第35話 間に合ったムース

 ドクロクが思ったのは、どうして自分だったのか、という疑問である。

「失礼する」

「はいはい」

 頭に乗せている帽子を外した男に対して、ドクロクは手元の資料から顔を上げ、すぐにペンを置いた。

「どうしました?」

「ここの事情は、あなたのところへ行けと、外にいた少女に案内されまして」

「おや」

 そうでしたかと、相手の笑顔に合わせるよう雰囲気を明るくしたドクロクは、一つの解答を胸に抱きつつ、応答する。

「僕は責任者ではないけれど、答えられることなら構わないよ」

「では、ムースという名に聞き覚えはありますか?」

「――失礼、ムー……」

「ムースです」

「人の名かな」

「ええ、ここのところ探していまして。こちらに来たかと思うのですが」

「なるほど。親しい知り合いを追ってきた、という感じかな?」

「それほど親しくはありませんが、年に一度くらいは逢う相手ですから」

「いやあ、残念ながらそういう人はいないよ。子供ってわけじゃないよね」

「もちろんだ」

「うちには十五歳くらいの子供たちばかりだから」

 よいしょと、ドクロクは立ち上がった。

「今日は天気が良い、外で話そう」

「ええ」

 外に出て、ドクロクは固まった躰をほぐすため、大きく伸びをした。


 頭上、持ち上がった両手に水を生成、ナイフへの形状変化まで済ませ、肩から腕を落とすタイミングで二本、足元に突き刺した。

 ――いや。

 彼の影に、刺した。


「まあ、家の中で暴れると、片づけが面倒だからね」

「……――っ」

「ああ大丈夫、口は動くよ」

 強い言葉と視線に対して、ドクロクはそれを正面から受け止めつつも、肩を竦めた。

強制認識言語アクティブスペルも、いわゆる魔眼も僕には通用しないよ。危険なことはわかっているんだ、対策はして当然だね」

「……何を言っているのか、よくわかりませんね」

「いわゆる認識操作系の、呪いが得意なのかな? いくつかの触媒を使っているようだね。とはいえ、大きく操作するほどじゃあない……メズの領主は、それなりに不満を持っていたのか」

「――」

「念のため、混乱に乗じて紛れ込みたかったのかな? 残念ながら、彼らは到着しないよ。報告だと三百人ほどだと言っていたけれど、大した錬度もない寄せ集めなら、障害にさえならない。ここは君が思っているよりも、よほど恐ろしい場所だよ。といっても、僕はここじゃ最低ラインだけどね」

「ムースは、どうしました」

「今はいないよ。彼女は望んでここに来て、望んで行動している。ここ一年くらいで上達はしたけれど、どうだろう、そこそこの腕前にはなったと、表現すべきかな。さあて、君の処遇を決める前に――ムースとは、一体どういう知り合いなんだ?」

「……さっき言った通りですよ。仲間というほどではないですが、年に一度は顔を合わせて、挨拶をする間柄です。私自身、それほど人間の生活に紛れることは好みませんので、こちらへ来たのは久しぶりです」

「なるほど? それにしては、下調べもせずに、ずいぶんと気楽に事を起こしたんだね。ふうむ、種族差における優越感がそうさせたのか、それとも単なる想定外なのか……」

「どういうことです?」

「今、あなたが僕の術式を一切解除しようとせず、のんきに会話を続けているところが、そのまま証明していますよ。危機感の欠如、状況を解決しようとすらしない。まさか、人間を操り、兵を送り込み、あまつさえ強制認識言語アクティブスペルを向けながらも――無事に帰れるだなんて、思っているんじゃないだろうね?」

