第36話 ベイロン領の末路


 ベイロン領主屋敷の執務室では、ベイロン男爵が悲鳴をあげていた。彼の側にいる執事に向けて叫ぶと。


「民衆が蜂起しただと! すぐに鎮圧せよっ!」


 ベイロン領は魔物たちが討伐された後も、かなり酷い状態に陥っている。


 ベイロン領の民たちが一斉蜂起して領主の交代を求め始めたのだ。


 この貴族制の国においてこんなことは前代未聞の話であった。


 執事はベイロン男爵に対して言いづらそうに口を開く。


「じ、実は兵士たちの何割かも蜂起に参加しておりまして……向こうの方が数が多く……民衆はラクシア様を連れ戻せと叫んでおります!」

「へ、兵士が裏切ったというのか!? あれだけ食わせてやっていたのに! ごく潰しどもがっ!」


 ベイロン男爵の人望は地に落ちていた。


 なにせ今回の魔物の大発生は、ラクシアが追い出されたからだと民衆は知っている。


 今までのベイロン領は常にゾンビが徘徊していて、それがいなくなった瞬間にこれだ。どんな愚か者でも原因は分かる。


「くそっ! 民衆は他には何を言っている!」

「ベイロン領にゾンビを徘徊させろと要求しています!」

「奴らはバカなのかっ!?」


 悲鳴をあげるベイロン男爵。だが民衆からすれば当然の要求だ。


 なにせゾンビが徘徊していた間は、魔物の大量発生など起きなかったのだから。そしてラクシアの使役するゾンビは人に危害を加えない。


 安全なゾンビと危険な魔物ならば、どちらがいいかなど火を見るより明らかだ。


「ぐうう……! 愚かな民衆どもがっ! ゾンビが徘徊する領地など許してたまるかっ! 聖女はまだ来ないのか!?」


 激怒するベイロン男爵。執事はそんな彼に対して、恐る恐ると言った様子で発言する。


「領主様。聖女なのですが王都でとある噂が流れておりまして……」

「噂だと? どんなだ」

「王子と聖女はすでに婚約破棄していて、聖女は王都から出て行ったと……」

「そんなバカな話があるかっ!」


 ベイロン領は辺鄙なため、今まで王都の話が届かなかった。


 その上でようやく話が流れてきたのだが、距離があるので本当の話かまでは判断がつかない。そしてベイロン男爵は当然ながら信じない。


「王子から手紙が届いたではないか! 聖女を我が領地に派遣すると! 根も葉もない噂に決まっている!」

「は、ははは。そうですよね……」


 執事は渇いた笑みで答える。なにせベイロン男爵の目は血走っていて、迂闊な返事をすればどうなるか分からないからだ。


 だが執事は知っている。聖女が冒険者として活動している噂を。


 そして兵士たちの報告で、『信じられないほど強力な聖魔法を冒険者が放った』ことも聞いていた。


 そんな魔法を撃てるのは聖女くらいであり、先ほどの噂を合わせるとかみ合ってしまうことも。


「領主様。ここはラクシア様に領地にお帰り頂いて、民衆たちの怒りを鎮めるのが得策かと……」

「なにを言うかっ! あの愚かな元娘を、死霊闇呪術師を領地に戻すなど冗談ではないっ! アレはベイロン家の恥だ!」


 ベイロン男爵は自分の失態を認めない。いや認めるわけにはいかない。


 そんなことをすれば最後、ラクシアに爵位を譲れという話になりかねないからだ。


 また彼には貴族としてのプライドがある。民衆の意見を聞くということは、彼の中では民衆に屈したのと同義だった。


「まだ聖女様は来ないのか!? あのお方が領地を浄化して下されば、万事解決するというのに!」


 ベイロン男爵は自分に言い聞かせるかのように叫ぶ。


 それを聞いて執事は僅かに逡巡した後に、


「結局どういたしましょうか?」

「決まっておろう! 蜂起した民を打ち倒すのだ! これ以上、我が領地で好きになどさせない!」

「それは領民と戦うことになりますが……」

「逆らう者は領民ではないわっ! そうだ。ラクシアも殺してしまえばいい! あいつを暗殺でもしてしまえば、戯言を言う奴もいなくなるっ!!」


 狂ったように笑うベイロン男爵は、もはや正気の沙汰とは思えなかった。


「……本当によろしいのですね?」

「当たり前だ! あいつは私の娘なのだから、私がどう扱おうと自由だろうがっ!」


 執事は大きくため息をつくと、ベイロン男爵をばれないように睨むと。


「承知しました。では兵士たちに鎮圧を命じます」

「さっさとやれ! 抵抗する者は見せしめに殺して構わん!」


 ベイロン領がどうなるかは分からない。だがひとつだけ確実に言えるのは、愚かな事態になっているのは間違いないということだけであった。


 そうしてベイロン男爵の屋敷から少し離れた村の広場では、民衆たちが集まって蜂起していた。


 彼らは各々が武器を持って高々に叫んでいる。


「ベイロン領にゾンビを!」

「ゾンビは生者の味方!」

「好きな人が死んだからゾンビにして蘇らせてくれー!」

「ええ……」


 生きた人間が死者を求める異常事態。もはやこの地の状況はカオスになっていた。

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