帰還
そして迎えた大会当日。城下町は聖女降臨の時以来のお祭り騒ぎで賑わい、国外から来た貴賓を出迎える催しも行われる予定だ。
今日という日を迎えるまでに、神殿から姑息な手段であれこれ嫌がらせされたり、セオドアと王子の父親である王様に謁見したり、プリムローズときゃぴきゃぴ女子トークしたり。色々あったけど、それもすべていい思い出になるはず。
私は王城の窓辺に立ち、カラリと晴れた青い空を眺めていた。邪竜を封印した高い山の頂を遠くに臨み、今までの苦難に想いを馳せる。
しかし思い出すのはあんな味やこんな味のとても言葉では言い表せない毒にも似た不味い薬のことばかり。それもセオドアの誠意の証と思えば感謝こそすれ責める気にはなれない。
……私の身体を半分作っているものがなんなのかものすごく気になるけど、それも今日で明かされる。
「ツバキ様、お支度は出来ましたか?」
部屋の扉が控えめにノックされ答えると、猫背で目隠れの若き魔術師がのっそり入ってきた。
私はクリーム色の聖衣の裾を正し、近づいてくる彼の姿を感慨深く見つめた。
「いよいよだね。王子はもう行ったの?」
「ええ、殿下も張り切っております。いささか張り切り過ぎな気もいたしますが」
「ふふ、ルキウスらしい」
私が微笑むと、セオドアの薄い唇もわずかに笑みの形になった。少し顔色が悪い気がするのは、これからの儀式に緊張しているのか、いよいよ彼の体力も限界なのか。
「今までありがとう、セオドア」
「……こ、こちらこそ……」
感極まったように言葉を詰まらせたセオドアの泣き笑いのように歪んだ笑顔に私まで泣きそうになる。
ああ、こんなこと言うと物語的にはフラグになっちゃうかな。でもこれは私と彼らにとっては現実で、決して悪い方向には向かわせない強い意志と行動が必要だ。
「参りましょう」
私は静かに頷いて、エスコートのために差し出されたセオドアの手の平の上に自分の手を乗せ、背筋を伸ばし真っ直ぐに前を向いた。
周囲に怪しまれないように開会式には聖女として出席する。それはかねてからの計画の一部。途中で具合が悪くなったふりをして退席する予定だ。
王宮のバルコニーに出ると派手なファンファーレと民衆の熱狂が肌を打つ。最前列に立った王と王妃、大会主催者のルキウスとその弟妹たちが鷹揚に手を振っているのが見える。
私はいったん神殿側に行き、しかめ面の神殿長と並んで立つ。その反対側にはいつものようにセオドアがいる。心強いけど、今日はずっと手をつないだままでいるのはなぜだろう。
式典用なのかいつもより少し凝った意匠の紺色のローブをまとい、相変わらず目は隠れているけど綺麗に整えられた濃紺の髪色とよく合っている。意外に大きな手の平は少し冷たくて、長く節ばった指が力強く私の手を包む。
今日は私も軽口を控えて対外向けにしおらしい表情を作りつつ、なんだか気恥ずかしくて頬が熱くなってしまう。
「ねえ、なんでずっと手をつないでるの? もう離してもいいんじゃない?」
小声でセオドアに抗議すると、彼は大きなローブの中に隠したボードを護るように上から抑え、何ごとか口の中で呟きながら首を横に振る。常日頃から奇矯な言動が多いので周りは気にしていないようだけど。
すると不意に頭の中に彼の声が響いた。
『もうすでに詠唱は始まっているのです。短時間で成功させる為にずっと触れ合っている必要もあります。今日は最後までこのままで』
声に出さずに直接頭に話しかけるなんて芸当も出来るのね。最後だから離れがたいとかそういうロマンチックな理由だったら良かったのに、なんて一瞬残念に思ってしまった自分に気付いた。これも今さらだな……。
俯いた私の視界にピンクゴールドの巻き髪が映った。プリムローズとゆっくり別れを惜しむ暇は無かったけれど、彼女と過ごした日々は激マズな生活に甘さを添えてくれたものだ。目が合ったので感謝とお別れの意味を込めてそっと手を振ると、プリムローズは麗しい笑みを浮かべて優雅に手を振り返してくれた。
あんなに帰りたかったのに、いざ離れるとなると名残惜しいなんて我ながら勝手なものだ。鬱陶しいと思っていた王子と別れるのすらちょっと寂しい。陽光にキラキラと輝く金髪頭を眺めていると、彼は素早く振り向いて軽くウィンクした。……ごめん、やっぱウザい。
