酒蔵の町に吹いた風

イタミノサケ ケサノミタイ

酒蔵の町に吹いた風

ここが清酒発祥の地といわれる町か……


JR伊丹駅を降り西へ向かうと、石畳の敷かれた酒蔵通りが現れる。

小洒落たビストロやレストランがぽつぽつと並ぶ、ちょっとした美観地区だ。

酒蔵通りといっても、伊丹に残っている酒造会社は老松と小西酒造の2社のみ。

現在は、伊丹よりも西宮や灘が酒どころとして広く知られている。


徳川5代将軍 綱吉の時代には、江戸幕府の御免酒として献上されていた伊丹の酒。

有岡城の城下町だった伊丹市には、造り酒屋がなんと70軒以上も軒を連ねていた時代があったそうだ。


有岡城跡を散策し、静かな酒蔵通りを歩く。

江戸時代の頃は、商売に精を出す旦那衆や小袖を粋に着こなした女房たちで、賑わっていたのだろう。


ふと、左ひざ下あたりから白い何かが現れ、視界の左半分に映りこんだ。片耳の折れた白い犬がちらりとこちらを振り向き、目が合う。ビー玉のような目をしている。


野良犬?


短毛のその犬はいわゆる雑種犬の部類か。野良犬にしては人なれしている。

いや、首には布が巻かれているから飼い犬か。おや、布には三つ葉葵の家紋がプリントされている。時代劇みたいでカッコいいな。それにしてもノーリードの放し飼いはいただけない。車にひかれたらどうするのだろう。


この日はペタンコの靴を履いていたので、足の裏に石畳の凹凸が伝わってくる。

犬の肉球は、この冷たい地面をどんな風に感じているのだろうか。

石畳を剥がしてずっとずっと掘り下げていくと、酒造りで栄えた当時の土や石ころに出会えるのだろうか。


しばらく私たちは、飼い主と飼い犬のように並んで歩いていく。

ところが急に、私の左側にいる片耳の折れた白い犬が、私の前に走り出た。と思ったら、右側にある建物の中に吸い込まれていった。黒い焼杉板に、西洋風の格子窓のあるレストランだった。


そのレストランを見て、ふと思い出した。

そうそう、ここの店のようかんを買いたかったんだ。ようかんだけ買って帰ろう。


伊丹らしく「老松(おいまつ)」の酒粕を使った白小豆のようかん。酒粕の力強い香りとやさしい甘さで、後を引く味が忘れられない。

犬の後を追って、店に滑り込んだ。


この店の飼い犬だったのか。


レストランの店員は、私が買おうとしていた酒粕のようかんを手に取っている。そして、慣れた手つきで犬の首から布を外し、その布にようかんをくるむ。

犬は目を輝かせながら、店員の様子を見つめている。


常連さんの犬か。


犬の目線に合うよう、店員はしゃがみ、ようかんをくるんだ布を犬の首にくくりつけた。

藍色の布に、白で染め抜かれた三つ葉葵の家紋がよく映える。

布で包まれたようかんは、犬には少し重いだろう。

しかし、白い犬は何か誇らしげな目をしている。まっすぐ前を向いたまま、再び私の左側に寄り添い、並んで石畳を歩き出す。


ようかんなどの甘いものは、江戸時代の二日酔い治療としても食されていたらしい。当時の指南書では、アルコール分解時の血糖値の低下を抑えるために、ようかんや干し芋を勧めている。江戸時代の侍も現代人も、酒を楽しんだ後、二日酔いに悩まされるのは一緒だ。


伊丹の町は、現代と江戸時代を行ったり来たりできて楽しい。


白い犬としばらく歩き、十字路に差し掛かる。今まで建物にさえぎられていたのだろうか、風が私たちの前を通り過ぎた。それとともに、片耳の折れた白い犬が私の左側から走り出す。犬が走り寄ったその先には、ツヤツヤと光る毛並みをした大きな茶色い馬。馬の背には、立派な羽織袴にちょんまげ頭の人物がまたがっている。

よく見ると、羽織袴は江戸小紋で染められ、三つ葉葵らしき家紋まで付いていた。

どうやら馬に乗ったちょんまげ頭の人が、白い犬の飼い主のようだ。

ちょんまげ頭の飼い主らしき人物が、何か犬に声を掛けた。かと思うと、踵を返して犬と一緒に消えてしまった。


あれは、徳川綱吉?

将軍様も二日酔い?


白い犬は、犬将軍のお犬様だったのか……。


伊丹は、現代と江戸時代を行ったり来たりできる町。

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