40話:若月「会いたい」
◆◆◆
見覚えのない天井と、液体の入った透明のパックがぶらさがっているのが視界に入った。
声を出そうとしても、上手く出せない。さっきも横断歩道を渡る園田さんに危ないと言おうとしたのに声が出なかった。
自分の腕から管が伸びている。
なんだこれ。一体どうなった。僕は夜に家からいなくなった園田さんを探しに出た。そこでようやく園田さんを見つけて――脳裏に、車が迫ってくる映像が浮かんだ。
そうだ。園田さんに向かって、スピードを緩めずに車が突っ込もうとしていたんだ。それを僕はどうにか助けようとして、車道に飛び出して。
「ほおだはん」
喉がカラカラで言葉にもなってないけど、ようやく声が出た。
園田さんはどうなった。やっと退院して、これから僕もずっと園田さんのことを支えようとと決めたのに、轢かれたりしてないよな。僕はちゃんと助けられたのか。
上体を起こそうとする。でも、全身がかなり痛み、呻き声が漏れた。でも、こんな痛みなんてことない。僕がぶつけてしまった言葉や態度に園田さんはきっと傷ついた。その心の痛みに比べたら、こんなのかすり傷だろ。
痛みを我慢して無理矢理体を起こした。すぐにでも園田さんの無事を確認しに行きたい。動きたいのに腕から伸びた管が邪魔だ。それを掴んで引っこ抜こうとした。
「ちょっとタンマ」
その声と同時に、管を抜こうとした右手を掴まれた。驚いて、腕を掴んできた相手に顔を向ける。
切れ長の目に泣きボクロが少し大人びて見せる、ポニーテールで気の強そうな顔。千堂さんが眉間に皺を寄せて、険しい顔で僕を見ながら掴んだ腕に力を込めた。
「へんどうさん。そおださんは」
「ナコはいないから」
その言葉に胸が刺されたみたいに痛んだ。同時に眩暈を起こしたみたいに目の前がぐわんぐわんと揺れた。
いない。どういうことだ。もしかして僕は助けられなかったのか。園田さんはあの車に轢かれてしまって、そのまま・・・・・・。
目の前が滲む。涙が目尻から溢れて、声にも鳴らない呻き声が漏れた。胸の痛みがざわつきに変わり、不安と後悔が僕の中で渦巻いた。
「ちょっ、あんたなんで泣いてんの? 体やっぱ痛い?」
「ちあう」
「というかさっきから何言ってんのか聞き取りづらい。ちょっと水飲め、ほら」
千堂さんが透明の急須にペットボトルの水を入れて、注ぎ口を僕の口の中にいれた。
「ゆっくり飲んで」
そう言いながら、急須を少しずつ傾けてくる。口の中に水が流れ込んできて飲み込むと、体全体に染み渡るような感覚がした。
ある程度飲むと、千堂さんは急須を離した。僕も口の中に残った水を全部飲み込んでから聞きたいことを尋ねた。
「園田さんがいないってどういうこと、やっぱり車に轢かれて・・・・・・」
また視界が滲んだ。助けられなかったということが悔しい。どうして僕はあの時、すぐに動けなかったのかと、自分の足を恨んだ。
「え、あんた何言ってんの?」
千堂さんが何を言っているのかわからないと言った様子で首を傾げた。
「園田さんに向かって車が迫ってきたのは覚えてるんだ。でも、そこから記憶がなくて、さっき千堂さんも園田さんはいないって言ったから」
「あー」
千堂さんが後頭部を掻きながら、間延びした声を漏らした。
それに対し怒りがこみ上げてきて、思わず怒声をあげた。
「なんでそんなに呑気なんだよ!」
「いやごめん、あたしの言葉が悪かった」
「言葉が悪いってどういうことだよ」
「ナコは『ここには』いないってこと。あんたが心配してるような車に轢かれたってことはないから」
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。
「だから轢かれてない。若月のおかげでナコは無事だった」
「無事? 怪我とかもしてないってこと?」
「そう、かすり傷くらいはあったけど全然平気。今はリハビリに行ってる時間だから、ここにいないって意味で言ったの。あたしはナコとかあんたの親がいないときの付き添い」
