言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……

 熱を出してから体調が戻ったり悪くなったりで、数日ベッドから離れられない生活が続いた。セオドアは自分の方が倒れそうに顔色を悪くして不味い薬をガンガン飲ませてくるからそれも気が重い。

 今日の薬は鮮やかなオレンジ色で、外見だけは子供の頃に飲んでいた甘いシロップに似てる。ただし臭いはガソリンぽくて味は魚の内臓みたいに苦い。最悪。

 私はセオドアに空になった器を返しながら、しかめ面で水をがぶ飲みした。


「ねえ、この味ほんとにどうにかならないの?」

「……申し訳ございません」

「あなたそればっかりじゃない。薬師の人に聞いたけど、丸薬とか粉薬とかいろいろ方法あるでしょ? 液体じゃなきゃダメな理由ってあるの?」

「まあ、いろいろです……害になるものは入っておりませんが、お教えしたら多分飲むのがもっと嫌になるのではないかと……」


 やだ、なに飲まされてるの私。飲んだ後に回復してなきゃほんとに毒だと思うわよ。魔女がトカゲやヘビ、クモやカエルなどを大鍋に入れてぐるぐる掻き回しているイメージが浮かぶ。


「トカゲやヘビは入れておりません。それよりお腹が空いたのではありませんか? 厨房でテブラタのお菓子を貰って来たのでどうぞ」


 まるで私の思考を読んだかのように呟いたセオドアが、誤魔化すようにお菓子を勧めてくる。他人の動向に疎いわりに私の変化に関してはすぐ気づくのよねえ。

 でも豊胸に効くらしいテブラタを食べても一向に胸が膨らむ気配はない。それどころかお菓子ばかり食べてゴロゴロしてることが多いのに相変わらず痩せっぽちだし、この三年背も伸びてないんじゃないだろうか。


「まあいいわ。何が入ってるか怖いから聞かなかったことにする。でも味はどうにかしてほしいなあ。この『マジョリーナの美味しいレシピ』で研究してよ」

「はい。でもその本返却期限過ぎてませんか? 先日図書館から督促通知が届いておりましたよ」

「ヤバい」

「ヤバい?」

「あ、お告げじゃないからね。『まずい事態になっている』というような意味よ」

「異世界の言葉は興味深いですね」


 研究肌のセオドアは小さく頷きながらテブラタのクッキーを頬張る私の話を聞いている。開いた本の上にパラパラと欠片が落ちて、生きた本が「ちょっとやめてよ!」と抗議をしてきた。


「この言葉便利なの。たとえばこのお菓子が美味しい時にも使えるよ。『美味しい! ヤバい!』みたいに。絶体絶命のピンチの時も『ヤバい』で済む」

「汎用性が高いのですね。まあ、それはそうと、本の上でお菓子を食べるのは感心しません。その本が気に入ったのならまた借りてきて差し上げますから、いったん返却手続きをしてきましょう」

「うん」


 素直に本を返すと、受け取ったセオドアは何気なくページをパラパラとめくった。あれも見たもの全部記憶しちゃうのかな。できれば「舌の上でふんわりほどけるスイートキャンディ」のページを暗記して参考にしてほしい。

 ワクワクしながら眺めていると、あるページでセオドアの手がピタリと止まった。なになに、美味しいの見つけた?

 前髪に隠れたセオドアの視線がどこにあるか分からないけど、多分宙を睨んで早口で何かをブツブツ言い始めた。そして勢いよく本を閉じる。

 閉じた拍子にまた本から悲鳴が上がったけど彼がそれに気づく様子はない。


「……そうか。なぜ気付かなかったんだ。僕はバカだ。なんて鈍いんだ」

「セオドアさん?」


 いつもは「私」の一人称が「僕」になっている。他人の気持ちに鈍いのは認めるけど天才と呼ばれる彼がバカなら他の人はどうなってしまうんだ。

 興奮した様子で室内を歩き回っていたセオドアは、ようやく私に顔を向けたかと思ったら、あろうことかガバッと抱きついてきた。


「ぎゃー!!」

「ツバキ様! やはりあなたは素晴らしい!」


 体を離したセオドアは勢いのままに私の両頬を挟み、おでこに音を立ててキスをした。二度目のぎゃー!!

 慌てて周りを見回したら、みんなの生温かい視線が降り注いで頬に血が集まってくるのを感じた。な、なんだこのいたたまれない空気。


「ちょっと図書館に行ってきます!」


 急に私に興味を失ったように本を大事に抱えたセオドアは、誰に言うともなくそう宣言して大急ぎで部屋を出て行った。

 わー、セオドアが本気で走ってるとこ初めて見た。よっぽど重大な発見があったに違いない。おでこにキスはびっくりしたけど、この停滞した状況が変わることを大いに期待している自分もいた。

 セオドアを見送った後、控えていた年配の侍女さんが目を細めて「昔のセオドア様に戻ったみたいでしたね」と頷いていた。

 気になって聞いてみたら、子供の頃の彼は感情表現が豊かでどちらかというとルキウスの言動に似ていたそうだ。

 はあ? 気軽に女の子にハグしたりちゅーしちゃうようなチャラ男だったってこと? それならルキウスの方がまだ控えめだ。そんなところで血の繋がりを確認したくもなかったけれども。

 私は暑くもないのに手で顔を扇ぎながら、意外とガッチリしてた胸板や腕の感触、おでこに触れた唇の柔らかさなどを努めて思い出さないようにしていた。



 それから数日セオドアは姿を現さなかった。薬だけは保存の魔法をかけられて定期的に届けられていたので、生きていることは分かったけど。でもこんな方法があるなら四六時中張り付いてないで最初からそうすればよかったのでは?

