色は匂えどってそういう意味じゃないよね!?
王子とセオドアを説き伏せたものの、私が聖女業からいったん離れるにあたり、神殿のエライ人とひと悶着あった。
祈りが届かなければ、また邪竜が暴れ出すと大騒ぎだ。この大地を支えてるジゲなんとかって生き物が、竜の刺激で目を覚ましたら大変なことになるとか。だからなんでそんな不安定な場所に国作ったのよ。
なんでも女神アゼスカデスの創世神話と深いつながりがあるとかなんとかクドクド言ってたけど知ったこっちゃない。こちとらその女神に呼ばれて来てんのよ。ちょっとくらい好きにしたって神様も大目に見てくれると思うの。
しわくちゃで髭の長い神殿長のしかめっ面に心の中でメンチを切りながら、外面だけはいい私は悲しげに俯いて「女神様の思し召しですぅ」と呟いてみせた。
とはいえ、大災害が起こったらさすがに私も寝覚めが悪いので、セオドアを筆頭とする魔術師団を竜の眠る山に差し向けて、封印が解けていないかどうか確認してもらった。
◇◇◇
結果オールグリーン! 晴れて私はカード探しを開始……と思ったけれど、文献探しに来た王立図書館でまたもや船酔いに悩まされていた。うう、気持ち悪い……。ジゲ寝相悪すぎじゃない?
聖女の帰還方法を調べるなんて大々的に言っちゃうと国民に動揺が広がるかもしれないから、今日は少ない人数の護衛を外で待たせて建物内部にはセオドアと二人で来ている。
魔法で管理されているらしい広い館内は静かで、許可がないと一般には開放されないこともあって人影はまばら。見上げるほどの高さの可動式本棚がずらりと並び、自動で動くさまは壮観だ。
期待に胸を膨らませていたのに朝から気分は最悪で、館内に入った途端にめまいで倒れそうになった。
「ツバキ様、お薬を」
「……なにその色」
セオドアにグリーンが嫌だって言ったら今度は紫色の毒々しいのを出してきた。銀器の色が変わってないから毒ではないのだろうけど、薬の色変えればいいってもんじゃないのよ! あ、もしかして嫌がらせ? インドア派なのに無理矢理山奥に確認に行かせたの恨んでる? うう、ああ、でもセオドアの薬効くのよねえ。
冗談ではなく震える手で杯を受け取ると、脳天を突き抜ける強烈な刺激臭。こいつほんとに天才なの? 人が飲むものとは思えない。飲むか飲むまいか、なみなみと注がれた紫色の液体を眺めていたら、鬱陶しい前髪の隙間から見えるセオドアの頬がポッと赤く染まる。
「少し改良してみました」
改良? これのどこが改良? モジモジするな。彼氏に手作りクッキー渡すJKか。なんとか飲まずに済ませたいけど、飲まないと頭痛・吐き気・めまいが襲ってくる。
魔術師なら魔法でどうにかなんないのかな。四つ年上のお兄ちゃんがやってたゲームでは癒しの魔法とかあったよ? なんかこうパーッとやってふぁーみたいにならないのか。
前にそう言ったら、セオドアはキョトンとしてた (多分)。それは聖女の力であって、魔術師が使うことは出来ないのだそうだ。
試しに癒しの力とやらを使ってみたら、周りの人は元気になったけど、自分自身にはその力を使うことはできないみたいなんだよね。祈りは対邪竜特化で癒しは他人限定なのか。女神様も中途半端な力くれちゃって恨むわ。これじゃ普通の人と変わらないじゃない。ああでも普通の人間の体質じゃないと毒も薬も効かないのか。ぐぅう、ジレンマ……!
