異世界転移して聖女になったら陰気な魔術師が隙あらば毒殺しようとしてくる

鳥尾巻

それってマ!?

「魂が肉体を離れる瞬間ときまでこうしていて差し上げます」


 今まさに唇に杯を当て中身を口に含もうとしている私の手を取った彼が微笑んだ。逆光に透ける濃紺の髪が夜明けの最初の煌めきのように輪郭を縁取る。私は静かに頷いて彼の作った毒薬の入った器をゆっくりと傾けた。


◇◇◇


 遠くで鐘が鳴る。三年前、日本から異世界に召喚された私、聖女ツバキこと神田かんだ 椿姫つばき十九歳は、今日も神殿の奥で祈りを捧げる。衿が高く丈の長い淡いクリーム色の聖衣をまとい、つとめて儚げで楚々とした風情を保ちながら、両手を胸の前に組み神妙に頭を垂れてはいたが、内心は嵐のように荒れ狂っていた。

 当時高校一年生だった私は、自宅のベッドの上でお菓子を食べながら異世界転移ものの電子コミックをスマホで読んでいたら、いきなり画面の中に吸い込まれて白い服を着た光り輝く女神様が出てきて『邪竜を封印しろ』と言うではないか。訳も分からないまま呆然としているうちにこの国の神殿とやらに送り込まれ、あれよあれよという間に聖女に祭り上げられてしまった。まさか自分がマンガの登場人物になるとは!

 この物語は聖都アゼスカディアンに降臨した邪悪な竜神ヘドホロンを山奥に封印し、その魂を鎮める為に少なくとも一年は聖女の祈りを捧げなくてはいけない、というあらすじだった気がする。まだ最初しか読んでなかったから、この先何が起こるのかも分からない。

 パジャマ姿の私は国の偉い人たちに囲まれ縋りつかれ、オロオロしているうちに話がまとまってしまった。我に返ってそんなの私の知ったこっちゃないし、自分たちの国なんだから自力でどうにかしろって抗議したけどあとの祭り。そんな感じでイヤイヤ始まった聖女業? だったけど、人助けになるし期間限定ならまあいいかと思ってしまった私は我ながらチョロい小娘だった。

 あれから三年経つというのに、一向に帰れる気配がない。異国風の食事は美味しいけど、日本のお菓子とママのご飯が恋しい。いきなりいなくなってみんな心配してるだろうなあ。とはいえ、周りの大人たちはみんな優しくて、ちゃんと気遣ってくれているとは思うのだけど……ただ一人、あのおかしな魔術師セオドア・セウェルスを除いては。



「ツバキ様、本日のお薬の時間でございます」


 目の前に出された銀の杯になみなみと注がれた禍々しい緑色の液体を見て、私はげんなりと溜息をついた。一ヶ月洗うのを放置した水槽の水みたいな色と匂いだし、味も舌と奥歯が外れそうなほど不味い。最初見た時は毒かと思ったよね。


「それ毒じゃないよね? 飲まなきゃだめ?」

「はい、毒ではありません。聖女様のお体のためですから」


 うっそりと呟くように小声で話す男、セオドアは何度となく繰り返されたこのやり取りも律儀に返してくる。この国に来てから、ずっと船酔いのような症状に悩まされていて、セオドアの作る薬を飲まないと治まらないのだ。王宮の学者さんが教えてくれたことには、この世界は眠る巨大なジゲドマグだかなんだかの背中に乗っていて、それが呼吸して身じろぎするので常に微弱な振動が地面に伝わってくるのだそうだ。この国の人たちは生まれた時からそうだから慣れているけど、私だって地震大国日本からやってきたのに、三年間ずっと船酔い状態だ。

 聖なる力でどうにかなんないのかって? そんな力あったらとっくに使ってる。地球は丸いのよ? 地震でもない限り地面は体感で分かるほど揺れないし、ジゲなんとかの上に乗ってたりしないんだから! 聖女様は儚げに見えるって言う人がいるけど、それただの船酔いだから。酔い止め飲んで吐き散らすの我慢してるだけだから! この国はちょっと昔のヨーロッパくらいの生活だし、女性も淑やかで控えめにしてるのが普通みたい。空気の読める日本人の私としては、なるべく大人しく日々を過ごすことにしてる。まあ、いつでも薬を出せるように四六時中そばにいるセオドアには本性バレてると思うけど。

 私は渋々杯を受け取って、息を止めて一気に飲み干した。セオドアは心なしか嬉しそうにそれを見つめている。最初は会話どころか近くに寄るのも畏れ多いとばかりに遠巻きに見られていたけど、三年も経てば慣れるし少しは表情の変化も分かるようになるものだ。

 ……にしてもセオドアはモサい。濃紺の髪は伸び放題でほとんど顔を隠してしまっているし、背は高いけどひどい猫背。常に黒っぽいフード付きのローブを着た彼は、文字通り陰気が服を着て歩いているような男だ。これでも百年に一度の天才魔術師だっていうんだから、人は見かけによらないなと思う。陰キャで挙動不審すぎてどこが天才なのか分からないけどね。

 歳は二十代前半って言ってた気がする。せめてイケメンだったら目の保養になったのに。可愛くないから名前だけでも可愛くしようとセッチャンと呼んでいる。

 私は近くに控えていた侍女の手渡してくれた水をがぶ飲みし、ようやく人心地着いた。


「セッチャン……地球は丸いの……そして回っているの」

「チキュウとは? それはお告げ……でございますか?」

「なんと! それはまことか!」


 ただの八つ当たりだしそんな訳あるかとツッコもうとしたところで、またややこしい感じの人が部屋に入ってきた。私にプライベートはないのか。

 入ってきたのは無駄にキラキラした男、ルキウス・アゼスカ。この国の第一王子だ。絵に描いたような金髪碧眼、長身で顔も良いが、ナルシストでオーバーアクションなところに内心ドン引きしている。

