41話:園田「若月くんとその周りの色が、とても色鮮やかに見えた」

 ☆☆☆


 ドアを開くと同時に、ふわりと若月くんの香りが漂った。

 白いレースのカーテン越しに太陽の光が部屋を照らして、白く眩い。電動ベッドの上に座って、驚いたように目をまん丸にさせた若月くんがこちらに顔を向けていた。


「園田さん? どうしたの? 凄く不安そうな顔してるけど」


 若月くんは、眉をハの字に下げて軽く首を傾げた。


「わか月、くん?」


 ポツリと名前を呼んだ。


「どうしたの?」


 若月くんが優しく返事をしてくれた。

 一歩、踏み出す。ゆっくりとドアからベッドまでの二メートルくらいの距離を詰めていく。その間、本当に若月くんだよね。幽霊とかじゃないよね。私の頭は一度おかしくなっちゃったから、幻覚を見てるわけじゃないよね。そんなことを考えながら近づき、ベッドの脇に立って、恐る恐る若月くんの手に触れた。

 全身に、びりびりと電気が走ったように体温が伝わってきた。

 若月くんが生きてるっていう証拠。幽霊とか幻覚じゃなくて、目の前にいる若月くんは本物なんだ。


「わか月くん」


 足に力が入らなくなって、その場に膝をついた。それでも、手にはギュッと力を込めて、精一杯若月くんの手を握った。


「うん」


 少し低いトーンの優しい声色。

 その声を近くで感じて、ずっと我慢していた涙が止め処なく溢れる。ぽたぽたと、へたり込んだ私の足元に涙が雫となって落ちていく。


「よかった。よかったよ。わか月くんが生きててくれて、よかった……」


 ただそれだけしか考えられない。生きていてくれて良かった。


「わか月くんがいなくなったら、わたし……生きていてくれて、よかった」


 声が震える。顔もくしゃくしゃで凄く不細工になってると思う。だけど、そんなの関係なく若月くんの顔を見たくて、涙で濡れた顔を真っ直ぐ若月くんに向ける。


「えっと、どうしたの? ここに来たってことは千堂さんから僕が目を覚ましたって聞いたんだよね?」


 若月くんが少し困惑したように尋ねてきた。

 私は首を横に降って、莉歩に言われたことを伝える。


「わか月くんの容たいが、急変したって」


 若月くんが、「え?」とドアの所に立っている莉歩に顔を向けた。


「急変したじゃん。ずっと寝てた状態から意識取り戻してるしさ、これもある意味急変でしょ」


 私の背中の方から莉歩のおどけた声が聞こえた。


「なんでそんな誤解するような言い方をするのかな」


 若月くんが呆れたように莉歩に言葉を返した。


「言ったでしょ。ナコがここに『すぐに来る』って、そういうことだから」


 莉歩の答えに若月くんが何か納得したように「ああ」と口にした。私には、二人の会話のほとんどの意味がわからなかった。


「それと、ナコが死にたいとか言って、みんなを悲しませた罰も込めてるかな」


 莉歩が悪戯な笑みを浮かべた。

 その笑顔の意味は私にもわかった。それは莉歩が冗談を言ったってこと。

 確かに死にたいって言った。それでみんなを悲しませて申し訳ないなって思う。でも、いくらなんでもこれは酷い。文句を言ってやろうと、莉歩に鋭い目を向けた。


「じゃっ。ナコから怒られる前に帰るよ」


 莉歩は私が何を言うのかわかったみたいで、私が文句を言う前に笑いながら病室のドアを開いた。看護師さんの慌しい声と、どこかで楽しげに会話をしている人の声が部屋に入ってきた。


「莉歩!」


 開いたドアから出ていく莉歩に向かって、できるだけ大きく叫ぶ。無邪気なポニーテールが揺れたのが見えて、莉歩の笑い声が聞こえてきた。

 ドアが閉まると、廊下の喧騒は小さくなる。若月くんが少し動いて、さらさらとシーツの擦れる布の音がする。

 私は、また若月くんに目を向けた。

 若月くんもベッドの上から私を見つめていて、目が合わさる。

 癖のある黒い前髪に少し隠れた、きらきらと瞬いている三白眼の目。その目に見つめられて、胸が締め付けられた。

 握ってる手から感じられる体温。耳を澄ませば聞こえる優しい息使い。この世の全てを綺麗なものとして見ているような、小さな宝石のような黒い瞳。

 若月くんの全てを肌で、耳で、目で感じて、私はどうしようもなく、若月くんのことが好きなんだと改めて感じた。

 若月くんとその周りの色が、とても色鮮やかに見えた。

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