「ツバキ様、顔色が悪い。早く薬を」
セオドアは口では心配そうに言いながら、自分の作った薬の治験結果を心待ちにする科学者みたいなワクワクオーラを放っている。私はセの実験動物なのか。くそ。おまえなんかセで充分だ。
私は意を決して杯を握る手に力を込めた。
「くっ……ころせ……!」
呟いて一気に薬を呷る。意味はよく知らないけど、お兄ちゃんが読んでたちょっとえっちな漫画に書いてあったのを昔こっそり読んだ。プライドの高い女子ちゃんが屈辱的な目に遭って、いっそ殺せとヤケクソになった時に言うセリフらしい。
鼻に抜ける臭いは暴力的で喉越しは強炭酸を飲んだ時より強烈。ああ、あれだ。糖衣の丸薬がラムネみたいだと思って噛んじゃった時の味みたい。あの時は舌が痺れてしばらく食べ物の味が分からなかった。
もしくはアルミや鉄製品を奥歯で噛んじゃった時みたいな気持ち悪い刺激。脳が揺れるようなキーンとした感覚ね。
この食感を液体で作り出せるとはある意味天才だ。え、まさか、天才ってそういう……?
「ぅ゙お゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙! がっでむ!」
はい、聖女らしからぬセリフ出ちゃったよ。どうせ意味は分からないだろうけど。
屈辱的というか飲むたび人としての尊厳を踏みにじられたような気持ちになるよね。
涙目でセを睨むと彼は戸惑ったように薄い唇をキュッと結んで、首を傾げた。
「殺すなんてとんでもございません。気分はどうですか? 良くなってきたでしょう?」
「……まあね」
今じゃなくても毒が完成したらいずれは殺すんでしょう? 私はジト目でセの前髪に隠れた目のあたりを睨んだ。
認めるのは悔しいけど気分がスーッと楽になっていく。私は携帯用のボトルから水を飲んで口直ししながら小さな声で「ありがとう」と呟いた。
セは「あ」とか「う」とか「ありがたき幸せ」とか気持ち悪いことを言ってあたふたしている。なんだろう、私がお礼を言うのがそんなに珍しいのかな。悪態には冷静に対処するくせに、いい加減こういうのにも慣れてくれてもいいんじゃないだろうか。
そうだ。こんなところで時間を取られている場合ではない。ここへは調べものをするために来たのだから。
気分も新たに薬と魔術と古代文字関連の書物の棚を目指す。と言っても私に読める文字は少ないからセオドア頼みだ。少し読めるのはこの三年間自分で学習したから。女神様ったら異世界でも言葉が通じるようにしたなら、文字も全部読めるようにしといてよね。勤勉な日本人気質発揮しちゃったじゃーん。
私は背表紙の文字を目で辿りながら、横にいるセオドアの丸まった肩を見上げた。
「カードはセオドアの師匠の家にあったんでしょう? 家中探してみた?」
「ええ、床下から天井までくまなく探しました。地下室や倉庫もあるのでそちらも全て」
「ふーん、どこいっちゃったんだろうねえ」
偉大な魔術師だったらしいセオドアの師匠は既に亡くなっていて、家は彼が所有して管理しているそうだ。
セオドアの後ろには自動、いや魔法で動くカートがついてきていて、彼はその中に次々と本を入れている。それにしてもこの膨大な書物の中からカードや古代の魔術に関係のあるものを選び出すのは気が遠くなる作業なのでは? 検索とか出来ないの?
「セッチャン。検索の魔法とかないの?」
「いまやっております」
「オッケーセーグル! カードの情報出して」
「……セーグルとは? またお告げですか?」
「いや、なんでもない」
あー、そうね。グ〇グルなんて知る訳ないよね。どうせ通じないと分かっていても、ついくだらないことを言ってしまう。この軽口のせいでややこしい事態になっているというのに。
私はわざとらしく咳払いをして古びた背表紙の表面をなぞった。本は嫌がるようにわずかに震える。え、この本動くの?
