28話:園田「もう化粧もウィッグも必要なくなった」
☆☆☆
電気のついていない薄暗い病室。
ツクツクボウシの鳴き声も空調の音も、看護師さんの働く音もいつも通りなのに、やけに響いて聞こえる。
若月くんが出て行った病室はいつもどこか物寂しい。だけど、今日の寂しさは胸を突き刺すように冷たくて耐えられそうにない。目から涙が溢れてくる。
ダメだよ。せっかく莉歩が綺麗にお化粧してくれたのに崩れちゃう。
でも、この化粧は全部若月くんと会う為にしていたものだ。別れてしまった今、崩れたところで問題はない。
私は誰もいない病室で涙を流した。涙で化粧が崩れようが布団にファンデーションがついてしまおうがお構いなしに、布団に顔を押し付けて泣いた。
右頬に長いウィッグの髪が触れる。
これだってもう着ける必要なんて無い。若月くんに可愛いって思ってもらうことも、もう無いんだから。
動かせる右手でウィッグを掴んで外す。空調の風が坊主より少し長いくらいまで伸びた私の頭を撫でる。ひやりと手術跡に冷たさが伝った。
枕元にあった、若月くんの優しさの象徴だった絵本も無くなった。
毎日シャワーできない私の体のニオイがわからないように、買ってきてもらった芳香剤の強い香りのせいで、若月くんの匂いが残っていない。
私から別れを告げたのに、病室のどこかに若月くんの面影が残っていないか探す。だけど、本当にここに若月くんが来たことなんてあったのかな。そう思う程、痕跡はどこにも無かった。
「わか月くん」
涙混じりの震える声で名前を口にする。だけど、この声は届かない。
胸が痛い。
決めてたことなのに、私は自分の出した答えの辛さに押し潰されそうになる。
夏の図書館と花火。秋の山の紅葉と卵トースト。冬の公園と流星群。
病気になっても若月くんとの思い出は全部残ってて、それが頭に過ぎる。
その思い出の中の若月くんは、どれも微笑んでくれている。
だけど、この病院に来てからの若月くんの表情を思い浮かべると、どれも笑っていなくて、悲しそうな顔、困った顔、怒った顔だった。
若月くんの優しい笑顔を奪ってしまったのは全部私だ。だから、若月くんの傍にいちゃダメだって別れたのに。
神様、若月くんをここにまた連れてきて下さい。
私はそんな無理難題を心の中で強く願ってしまう。
離れるとこんなにも辛くなるくらい、若月くんは優しくしてくれていたんだ。それに自分がどれだけ甘えていたのかをやっとわかった。
神様、お願いします、若月くんをここに。
もう一度、そう祈ったとき、部屋にノックの音が響いた。
その音に、布団にうずめていた顔を上げてドアを見る。
もしかして、本当に若月くんが来てくれたのかな。そんな淡い期待を抱いて「どうぞ」と声を出そうとする。でも、涙で枯れた喉から声が出ない。
枕元に置いてあったストロー付きのコップに入っている水を飲んで喉を潤した。
「どうぞ」
やっと声が出る。
ドアが開く。胸がどきどきと鼓動する。
だけど、やってきたのは若月くんではなくて、クラスメイトだった。
一瞬、がっかりした顔をしてしまったのが自分でもわかった。それを悟られないように、すぐに笑顔の仮面を貼りつけて、口を開く。
「来て、くれたんだ。うれしいな」
嫌な性格だなって自分自身を心の底から嫌悪した。
雨上がりの空から陽射しが差し込んで部屋が仄かに明るくなる。
こんなにも私の気持ちは沈んでるのに、空模様は人の心とは重ならないんだな。なんて、当たり前のことを考えた。
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