40℃前後

 ラヴィの家に着く頃には、すっかり空は夜の色になっていた。

まだ薄暗いくらいで真っ暗じゃないが、もう夜の虫が鳴きだしている。


 扉を開けて、二人で玄関に。

プリンの粘液もとりあえずそこに下ろした。


「さ、到着・・・・・・なんだけど、このままお風呂に直行しちゃおうか。この体じゃ・・・・・・とても家の中を歩き回れない」

「え、ラヴィの家お風呂あるの!?」


 お風呂付きの家だなんて、なかなかの贅沢だ。

ダンが買った家はラヴィの家より大きかったけどお風呂は無かった。

だからいつも銭湯に行っていたのだ。


「まぁ古い家だからね」

「古い家だと・・・・・・お風呂があるの?」

「昔はどこの家にもあったんじゃないかな? あっ、通りにある大浴場みたいな大したものじゃないからね?」

「へー・・・・・・」


 わたしの疑問に答えながら、ラヴィは一足先に家の中に歩みを進める。

べちょり、と粘液が床に足跡をつけた。


「お風呂まで最短距離で行くから、着いてきて。あ・・・・・・とりあえず体流さないとしょうがないから一緒に入ってもらいたいんだけど、そういうのは気にしない?」

「え、あ・・・・・・うん。気にしないよ」


 公共の浴場を今まで利用してたんだから、別に同性に肌を晒すことに抵抗は無い。


「そ、よかった・・・・・・。じゃあ滑らないように気をつけて着いてきて」

「わか、あっ・・・・・・」


 ラヴィの後を追おうと一歩目を踏み出したとき、粘液がずるりと爪先を滑らせる。


「ぎゃ」


 その結果、注意されて何秒も経たないうちに派手に転んだ。

床に粘液が飛び散り、わたしが体を起こすとねとーっと糸を引く。


「ご、ごめん」

「はぁ・・・・・・後で掃除、手伝ってよ」

「あはは・・・・・・」


 再び転ぶことのないように細心の注意を払って進む。

他の部屋に繋がる沢山のドアに面したこの家の真ん中とも言える通路、その一番奥に見えるドアにラヴィと向かっていった。


 ラヴィがそのドアを開けると現れるのは鏡に洗面台、床に敷かれたマットと籠が置かれているだけの狭い部屋だった。

いや、部屋というのかも分からないほどの空間。


 しかし、今しがた開いたドアのすぐ正面にすりガラスの扉があるのが見える。

その先が浴室だろうというのは容易に想像できた。


「じゃあ脱いだ服は・・・・・・まぁ仕方ないからその籠に入れて。後、まだお湯張ってないからちょっと辛抱してね」

「あ、うん」


 それだけ言うと、ラヴィは服を脱ぎ始める。

服が張り付いてしまって脱ぎづらそうだ。


 わたしもそれに倣って服を脱ぐ。

一動作が完了するたびに服の隙間からどろりとした粘液が垂れた。

服の内側から流れ出してくるそれは、わたしの動きで空気を多分に取り込んでいたようでやや濁っている。

ちょっと泡立っているようにも見えて、汚らしく見えた。


「うへぇ・・・・・・」


 素っ裸になると随分と体が軽くなったように感じる。

それだけ服が水分を吸っていたということなのだろう。

服を脱いで尚肌の表面がぬるぬるしていて、まぁ確かに保湿と言われればそうなんだろうなという感じだった。


 ラヴィはわたしがいちいち体のぬるぬるを気にしている間に、先に浴室の方に向かってしまう。

開かれた扉の向こうには、人一人がやっと脚を伸ばしきれるくらいの丸い浴槽が見える。

細かなタイルに覆われたそれは、確かにいくらか古臭く見えた。


「ってか、え・・・・・・狭くない?」

「だから言ったじゃない」


 ラヴィが浴槽にお湯を張るための蛇口を捻りながら答える。

水垢がついてやや白っぽくなった銀色の蛇口から吐き出される液体は最初からお湯の状態で出てきているようで湯気を昇らせていた。


「いや、ここまでとは・・・・・・。二人で入るわけだし、二人分くらいの大きさはあるかなぁって・・・・・・」

「二人入らないことはないくらいの大きさではあるからね」


 ラヴィがお湯を手桶に溜めながら答える。

そう言われてしまえば「まぁそうなんだけど」と言うほかなかった。


 ラヴィが手桶のお湯で体を流し、もう一度お湯を溜めてわたしに渡す。

これまた年季の入った木製の手桶だ。

 