びっくりしてセオドアを見上げると、私の様子を伺っていたらしい彼が口元を緩めた。
「ここは生きた本の棚でございます」
「そんなんあるんだ。さすが王立図書館」
「様々な怨念が込められたものもございますから迂闊に手を触れないようにお願いいたします」
「ひっ!」
「もっとも聖女様の聖力にはそういった耐性があるので大丈夫だとは思いますが」
「もう! そういうの早く言ってよ」
「申し訳ございません」
青くなったり赤くなったり忙しい私を、どこか面白がるように見たセオドアが何か言いたげに口を開く。意外と歯並びがいいんだな、と眺めた唇の奥からはいつまでたっても言葉が出てこない。こういうのモヤるから言いたいことがあるならハッキリ言ってほしい。
「なに」
「いえ……最近のツバキ様は最初にお会いした頃に戻った気がして。ここ数年は大人しくされていましたよね」
「ああ、召喚された時セオドアもいたんだっけね。いつ帰れるか分からないし毎日体調悪かったら気分だって落ち込むわよ。薬もすっっっごい不味いしね!」
「……それについては申し訳ございません。なんとか頑張っているのですが」
「あれで?」
「お好きな色があればそれでお作りしますが」
「うーん、ピンクかなあ……って、そういう問題じゃない!」
効き目はばっちりなんだから問題なのは味よ! 味! もう、ほんとやだ早く帰りたい! この先一生不味い薬飲み続けなくちゃいけないなんて地獄すぎる! それとも三半規管を鍛えて酔い止めに対処した方がいいんだろうか。
腹立ちまぎれに近くにあった「マジョリーナの美味しいレシピ」というタイトルの本の背表紙をペチリと叩くと「ぃゃん!」と小さな悲鳴が聞こえた。
そうか、現時点で帰れる当てがないならセオドアに必要なのは正常な味覚かもしれない。私はセオドアの後ろにあるカートにこっそりその本を追加した。
あらかた目ぼしい本を見繕って、奥にある読書スペースで持ってきた本を読む。さすがは王室御用達の図書館だけあって机はゴージャスだし革張りの椅子は座り心地がよく快適そのものだ。
セオドアは机の上に積み上げた本を開いてすごいスピードで読んでいる。え、ちょ、ちゃんと読んでる? 高速でパラパラしてるだけみたいに見えるんだけど。
私の視線に気づいたのか、セオドアがふと顔を上げる。その前髪もモサくてちゃんと見えてるのかと心配になる。
「速くない? ちゃんと読んでる?」
「ええ、読んでいますよ。見たページをそのまま記憶できるので」
「すげえ、セーグル」
やっぱり天才だったんだ。セで充分とか言ってごめん。
「セオドア出来る子だったんだねえ。私の手伝いなんていらないんじゃ?」
「いえ、ありがたいことです。通常の人間の発想も時には新しい刺激になります。それに私はこんな性格と見た目ですから友達もいなくて……って、聖女様に友達などと畏れ多いことでございますね! 申し訳ございません」
「別にいいけど」
王子を除けば年も一番近いし、いちおう聖女だけど凡人ですからぁ。本人は自覚もなくところどころイヤミなセリフを散りばめつつの謝罪に返す笑顔が引きつる。
「ねえ、モサ男。私チキュウに帰ったらやりたいことがあるの」
「先ほどから私の名前がころころ変わっている気がしますが、なんですか?」
「やっと気づいたの、天才のくせに。ママのご飯を食べることよ」
「周りがどう言っているか知りませんが私はただの気が利かない男です。それは楽しみですね」
余計な軽口を交えながら本音を漏らすと、セオドアは柔らかく微笑んだ。私も怒ってなくてセオドアもおどおどしてなくて、珍しく会話がスムーズに進み、なんだかほんとに友達みたい。
いつか帰れると思って必要以上に人に踏み込んで接してこなかったけど、同じように人付き合いを避けているセオドアにほんの少し親近感が湧いた。
結局その日は何も収穫らしきものはなかったけど、なんとなく心が満たされた気がした。
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