第6話
テオの両親は研究者だった。星の研究、鉱石の研究、草花の研究。自然に関わることなら何でも調べた。テオが何でも口に入れていた頃は中央都市で暮らしていたらしい。当然ながら、テオにその頃の記憶は殆どない。最果て荒野は科学者にとって未知と可能性に溢れた希望の土地だった。だが中央都市から最果て荒野までは片道五日の道のり。容易に通える場所ではなかった。それであれば、いっそのこと住んでしまおうと、テオの両親は最果て荒野に家を建ててしまった。そうして、幼いテオの世話をしながら、荒野の研究を続けていた。
テオの母さんが亡くなったのはそれから何年か経ってからだった。母さんのことさえ、テオは殆ど覚えていない。優しくて、明るくて、楽しそうで……、そんな概念のようなぼんやりとした記憶しか残っていない。顔も声もよく思い出せない。母さんが恋しくて泣いた記憶さえ、忘れてしまった。ただ楽しくて幸せな感情だけが母さんとの思い出だ。
――ねえ、テオ。テオだったら、どんなことをお願いする?
父さんに聞かれて、幼いテオは無邪気に答えた。
――ぼくはね、母さんにお空から帰ってきてもらいたい。
そうしたらきっとまた毎日楽しく暮らせる。そんな気持ちだった。しかし、父さんは悲しそうな顔をする。
――あのね、テオ。
今日も冷たい風が吹いている。テオと少女は寂れた墓地にいた。二つ並んだ墓石に少女を案内する。
「ぼくの父さんと母さん」
そう言ってテオは座り込み、墓石に被った土を払った。
「ぼくはね、よく思うんだ。父さんが生き返ってくれたらって。父さんがいなくなって何年も経つけど、ずっと寂しいままだから。もし叶うなら他に何もいらない、そう思うくらいに」
少女は黙ってテオの言葉を聞いていた。テオはありがたく思いながら続ける。
「でも、父さんが言ってたんだ。命が生まれて死んでいくのは、自然の流れのひとつなんだって。それに逆らうことはできないし、しようとしてもいけないって。ぼくも、そう思う」
幼いテオにはよく意味が分からなかったが、月日が経った今なら分かる。両親と同じように自然を研究する中で、移ろい過ぎ去っていく生命の尊さをテオは感じていた。
「叶えたいけど、叶えてほしくないんだ。他に望むものはないから、君に何も頼めない」
振り絞るようにテオは言った。叫びだしそうな感情を、理性が必死に抑え込んで黙らせようとしている。言葉とは裏腹に、抑えきれない感情が涙になって零れ落ちた。
「ごめん……」
叶えてもらう願い事がないことを謝るつもりだったのに、まるで泣いていることを詫びているかのようになってしまった。
「いいのよ」
少女が言った。これもどちらに対する良いなのか分からなかった。少女は両手を伸ばし、テオの肩を抱いた。
「いいのよ、大丈夫。ずっと辛い思いをしていたのね。でも、テオは大丈夫。大丈夫よ」
何が大丈夫なのか分からない。それなのに、優しい声に溶かされるように涙が次々と込み上げ、父さんを喪った寂しさや苦しさが一気に溢れて、テオは泣き崩れてしまった。
気が付けば、夕闇が迫っていた。これからの季節、日はどんどん短くなる。寒さを覚えてテオは我に返った。抱きしめられている状態を思い出し、慌てて身を引く。
「あの、ごめんね。それと、ありがとう。なんだかすっきりした」
我を失くして泣いてしまったことに恥ずかしさを覚えて、顔を伏せながらテオは礼を言う。
「いいのよ。話してくれてありがとう」
少女はにっこりして答えた。
テオは用意していたカンテラに火を灯し、帰り道を歩き始めた。闇が濃くなるにつれて、少女の体の光があらわになる。
「きれいだね」
普段は思っても絶対口にしないのに、気づけばテオはそう呟いていた。泣きすぎて頭がぼんやりしていたせいかもしれない。少女に聞こえたかどうか分からなかったが、恥ずかしくなって、テオは慌てて言葉をつなぐ。
「一体、何がどうなって、君は光っているの?」
すると、少女は首を振った。
「そんなことは分からないわよ。ただ、そうね……」
少女は少し考えてから口を開く。
「星の輝きは燃えている炎か、その炎の照り返し。私の体もきっと燃えているのよ」
「そんな馬鹿な」
「だって私、流れ星だもの」
少女はにっこりと両手を広げてそう言った。
風が吹く。巻き毛が揺れて煌めく。金の瞳が瞬いた。その輝きにテオは見入ってしまう。
「あら、見て」
少女が少しはしゃいだ声で言って、テオの手を取った。テオは驚いて身を引こうとしたが、その手を振り払うこともできずに身を固める。
少女がテオの手のひらに、光る自分の手のひらを重ねた。少女の光が、テオの手を柔らかく包み込んだ。
「私の光で、あなたも光っているわ」
嬉しそうに少女が笑う。
「テオ、あなたも今だけは、星ね」
そう言った少女の瞳が美しくて、重ねた手のひらが温かくて、テオは何も言えずに、ただその光を見つめていた。
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