 覗き込むと、手桶に溜まったお湯にわたしの顔が映る。

鼻先から垂れた粘液が、水面に波紋を作った。


「ほら、早くおいでよ」

「あ、うん」


 ラヴィはまだお湯の溜まり始めたばかりの浴槽に入って、その薄いお尻を浅い湯につけている。

ちょっと寒そうだった。


 わたしも桶からお湯を浴びて、粘液を流す。

流石に髪に絡まった粘液は簡単に流れないけど、それ以外は思いの外素直に流れ落ちた。


 蛇口からもう一度お湯を拝借して、髪を指ですくようにして流す。

そうすれば今度こそすっきり流れきった。


 さて、狭い浴槽に二人で入浴。

これはある種のパズルみたいなものだ。

 

 二人の手脚の位置関係が上手い具合に噛み合って、それでやっとお互い無理のない姿勢になれる。

とりあえずあんまり密着する形になったら嫌だろうし、向かい合うようにして浴槽に入った。


 お互いがお互いのスペースを空けるように脚の位置を調整する。

そうやってしばらく微妙にもぞもぞした後、やっと落ち着いた。


 わたしが加わったことで多少水かさは増したが、お湯は依然腰の高さにも満たない。

わたしの背中側に給湯の蛇口があるから、それで跳ねてくるお湯が脇腹に当たる。

が、当然そのくらいじゃすぐに体は冷えていく。

プリンの保温性に高さを思い知った。


「ごめん、やっぱり・・・・・・ちょと寒いから・・・・・・」


 ラヴィに断りを入れて、体の向きを変える。

ラヴィの脚の間に座るようにして、その空間に収まった。


 そうしてそのままラヴィに背中を預けてしまう。

背中にラヴィの体温ときめ細かい滑らかな肌の感触を感じた。


「こ、これで・・・・・・ちょっとあったかい、よね?」


 結局こうして引っ付くことになってしまったことに言い訳するように、同意を求める。

ラヴィは無言でわたしの肩に腕を回し、体の前に抱えるみたいに引き寄せた。

まぁ、同意と受け取っていいだろう。


「・・・・・・」


 しかし、こうも密着してしまうと・・・・・・やっぱりどこか恥ずかしい。

いや、どっちかって言ったらラヴィの方が恥ずかしい体位な気がするけど・・・・・・そのラヴィは気にしてないみたいだった。


「コーラル、体温高いね」

「そ、そう・・・・・・かな? 体、あったまってきた・・・・・・のかも?」


 お湯の高さは依然足りないまま。

やっとおへそのあたりに水面が来るくらいだ。


 しばらく待って、やっと肩まで浸かれるくらいの水かさになる。

お湯が溜まるのを待つ間、何が面白いのかラヴィはわたし渡す二の腕の辺りをさすったり、時々お湯を掬ってかけてくれたりしていた。


「ラヴィ、お湯止める?」

「出しっぱでいいよ。かけ流しってね」


 少し体を動かすと、浴槽からお湯がざぱぁっと流れ出す。

浴槽と同じようにタイルが敷き詰められた床に溢れたお湯が広がり、排水口に吸い込まれていった。


 全身がお湯に浸かると、やっと本格的に体があったまりだす。

体の表面から芯まで、熱が滲むように染み込んだ。


 こうしてくっついていると、狭さが気になって居心地が悪いかとも思ったが、こうなってしまえばちゃんとリラックスできる。

このままお湯に全身溶け出してしまいそうだ。

ラヴィに寄りかかっているのも、むしろ背中が柔らかくてより心地いいかもしれない。

ラヴィはどうだか知らないけど。


 ラヴィと浮力に支えられながら、目を閉じる。


「なんか眠くなってきちゃったかも・・・・・・」

「いいよ、ちょっとくらいなら。私が居るからうっかり溺れるようなこともないし」

「んーん、ちゃんと出てから寝るよ」


 ずるりとラヴィの胸の上を滑って、口元を湯船に沈める。

吐いた息でぶくぶく泡を立てて、その後ラヴィの顔を下から見上げた。


 ラヴィはわたしの視線を受けて、小さく笑う。

そしてわたしの額に人差し指を置いて・・・・・・。


「わぶぶぶぶ・・・・・・」


 わたしの顔を沈めようとした。


「ちょっと!」

「ごめんごめん、つい」

「もう・・・・・・」


 それから、ちょっと長めに二十分間くらい・・・・・・湯船に体を預けた。

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