 私の何気ない一言をなんか誤解してるけど、さてどうしよう。とりあえず偉い人の前では猫を被ることにしているので、私は儚げオーラを出しつつ俯いた。


「……えっとぉ、そう、いまセッ……セオドアのお薬をいただいたら、女神さまのお告げがあって。『チキュウ』つまり私が元いた世界のことですが、そちらに帰れるとかなんとか言ったり言わなかったり……」

「まるい、回っている、とは?」

「時が巡りきてすべてがまるく治まる? みたいな?」


 完全に口から出まかせだけど、方法がなかったとしてもお役御免になったりしない……かなあ。辛気臭い神殿の奥で祈り続けるだけの生活なんてもう嫌なんだが。祈りとやらもそれらしくやってるけどちゃんと効いてるのかどうかも分からない。


「そ、それで帰る具体的な方法とは? もし帰れなくてもずっとここにいていいのだぞ? ゆくゆくは私のきさ」

「あああ、具体的な方法については何も……時が来れば分かるとだけ」


 そういうめんどくさいのいいから! ただでさえめんどくさいのに、結婚なんかしたら一生この暑苦しさから逃れられないじゃないの。


「あの……それについては私も独自に研究を進めておりまして……」

「なに!?」


 しどろもどろになりかける私に意外なところから助け舟が出された。王子のキラキラムーブに押され、それまで部屋の片隅で置物と化していたセオドアがおずおずと口を開いたのだ。


「それってマ!?」


 これには私も飛びついた。毎日毒飲ませてくる陰気な男かと思いきやなかなかやるじゃないの。天才の称号は伊達じゃないのね! と手の平返しで彼に近づく。見上げると、紺色の前髪の向こうで動揺している気配がする。


「いえ、あの、まだ研究段階ではっきりしたことは何も……」

「いいから言いなさい! 聖女命令です」


 そんな権限ないけどこの時ばかりは猫を遠くに放り投げて居丈高に命令する。このままここに居続けたら王太子妃候補を巡るドロドロの愛憎劇とか、政治的な思惑とか、聖女を狙った周辺諸国の陰謀とかに巻き込まれそうじゃない? 私は日本に帰りたいだけなの! 最初の頃にも一年経った頃にも散々泣いて喚いて抗議したよね? 忘れたとは言わせない。

 セオドアは諦めたようにローブの中から包みを取り出した。金糸をほどこした紫色の柔らかそうな生地に何かが包まれている。


「なんとか聖女様が元の世界に帰れる方法はないかと師匠の家で古い文献を漁っていた時に、こんなものを見つけまして……」


 言いながら包みを開くと、古ぼけた数枚のカードが出てきた。私には読めない文字とおどろおどろしい絵が書いてある。見るからに魔力がこもっていそうな怪しいカードだ。セオドアは小さな声でそこに書かれた文字を読み上げていく。


「激しい痛みの赤、胸苦しい恐怖の緑、ゾッとするような薄紫、醜悪な灰青」

「え、なにそれ、こわい」

「ええ、毒の作り方のようです」

「毒!?」


 私と王子の声が重なった。元の世界に帰るのと毒となんの関係があるのよ。まさか今まで散々八つ当たりした腹いせに毒殺しようってんじゃないでしょうね。


「そんなの飲んだら死んじゃうじゃない!」

「ええ、一度魂を肉体から引き剥がして死んだ状態にするようなのです。一種の反魂ですね。カードと共に保管されていた文献にその詳細が書いてありました。適切な陣を描きこの魔力を帯びたカードを配し、ここに書かれた材料を集めて儀式を執り行うのです」

「えー、死ぬのやだー。女神さまに呼ばれた時だってそんなの言ってなかったよー。ほんとに死んじゃうかもしれないし、無事帰ったかどうやって確認するの?」


 こんなことならちゃんと最後まで原作読んでから召喚してくれよぉ。ぶんむくれる私を物珍しそうに見た王子とセオドアは顔を見合わせた。はっ、いかんいかん、儚げ儚げ。


「無事帰還したという声が聞こえたと書いてあります。なにぶん古い書物なので定かではありませんが」

「うーん……うーん……まあ、帰れた人がいるってことだよね? だったら可能性にかけてみてもいいかもしれない」

「……それほどまでに帰りたいのですか」

「そりゃそうでしょ」


 こころなしか恨めしそうな雰囲気を醸し出すセオドアに強気で言い募る。だっていきなり連れてこられたし、日本には家族も友達もいるし、学校だって行きたいし、憧れてる職業だってあった。彼氏はいなかったけど、これから恋だってしたい。こんな怪しさ満点の提案にだって縋りたい。俄然やる気が出てきた。


「わかりました……。ただ、カードが一枚足りません。万が一でも手違いが起こらないように文献も詳しく調べないと……」

「オッケーオッケー! 私も手伝う!」

「……は?」

「ツバキ、君は聖女なのだから日々の務めがあるだろう。それは他の者に任せれば」

「何言っちゃってんの。これは私のことなんだから自分でやる。日々の務めってなに? 一年で済むって言ったのにまだ足りないの? ヘドちゃんもお利口におねんねしてるって!」

「ヘドちゃん……?」


 私は王子の背中をパーンと叩き、ハッと我に返る。いかん、完全に素が出ちゃってるぅ。聞き分けの良い従順な聖女像崩れちゃったじゃん。不敬罪で首飛んだりしないよね? たしか聖女様って王族と同じ扱いだよね? ね? 慌てて愛想笑いを浮かべる私に、青ざめた王子とセオドアは無言で頷いた。

 かくしてカード探しと帰還の方法を探る日々が始まったのだった。

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