プラヌラ結晶変異体

「あ・・・・・・」


 いつもいつも、こんなことばっかりだって、そう思う。

何か一つうまくいったと思ったら、それが全然意味なかったり、台無しにされたり・・・・・・。


 間が悪い、仕方なかった、運が無い。

そういう言葉で周りの人は片づけるけど、ただ一人わたしだけは引きずったまま、泣いたりもした。

けど、今回ばかりは・・・・・・。

泣くことも、許されないかもしれない。


「コーラル・・・・・・!!」


 数歩後ろから投げかけられるラヴィの声。

それは“繭”から溢れる光の帯に掻き消えていった。


「ああ、もう・・・・・・なんでこうなるかなぁ・・・・・・」


 光の発生源のすぐそば、わたしは紫色の光に包まれて、力なく笑った。

振り下ろした刃は、光とともに膨張するように吹き荒れた風に阻まれる。


 可能性としては、考えていた。

そりゃ繭なんだから、羽化の瞬間はいつか訪れる。

それは承知の上だった。


 ガリガリと、硬質な物体が削れるような音と共に結晶塊はその中央に向かって圧縮されていく。

眩い光にこれ以上近づくことはおろか、離れることもできない。


 辺りを埋め尽くす薄紫の中、一際濃い紫の光が帯となって渦を巻く。

その帯は幾重にも重なり、球状の光の塊を編み上げた。


 うねるエネルギーの・・・・・・暴力的なまでのプラヌラの渦を引き裂くように、光の球から青白い腕が伸びる。

一滴の血も通っていないかのような、真っ白で細い腕。

手のひらにすっぽりわたしが収まってしまう程の大きさの腕だ。


 それはしかし、何かを掴むでもなくもがくように不規則に動いた。

人の腕のような形はしているものの、あくまで形だけのようで、それは光の中から六本生えてくる。

サナギから孵るのだから、おそらく・・・・・・虫、なのだろう。


 その推測を補強するようにパキパキと硬質な音を響かせて、光から羽が伸びる。

絵の具をデタラメに塗りたくったような、ごちゃごちゃした色合いの面積の広い羽。

吹き荒れる光の渦にその羽から溢れる鱗粉が混ざって更に視界を悪くした。


 巨大な羽が、光と暴風を羽ばたきで吹き飛ばす。

六本の腕を地に下ろし、その羽を悠然と広げた。


「これが、変異体・・・・・・」


 やっと明らかになった全貌に、ラヴィが言葉を失う。


 蝶や蛾のように見えるが、プラヌラの影響で羽化が不完全になったのか、六本の腕が生える胸から続く腹はそこから別の生き物が生えているかのようにイモムシのままの体が尻尾のように生えていた。

脈動するイモムシ部分には節目に細かな毛がまばらに生え、ところどころ皮膚を突き破るようにして紫色の結晶が顔を覗かせていた。


 何よりも異質なのはその羽。

サイケデリックな模様に紛れるようにして、無数の眼球がキロキロと蠢いている。

そのグロテスクな羽が揺れるたびに真っ赤な鱗粉が日光にキラキラしながら舞った。


 羽に目玉を奪われたからだろうか、頭部には眼球らしき器官はなく、繊維のようになった剥き出しの筋肉が震えていた。

頭部に唯一ある器官は、いびつに歪んだ口のみ。

歯並びはガタガタだけれど、その白い歯にはどこか人間っぽさを感じて、それが酷く気持ち悪かった。


「何これ・・・・・・蝶? 蛾? なんで・・・・・・こんな人間のパーツ・・・・・・」

「それについてはなんとも言えないけど・・・・・・コーラル、ともかく今は逃げよう!」


 唖然とするわたしの手を引いて、魔物に背を向け走り出すラヴィ。

木々に紛れようと、森の中を目指した。

しかし・・・・・・。


「うっ・・・・・・」

「何これ・・・・・・!?」


 強風と共に、視界が赤に埋め尽くされる。

何これとは言ったが、その正体にはすぐに合点がいった。


「鱗粉だ・・・・・・。けど、大丈夫。視界が悪くてもこの距離なら・・・・・・」

「ね、ラヴィ・・・・・・これ、なんか肌がヒリヒリする・・・・・・」

「・・・・・・まぁ、体にいいわけないよな・・・・・・」


 鱗粉の触れた皮膚が熱い。

それはすぐに痛みに変わる。


 耐えられないような激痛ではないが、不快感が鋭く皮下まで蝕んだ。

鱗粉を吸ったせいで喉もどうように嫌な感じに支配される。

目からも反射的に涙が滲むが、今のところそれ以外にどうというのはなかった。


 繭のあった開けた空間。

視界の悪いなか走り出したが、体感時間的にはそろそろ森に入れるはずだ。


 やがて、舞い散る赤の中に薄ら樹木の影が見えてくる。

それにひとまずほっとするが、それも長く続かなかった。


 ぬっと、視界を横切る白。

赤い鱗粉の中を泳ぐ、幽霊のようなそれは魔物の腕だ。


「くっ・・・・・・」


 進路を塞ぐように現れた腕に、ラヴィが狼狽える。

その腕を避けるために横に逸れようとするが・・・・・・。


 バン、と激しい衝撃がわたしの腕に響く。

ジンジンと、骨に痺れが広がる。

だがそれ以上に・・・・・・。


「そん、な・・・・・・」


 わたしの手を引いていたはずのラヴィの姿が無い。

目の前にあるのは生白い腕だけ。

しゅるしゅるとヘビのように引いていく腕、その手のひらにはラヴィが握られていた。


「わたしが・・・・・・手を離したから・・・・・・」


 あまりにも唐突な出来事に、固まる。

まだ手のひらに残ってるラヴィの温度が、この何もかも嘘みたいな状況を現実だと物語っていた。


 わたしのせいで、ラヴィが・・・・・・。

このままじゃ、どうなる・・・・・・?

わたしはどうしたら・・・・・・?


 いくつもの可能性が頭をよぎる。

だがそのどれもが、死に収束する。


 こんなことで、終わるの?

こんな、なんでもない日に、なんにも残せないで、あっさり?


「ああ、もうなんで・・・・・・」


 いつもこうだ。

いつもいつもいつも、欲しいものは手に入らないし、大切なものは波にさらわれていく。


 わたしの人生はそうあるべきだって、そう神様が言ってるみたいに、奪っていく。

そんなの、もう・・・・・・。

ごめんだ。


 短剣は、まだわたしの手に握られている。

この刃は何のためにある?

今日、ここにわたしは何をしに来た?

いや・・・・・・今日までずっと、わたしはラヴィと何をしてきた?


 こんな運命、変えるために・・・・・・足掻いてきたんだ。

もう奪わせない。

例えこの身に変えても。


「返して、もらうよ・・・・・・」


 振り向けば、こちらを見つめる無数の視線。

赤く濁った景色の中に薄ら浮かぶ、白い歯。


 怖い。

怪物だ。

一目でわかる、やり合ってはいけないと。


 だけど。

今くらい、カッコつけないと・・・・・・ラヴィに相応しくない。


「お前なんかに、負けない」


 わたしを誰だと思ってる?

わたしは・・・・・・積毒のコーラル。

たぶん、きっと・・・・・・いずれ世界中に名を知らしめる冒険者だ。

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