お腹の底から息がこみ上げてきて、それを思い切り吐き出した。さっきまでの胸のざわつきは一気になくなり、安堵した。そして独り言のように呟いた。
「園田さん、リハビリ頑張ってるんだ」
それが千堂さんにも聞こえたらしい。
「うん、最近は外歩いたりしてる。あの病院、坂多いけど上れるようになってる。家でも漢字の書き取りしたり、お母さんと一緒に料理を作ったり、色々自分でも考えてやってる」
僕はその言葉に嬉しくなった。どんどん回復していってるんだとわかったからだ。そして、どうしようもなく園田さんに会いたいという気持ちが溢れてきた。
「今から、リハビリ見に行こうかな」
そう言った僕に、千堂さんが顔を顰めて「はあ?」と冷たく言い放ち、こう続けた。
「いや無理だから」
「無理? 園田さんのリハビリは面会謝絶とかってこと?」
「あんたねえ、自分の状況理解してんの?」
千堂さんは呆れたように溜息をついた。僕は「自分の状況?」と聞き返す。
「ナコを助けたときに、若月が車に轢かれたの。何カ所か骨折もしてるし、十日くらい意識無かったんだから、今から会いに行くは無理だろ」
「え、僕が車に轢かれた?」
「そうだって言ってんじゃん。だから入院してるし、色んな機械とか点滴が体につけられてるんでしょ」
そこまで言われてようやくここが病院で、体につけられていた管が機械や点滴に繋がっていることに気付いた。
そうか、僕は園田さんを助けることができたんだ。それなら、さっき見た光景は夢だったってことか。僕は夢を現実だと思い込んで焦り、冷静な判断も出来ずにパニックになっていたらしい。
それがわかると、今度は可笑しくなって、思わず噴き出して笑ってしまった。
「え、急に何? 頭打っておかしくなった?」
千堂さんが不安そうに尋ねてくる。
「いや、ごめん。夢を夢だと思ってなくて取り乱した自分が馬鹿みたいだと思ったら、可笑しくて」
僕は笑いながら、噴き出した理由を口にする。千堂さんはそれを聞いて、呆れたように肩を竦めていた。
「とりあえず、若月が起きたこと看護師さんに言ってくる。あたしはそのまま帰るから、若月は安静にしてろ」
「うん、わかった。ありがとう」
「別にあんたのためじゃないから」
千堂さんはそう言うと部屋を出て行った。でもすぐに、ポニーテールの後ろ髪を揺らして顔だけを覗かせてきた。
「あ、そうそう。ナコは『すぐに』ここに来るから、驚かないようにしといて」
「え、うん。わかった」
「じゃあねー」
今度こそ千堂さんの姿は部屋の向こうに消えた。僕は千堂さんの言葉の意図がわからなかった。
すぐにって強調してたし、驚かないようにってどういうことだろう? いくら考えても答えは出そうに無かった。
少しして、看護師がやってきて痛みが無いか等を聞かれた。その後に医者もやってきて、色々チェックをされた後、どこを怪我しているか、どういう状況なのかを教えてもらった。
数十分程で、それらからは解放された。
僕は十日程意識が無かったらしい。そのせいか、一時間にも満たない時間だったのに、やけに疲れた。
病院のベッドに寝転んで、窓の外を見る。
この季節は十日もあれば、別世界に来たみたいに気候は移り変わる。もう紅葉の季節は終わったのかな。今年も園田さんと見に行きたかったな。
病室の窓から見える位置には木はなくて、その確認はできなかった。代わりに目を見張るくらい青い晴天が目に入った。
これだけ晴れていたら、園田さんは外を歩くリハビリをしているかもしれない。頭の中で、ゆっくりと歩く園田さんの姿を思い浮かべる。そして、何度も心の中で園田さん頑張れ、と唱えた。同時に園田さんに会いたいと強く思った。
その気持ちは時間が経てば経つ程、膨れ上がっていく。その思いを押し留めることができなくなり、痛みを我慢しながらもう一度体を起き上がらせた瞬間、部屋のドアが開いた。
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