救出
魔物の羽の無数の瞳がわたしを見つめる。
その視線に知性や意思は感じられない。
眼球はこちらに向いているのに、こっちを見ているのかすら定かではない。
虚ろで、濁った目。
今はその六本の腕で地を踏み締めている。
ラヴィはその内の、左側の真ん中の腕に握られていた。
意識はあるようで手のひらの中で身を捩っているが、そのたびに魔物に過剰に反応され地面に叩きつけられている。
完全に背を向けて“逃げ”の姿勢になっていたさっきとは違う。
視界は悪くとも、魔物のその醜悪な姿を視界に収めている。
さっきみたいな不意打ちは食わない。
覚悟を決めて、その巨体に臆さず接近する。
駆け寄るわたしを、羽の眼球はしっかり追従していた。
その視線から逃げるように魔物の側面に回り込む。
しかしわたしに近い位置の眼球が順繰りにギョロギョロ動き、わたしを瞳に捉えて逃さない。
「・・・・・・死角は・・・・・・ない、か・・・・・・」
確証はないが、少なくとも今は悠長に観察していられるときでもない。
イモムシ部分の影に潜めたらとも思ったが、羽に目がついてる以上上から見下ろす形になるから、たぶんそこに身は隠せないだろう。
「ともかくラヴィを・・・・・・!」
一応意図して左側に回り込んだが、無策にラヴィを引っ張りに行っても、捕まるか払い飛ばされるかするのがオチだ。
魔物はわたしを再び正面に捉えようと羽をはためかせ飛び上がる。
イモムシのままの腹を重たそうにしているが、六本の腕はふわりと地面から離れた。
そんな攻撃ですらない動作に、ちっぽけな人間のわたしはほとんど対処できない。
羽が地面に叩きつけた風が皮膚すら切り裂くような鋭い強風になってわたしを飲み込む。
吹き飛ばされこそしないが、身動きがとれなくなる。
風に巻き込まれた鱗粉が体に強く吹き付けられて、その砂つぶのような粒子がわたしの肌を引っ掻いた。
遅れてやってくる、毒による痛み。
やはり強烈ではないが、その熱を持った痛みは先程より酷くなっているように感じた。
「ただ、やっぱり大した毒じゃないみたいだね。同じ毒使いとして同情するよ」
誰かが、自然界において毒は弱者の持つ最後の切り札だと言っていた。
強い毒を持たないあの魔物は、じゃあきっと元から強い生物だったのだろう。
対する弱者のわたしの頼みの綱は、やっぱりこの毒だけ。
前はその毒すら弱かったけど、今は・・・・・・その限りじゃない。
当てれば勝ち、だ。
弱者の切り札・・・・・・味わわせてやろう。
魔物は着地し、暴力的な風は既に止んでいる。
わたしはラヴィみたいに要領よくないから・・・・・・結局あれこれ考えても仕方ない。
だから・・・・・・。
「まぁ結局・・・・・・」
その都度対処。
無策で突っ込んで、翻弄されながら・・・・・・そうやってなんだかんだでラヴィを取り返してやる。
何か考えがあったわけではないが、本能的に巨大な口に怯えて、やや斜めの角度で魔物に向かっていく。
魔物はまだサナギ気分なのか、反応が鈍い・・・・・・と思っていたのも束の間、一定の距離に近づくとすぐさま攻勢に転じてきた。
乱暴に枯れ枝のような腕をわたしを狙って叩きつけてくる。
わたしはそれを半ば転倒するようにギリギリ身を躱す。
膝を擦りむきながらなんとか体勢を立て直すが、その時には既に別の腕が頭上に迫っていた。
腕の本数の多さを遺憾無く発揮している。
やっと体勢が整ったところだったのに、結局その場を飛び退くしかなかった。
わたしの体のすぐ横に、骨ばった手のひらが叩きつけられる。
その衝撃は横に飛び退いたわたしの体を地面から跳ね上げる。
何十センチも跳ねたわけでもないが、尾骶骨から伝わった衝撃は四肢を軽く痺れさせた。
今ばかりはそうするほかないので、その痺れの痛みを踏みにじって駆ける。
腕の可動域から逃れるように斜めに。
しかし魔物はドタドタとすぐに角度を合わせてくる。
そして・・・・・・。
次にわたしを叩き潰そうと迫ったのは、ラヴィを握った拳だった。
「あ、待っ・・・・・・それはまずい・・・・・・」
これじゃわたしが避けられてもラヴィがどうにも助からない。
人間の体なんか、簡単につぶれる。
思考の猶予は無い。
そんなわたしが捻り出した苦肉の策は・・・・・・。
「こンのォッ・・・・・・!」
ヤケクソ。
迫る拳に向かって跳躍を果たした。
魔物の手のひらの中でぐったりしているラヴィの体に手を伸ばし、その服の端をなんとかつかまえる。
そのまま跳躍の勢いで引っ張って・・・・・・。
「抜けないッ・・・・・・」
ラヴィの体が少しばかりズレるが、脱出に至らない。
拳は、魔物自身にも止められず大地に迫る。
その瞬間・・・・・・。
「コーラルのおバカ。でも・・・・・・ナイス!」
こんな状況にも関わらずわたしの無茶を叱るラヴィ。
そのラヴィは歯を食いしばり、わたしがラヴィを引いたことで出来たスペースに離さずにいた剣を突き立てた。
その刀身自体をつっかえ棒にする形で、魔物の手のひらから滑り出した。
魔物の拳は地面に沈み、わたしたちの体はすっぽ抜けて空中に取り残される。
そしてそんなわたしたちを、羽虫を払うかのように魔物は手のひらではたいた。
圧死は免れたものの、強烈な衝撃と共に数メートル先の樹木に叩きつけられた。
ラヴィはわたしを庇うように咄嗟に木とわたしの間に入り込む。
そのせいで背中側から呻き声が聞こえた。
みしりと軋んだ樹木の幹を、ずるりと滑り落ちる。
ラヴィはその衝撃にも歯の隙間から震える息を漏らしていた。
「ぅぐ・・・・・・ま、とりあえずは・・・・・・」
背中側から弱々しいグッドサインが伸びる。
その腕は内出血だらけで、指の関節のあたりは裂けるようにして皮下の血肉を覗かせていた。
「ごめんラヴィ、えと・・・・・・大丈夫?」
わたしですら全身痛いから、ラヴィの方は・・・・・・考えたくもない。
ラヴィは流石に辛そうにしながらも、それでも笑った。
「はは、正直なところかなりしんどい、けど・・・・・・。生きてるからまるもーけ」
魔物の平手打ちで多少距離は開いたが、その顔はもうこちらに向いている。
顎の筋肉を震わせて歯をガチガチ慣らしながら、鱗粉を降らせていた。
さぁ、今ここで拾った命・・・・・・持ち帰ることができるだろうか?
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