「……」

「まだ、自分が見逃されていると気付かないのか? 殺意がないのは、僕がそういうタイプじゃないからさ。それに、僕が一体どこまでやって良いのかも、判断に迷う」

 正面、ゆっくりと手を伸ばしたドクロクは、彼の腕を肩からごそりと外した。

 切断ではない。関節を外したのではない。

 腕をそのまま分離させたかのよう、体構造から腕の部分だけを引きはがしたのだ。

「おや、危機感より先に動揺か。じゃあそのうちに、足も奪っておこう――ああ無駄、無駄、君の肉体構造式に干渉して、奪った部分が存在しない状態が正常に書き換えたから」

 痛みがないのは、僕の優しさだねと苦笑しながら、同じ側の脚も奪い、そこからナイフを解除して水に戻せば、彼は地面に倒れた。

「こ……こんなスキルは、ない、はずです」

「その通り。もしもこの場面を、神と呼ばれる者が見ていたら、間違いなく介入するだろうねえ」

 しかし、発見には至らない。

 今のところ目隠しが正常に稼働しているからだ。

「さて、どうしたものかな。僕自身は特に思い入れもないから、ここで殺してしまっても良いんだけど。研究もだいたい済んでるし……君はどうだろう」

「死にたくはありませんね」

「そう? 簡単に死なないようだから、てっきり殺されることも納得済みのような気もしてたんだけど。じゃあ、ちょっと聞いてみよう。君の実家というか、住んでるところは?」

「魔界ですよ」

「異種族が集まる場所、か。ここは魔境の頂と呼ばれる山があるんだけど、君は知っている?」

「――もちろん」

「ムースは近づきたくないと、嫌そうな顔をしてたけど、君たちのいう魔界よりも恐ろしいのかな? 僕たちからすると、海の向こうにある魔境の方が、怖いイメージがあるからね」

「魔界といっても、こちらとそう変わりませんよ。ただ異種族が多いだけです」

「ふうん……? では、――そちらも神とやらの管轄だと?」

「そうです。ムースは、それがとにかく気に入らなかったようですが」

「君は違うと?」

「逆らっても無駄だと、痛感させられましたから」

「無駄、ね。しかし、二人の神が殺されたんだ、次もある」

「――あれは人為的なものだと?」

「そうだよ。君がここへ来る時に、挨拶した少女が殺したんだ」


「厳密には、私じゃないけれどね」


 ようやく、ここにきてシルレアが顔を見せた。


「今日は放置で」

「というと?」

「可能性の話。今のところ、ムースの耳に入る経路は、メェナしかない。断片的な情報を拾ってたどり着けるなら、今日中よ」

「たどり着けるかな?」

「あら、情報を拾うのはメェナよ。そこから答えを導き出す思考は、ちゃんと教えてある。ただそれを拾えるかどうか――ま、無理なら、ムースは到着せず、ここで一人死ぬだけ」

「諒解。癖になっても仕方ないから、腕と脚は戻すとして……うん、結界を試そう」

「ん?」

「シルレアさんに頼むと、あっさり壊されるからね、耐久試験も兼ねて」

「そうじゃなく、種類」

「隔離系かな」

「そう」

 手足の構造を戻してやり、自身の魔力で復活するより速く、狭い範囲での結界を構築。得意としている水を触媒としたものだが、実際に水が展開しているわけではなく、目で見えるものではない。

 ついでとばかりに、木の看板を設置し、放置中と文字を描いておいた。


 その日の夕方である。

 ようやく、ムースがやってきた。


「――ムース」

「ああ、まだ生きてたか。クソ面倒な後始末をつけてきて、急ぐのが面倒になったから、半分諦めてたんだけどな。まあ、もうちょい待ってろ。おいドクロク、いるか?」

 扉をノックすると、しばらくして顔を見せた。

「やあ、なんだ、ムースじゃないか。ええと……」

「お前また寝てないのか」

「妻がいないと、どうしてもね。――ああ、そうか、結界を張って放置しておいたんだった。うん、効力も問題なし、持続してるね。最小限の魔力で動くよう設計したのが上手くいったみたいだ」

