂いではない。それでもリュートにとっては赤面するほどいい匂いだった。


(さっきまでは切羽詰まってたからフツーに喋れてたけど……俺、こんな美少女と面と向かって話したことなんてねえよ!)


「もしかして話せない事情があるのかな? それなら平気だよ」


(ぐっ、優しい……可愛い……! でも違うんだ、ただ、緊張してるだけで……!)


 どぎまぎして思うように言葉が出てこないリュートへ、神の手AIのサポートが差し伸べられる。


『リュートはいま疲れているみたいですので、細かい説明はのちほどに』

「そっかぁ、りょーかい」


 ルプスの体がスッと離れていく。

 リュートとしてはホッとしたような、残念なような。その未練を断ち切るように、クロコが声を発する。


『運転は替わりますよ』

「えっ、できんの!?」

『先ほどトラックの制御システムの詳細を確認しました。権限の委譲を行えば可能だそうです』

「ん? えっと? 俺がクロコにお願い、って言えばいいの?」


 リュートが尋ねると同時、トラックのダッシュボードに【バグズロイド SP-6239583BKへ権限を委譲しますか?】というウィンドウが表示された。


『イエス、任せてくださいマイマスター・リュート』

「そんじゃ、頼むよクロコ」


 承認ボタンを押下すると、トラックはスムーズに自動運転へと移行する。いよいよリュートは座面をずり落ちた。


『それよりお二人とも、見てください。現在の外の様子です』


 そういってクロコは荷台のドアを開け放ち、おまけに後部ドアまでもを開いた。

 びゅうと風が吹いてくる。


『どうですリュート。ご自身の目で確かめてみては。私たちはから逃げてみせたのです』


 促されるまま、リュートは荷台へと向かう。ルプスもあとからついてくる。

 そして後部ドアから、外の世界を見た。


「わ────」


 果てしない真っ青な空。

 砂色の大地がどこまでもつづき、そこに角砂糖を落としたようにぽつぽつと建物がみえる。

 そして、それらを呑み込むように暴れ狂う〈灰幻嵐テンペスト〉。


 青と砂と灰。

 前世では見たことのない光景が網膜を焼く。息を呑むとひどく乾いている。運ばれてくる熱砂の灼けた匂い。


 さきほどまで運転をしていたときはそんなものを感じる余裕などなかった。

 だから、遅れて実感する。


(俺……本当に『灰路彷徨グレイ・トレイル』の世界に来たんだな……)


『ご覧のとおり、〈灰幻嵐テンペスト〉は施設上空で動きを止めました。ここからの距離は800mほど。勢力も弱まりつつあります。つまるところ──』


 クロコの言葉をルプスが引き継ぐ。


「脱出成功だねっ! 助かったよ、リュート」


 ルプスの顔が、ぱあっと晴れた。

 サファイアの瞳が本物の宝石のように煌めいている。澄み渡る目にどこまでも吸い込まれそうになる。

灰路彷徨グレイ・トレイル』の蒼穹そうきゅうにも負けない、晴れやかな笑顔だった。

 灰色の、冴えない日々では見ることのなかった色鮮やかな光景。


 リュートは心のなかで呟く。


(ああ、よかった。この笑顔を守れて)


 自分たちの命も諦めず、ルプスが弱体化しない道も諦めず。

『二兎を追い、二兎を得る』つもりで知恵を絞ったリュートだったが、ふたを開けてみれば、ルプスの笑顔というを得ることができたのだった。




◆ Tips ◆

 彷徨者トレイラー

 大地を旅しながら、〈灰幻嵐テンペスト〉から人々を逃がしたり、襲い来るミュータントを討伐してコロニーの安全を守る者たち。

 過酷な環境であっても諦めない心をもつ。





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