しかし、それが合図だ。私は周囲に分かるように大きく咳込み、少し大袈裟な身振りでよろめきセオドアに凭れかかる。
「あっ……」
「どうした!? 大丈夫かツバキ!」
お前が大丈夫かという棒読みセリフを吐きながら大股で近づいてきた王子が、喋れないセオドアの代わりに大騒ぎしてくれる。
「ここはセオドアに任せよう。ささ、神殿長はこちらへ。父上がお呼びです」
「では神殿で祈祷を」とかなんとか言ってる神殿長の肩を強引に抱き、私たちからグイグイ引き離してくれる。この国の一番偉い人が呼んでるって言えばいくら神殿長でも逆らえないもんね。
セオドアは途切れさせることなく呪文を口の中で呟きながら、足取りの覚束ない芝居をしている私の肩を抱き寄せ、もう片方の腕を膝の後ろに伸ばしてひょいと抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。
これは予定にない! 体力なさそうなのにどこにそんな力が!? いつもより高くなった視界と不安定な体勢に色気のない悲鳴が漏れる。
「ぎゃー!!」
『お静かに。貴女が歩くよりこの方が早い。具合の悪いふりをしてください』
再び頭の中で声がして、私は慌ててセオドアの胸元に顔を伏せる。近づいた耳元に彼の心臓の音が大きく響いて、冷静な態度でいるけど実は思い切りバクバクしているのだと気付きちょっとおかしくなった。
そのまま確かな歩みでバルコニーから部屋を横切ったセオドアは、待機していた護衛数人に囲まれて私の部屋を目指す。人払いをした私の部屋のベッドの下に、転送用の魔法陣が用意してあるのだ。セオドアは私を抱いたまま、護衛の人がベッドをずらしてくれ、全員でその中に入る。目的地は神殿の内部だ。
セオドアが指をひと振りすると身体の周りに青い光が立ち昇り、見慣れた部屋の風景が蜃気楼のように揺らぎ始める。
長くてややこしい詠唱をしながら別の魔法も使えるってすごく器用なんじゃない? なんだか今日は三割増しでかっこよく見えるぞ、セオドア。
『着きましたよ』
眩い光に目を閉じていると、セオドアの声が頭に届いた。恐る恐る辺りを見回すと、私がこの世界にやってきた時に初めて目にした白い祭壇と女神の像が見えた。来た時は意識朦朧としていて気付かなかったし、お役目で祈っている時は不満タラタラだったから早く終わらせたくて周りを見る余裕なんてなかった。
改めて見れば、ここは清浄な空気の満ちた空間に柔らかな光が差し込む美しい場所だった。こんな時でなければうっとりしてしまうほどに。
『護衛は外で見張りをしています。さあ、祭壇の前に』
「うん」
私は改めてセオドアの手を握り、急ぎ足で祭壇に向かった。儀礼用のローブから虹色に輝くボードを取り出したセオドアが白い祭壇にそれを置く。続いて完璧に揃った五枚のカードを取り出し、慎重な手つきで配置していく。
先ほどからずっと呟いていた呪文はそろそろ終盤に差し掛かったらしい。だんだん大きくなるが、ところどころ意味不明で聞き取れない声に耳を澄ます。
「……激しい痛みの赤、胸苦しい恐怖の緑、ゾッとするような薄紫、世にも悍ましい黄檗……、悠久の螺旋……、巡る二つの魂……、分かちがたき……揺蕩い……」
ボードは初めに赤く光り、次に緑、薄紫から少し暗めの青に変わり、最後に淡い黄色、もしくは金色の煌めきを放つ。そのまま光り続ける盤面を見つめていたセオドアはホッと息を吐いた。どうやら成功したらしい。
彼は私に向き直り、ローブの中から液体の入った小瓶と二つの杯を取り出した。私と手をつないだまま片手で器用に瓶の蓋を開け、中に入った液体を杯にそっと注ぐ。
ボードと同じように様々な色に変化する液体が銀の器に触れると、杯は少しだけ色が黒く沈んだ。色々入っているのだろうけど、銀器が硫黄に反応して変色するって話は聞いたことがある。
「さあ、ツバキ様。これを飲んでください。私も飲みます。飲んだら二人でこのボードの中央に手を置くのです」
「……味は?」
「さあ……。味見は出来ませんから私も分かりません」