「壊すぞ?」

「ああうん、もう解除してもらって構わないよ」

「お前は寝とけ」

「今やってることが終わったらね」

 相変わらずだなと、ため息を一つ。

 さてと、改めて向き合ったムースは、そのままの流れで首を右側に倒し、そこを飛来したナイフが通り抜け、結界を突き抜けたところで腕を伸ばして掴んだ。

「おい、避けろよ馬鹿。死にたいのか」

「――っ」

 彼の目には、いつの間にかそこに出現した、としか思えない速度であった。

「結界を過信すんな」

「いえ……反応、できませんでした」

「あ、そう」

 持っていたナイフを、後ろに放り投げれば、シルレアがそれを受け取り、影の中に入れた。

「で?」

「メズの貴族が先走ったかたちで、領主には言い含めておいて、撤退指示を出させた。カナタとマヨイもかなり手加減してたから、負傷者がちょっと出たくらいで、撤退して行ったよ。こっちは間に合って良かった」

「ん」

「まあ、馬鹿貴族も、領主もそうだが、シロハの発展や地位に関しての不満を後押しされたかたちだな。見せしめにするかどうか、カナタとマヨイは迷ってたらしいが、今回は撤退優先にしておいた」

「それを国王あたりに言っておくと良いのだけれど」

「ジェルーゴ領の? さすがに私じゃ入れねえだろ。やる前に次が起こる」

「まあ、そこまでやらなくてもいいか……」

「問題が?」

「同じことよ。気付いたのはメェナね?」

「そうだ。ちょうど知り合った大剣使いの友人ってやつが、こいつの作った呪いの代物を所持してたのが発端だ。で、三百の兵が動いてる情報が決め手」

「まだまだ精度が甘いけれど、及第点としておきましょう」

「そう伝えておく。こいつは逃がすが、もういいだろ?」

「好きになさい」

 ひらひらと手を振られて、そこで改めて吐息を一つ。

「あー、クソ面倒なことをやらせんな。いや、挨拶もなかった私も悪いが、とにかくこっちに関わるなよ、お前は。次はねえし――芋づる式に魔界全土が消えるぞ」

 拳で軽くノックをして、結界を解除した。

 そのくらい簡単なものだ。

「君は――変わりましたね」

「あ? いや、変わっちゃいないだろ」

「以前よりも落ち着きましたよ」

「そうか? まあ、そうかもな。神ってやつの仕組みに気づいたのが大きな理由だ。安心しとけ、そのうち神は全員殺す――私が、じゃないけどな」

「全員?」

「おう、間違いなく全員だ。この世界の仕組みってやつが、どれほど邪魔なのかは、よく理解した。まるで箱庭だ、お前の使う呪いだって、スキルと同じだぞ」

「この結界は違うと?」

「いや、同じだろうな。ただし、人の手で改良され、作られたスキルだ。お前がもしもこれを解除できていたのなら、ドクロクはもっと改良しただろうに、残念だろうよ」

「……」

「私から言えるのは、関わるな、だ。いずれ世界は変わってくる、それを観察しておけ。どうせ魔界にも影響が出る」

「君は、何をしようとしているんですか?」

「さあ……昔ほど退屈はしないし、頭を殴られることも多いが、神を殺してやるんだと息まいてた頃は懐かしくも思う。神殺しができるようになるまで……ただそれだけなら、あと三年もありゃできる。その程度のことだ」

「やはり、変わりましたね」

「そうかい」

 変わるしかなかった。

 そうでなければ、ムースはとっくに死んでいるか、ここにはいない。

「戻る気はないのですか?」

「おいおい、何を言ってるんだ。私がそっちへ戻る時は、――お前らを殺す時だぞ」

「――っ」

「だから、敵になるなよ」

 じゃあ気を付けて帰れよと、ムースは言う。

「軽いですねえ」

「どうせ、そろそろ兵と対峙してた連中が戻ってくる。私は見逃すし、あいつもそれを許可したが、ほかの連中までは知らんし――温情はここまでだ」

「わかりました、すぐ撤退します。もう心配せずとも、大丈夫そうですね」

「おう」

 とりあえず、これで面倒は終わりだ。

 さすがに疲れたので、見送りを済ませたムースは、とりあえず寝ると決めて足を進めたのだが、その肩を背後から、がっちり掴まれた。

「なに休もうとしてるの」

「シルレア……」

「逃がしたんだから、責任を負うってことでしょ? 事後処理だけで済むと思う?」

「……思ってない、よ?」

「よろしい」

 どうやら。

 本当の地獄はここから始まるらしい。


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