 心配して自ら様子を伺いに行った王子にすら会うことを拒んで何かの研究に没頭しているらしかった。

 体調不良が続く私を気遣ってか、王子はプリムローズを話し相手として王宮に呼んで、三人だけのささやかなお茶会を催してくれた。ていうか、王子がカードの相手が欲しかったのではないかと疑っている。

 今日は天気が良いので王宮の中庭の四阿にティーセットを用意してもらって三人でお茶を飲んでいたのだが……。

 最初のうちはセオドアのこととか私の体調、プリムローズの近況なんかを和やかに話していたはずが、いつの間にか王子と彼女のカード談義になり、テーブルを挟んで二人のバトルが始まっていた。


「なかなかやるではないか、プリムローズ」

「大会楽しみですわね、殿下」


 好敵手と書いてライバルと読む、みたいな熱い展開を繰り広げた二人は固い握手を交わし、目をキラキラさせて見つめ合っている。見た目だけはいい王子と見た目も中身も可愛いプリムちゃん、なんだかんだ言って美男美女でお似合いだわ。

 もしかしてこれ私がお邪魔虫なんじゃない? ひゅーひゅー! もう付き合っちゃえよー。

 心の中で野次を飛ばしながらお茶を飲んでいると、王子のお付きの人が足をもつれさせる勢いで走り込んできた。


「殿下、大変です! セオドア様が……!」

「どうした」

「セオドアがどうかしたの!?」


 何ごとかと腰を浮かした私を制し、王子は落ち着き払って侍従の言葉を待つ。彼の息が整うのを待っていると、額の汗を拭った彼はようやく絞り出すように告げた。


「セオドア様が自宅でお倒れになったと……殿下と聖女様をお呼びです」


 私と王子は顔を見合わせ急いで立ち上がった。プリムローズは心得たようにその場を辞す。去り際、私の目を見て優雅に会釈したものの、その緑瞳には拭いきれない不安の影があった。


 今は師匠の家に住んでいるというセオドアの元に馬車で駆けつけると、なぜか門の前に神殿長がいて中の様子を伺っている。

 王子は形の良い眉をしかめ、つかつかと彼に歩み寄った。痩せた老人がへつらうように頭を垂れ定型の挨拶をしようとするのを、王子は鷹揚な仕草で手を挙げてやめさせた。


「神殿長、なんの用だ。貴殿は呼ばれておらぬはずだが?」

「セオドア様がお倒れになったと聞いてお見舞いをと思いまして」

「要らぬ。呼ばれたのは聖女と私だけだ」

「その聖女様ですが、いつ神殿に戻していただけるのですか?」


 多分そっちが本題なのだろう。彼らのやり取りを見る限り、どうやら王子と神殿長は仲がよくないらしい。私は倒れていて知らなかったけど、今までも再三神殿から聖女を戻すようにと要請があったようだ。


「今はその話をしている時ではない。いずれ時期を見てまた話し合おう」

「ですが」

「くどい。ツバキ、先を急ぐぞ」


 王子は苛立ちを隠しもせず、私の腕を掴み神殿長の横をすり抜ける。しわくちゃの神殿長はすごい目で私を睨んでいたけど、今私に出来ることなんてある訳がない。そんなことよりセオドアの容体が心配だ。


 偉大な魔術師の邸宅だったという割には素朴な煉瓦造りの二階建ての屋敷の中に入っていくと、中には誰もおらず様々なものが自動で動いているのがうかがえた。これもセオドアの魔法で動いているのか。

 私たちをいざなうように次々と開かれていく扉をくぐると、二階の一番奥の部屋の前まで出た。


「セオドア、入るぞ」


 ノックをしても返事がないので、扉が音もなく開くと同時に足を踏み入れた。中は足の踏み場もないほど散らかっていて、寝る為だけに置かれたような簡素なベッドの上にセオドアが青い顔で横たわっていた。

 相変わらず髪はボサボサで、今は服もよれよれ、おまけに顎には無精髭が浮いている。よほど根を詰めて何かをしていたらしい。


「セオドア!」


 私たちが駆け寄ると、彼は薄っすら口を開けてこちらに手を伸ばしてきた。その手を両側から握り、何か言おうとしている口元に耳を寄せる。


「……お腹が空きました……」

「もう! 心配したんだからね! 倒れる前に何か食べなさいよ!」

「申し訳ございません」


 安堵と怒りで思わず大声が出てしまったが、王子は腹を抱えて笑い出した。しかしすぐに笑いを引っ込めて、セオドアの顔を覗き込んだ。


「セオドア。わざわざ呼びつけたということは聞かれたくない話があるのだろう?」

「ええ、今魔法で食事を用意しておりますから、まずは腹を満たしたあとにお話しいたします」


 セオドアは私から取り上げて行った「マジョリーナの美味しいレシピ」を持ち上げて、得意げに口の端を吊り上げた。腹違いとはいえさすがは兄弟と言うべきなのか、悪戯っぽく微笑み合う彼らは息もぴったりだった。

 これから何を聞かされるのか分からないけれど、少なくとも彼らだけは私の味方だという謎の確信があった。


 何を聞かされてもいい。もう嘘や誤魔化しはたくさんだ。いくら私がチョロい小娘だって何かがおかしいことは分かる。

 私は決意を込めて彼らを見つめた。

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