どうかひどい味じゃないといいなと祈りながら、渡された杯を受け取る。怖くはなかったけど緊張で指先が震えてしまった。
「怖いですか? ツバキ様。大丈夫です。魂が肉体を離れる
今まさに唇に杯を当て中身を口に含もうとしている私の手を取った彼が微笑んだ。いつか見た美しい歯並びが弧を描いた薄い唇の間から見える。ボードの放つ光を纏った濃紺の髪が夜明けの最初の煌めきのように若き魔術師の輪郭を縁取る。
私は静かに頷いて彼の作った毒薬の入った器をゆっくりと傾けた。口の中にするりと流れ込んだとろみのある液体は、意外にも甘い。舌の上で甘くとろけ、滑らかに喉を滑り落ちて胃の中に収まる。
同じように飲み干したセオドアの喉仏をじっと見ていたら、彼は思い出したように小さく笑い声を漏らした。
「マジョリーナの『舌の上でふんわりほどけるスイートキャンディ』の項を参考にしました」
「最後の最後に美味しかった。毒なのにね」
「ええ、毒なのに」
悪戯が成功した子供のような気持ちで「ふふふ」と笑い合う。
が、次の瞬間、体に激痛が走った。身の内を激しく焼くような熱と痛みが全体に広がり足がガクガクと震え始めた。演技ではなく床に膝をつきそうになった私を支え、同じように苦痛に歯を食いしばったセオドアがボードに手を伸ばす。
「ツバキ様……っ、もう少し頑張ってください」
「……ねえ、セオドア」
「はい」
「体の……どの部分を使ったのか、帰る時に教えてくれるって、言ったよね? 今が、その時じゃない?」
「貴女って人は……こんな時に」
セオドアは呆れたように笑いだした。苦しそうな息を吐きながら、ボードに乗せようとしていた手を前髪に当てる。
だってさ、気になるじゃない。帰ってからじゃ聞けないし。
「本当は最後まで言うつもりはなかったのですが……」
そう言いながらセオドアは前髪に潜らせた指で濃紺の髪を掻き上げた。現れたのはルキウスによく似た青い瞳。
だがその目は片方しかなかった。空虚な穴だけになった眼の奥は底が見えないほどに暗い。
思わず息をのむ私に、セオドアは力なく微笑んでみせる。
「片方の眼球と、舌の一部、何本かの肋骨と肺の片方といくつかの内臓を使いました」
「!」
魔法を使ったとしてもそんな状態で三年も私を生かしていたなんて。目を隠していたのも大きな声をあまり出さないのも猫背なのも全部私のせいだ。
だけど「ごめん」と言うのは何か違う気がして、代わりのように私の目から熱い涙が零れ落ちた。セオドアはそんな私を慰めるように片腕で抱き寄せる。
「ほらね。貴女が気にすると思って言えなかったのですよ。これは私の責任ですから」
「でもさあ……」
「大丈夫。私は生来丈夫なのです。すべて元通りになります」
「ほんと?」
「ええ。ツバキ様。貴女を初めて見た時……この少女を決して死なせてはならないと思いました。母を亡くし、師匠も儚くなり、やるべきことも見つからないまま、惰性で死んだように生きていた私の魂は救われ、貴女を生かすことが私の希望となったのです。ありがとうございます」
「お礼を言うのは私の方だよ。ありがとう、セオドア……っ」
目が痛い、喉が痛い、肺が痛い、体中が痛い。泣きたくないのに苦しくて涙が止まらない。セオドアは咳込んだ私の手を取りボードの上に導く。
「お別れです、ツバキ様」
「セオドア、セオドア……」
バカの一つ覚えみたいに彼の名前を繰り返すしかできない。金色に光るボードの上に同時に手を乗せると、じわりと苦痛が引いていく。霞む意識の中で必死に目を凝らし見つめ続けているうちに、自分の輪郭がぼやけてきているのが分かった。
「セオドア」
最後の気力を振り絞って彼の名を呼ぶ。光に包まれてほとんど見えなくなった彼の手の温もりだけが私をこの場所に繋ぎとめている。
「お慕いしておりました、ツバキ様」
意識が光に飲み込まれる最後の瞬間、甘く柔らかな低い声が聞こえた気がした。
……最後にそんなこと言うのずるい。私だって答えたかった。ほんとはそういう声だったんだね。
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