第6話 ロリの抱える事情

 紺とまめは客間となっている部屋にいた。

 藺草いぐさの香る畳にはふかふかの座布団に大木を削り出したと思われるローテーブル。欄間は竜虎で、ふすまは全て合わせて一枚の水墨画となっていた。


 THE・金持ちといった風な部屋の真ん中。麦茶を出されたまめが正座しながらうつむいていた。


「物心ついた頃から、小生は長野の山に住んでおりました。時折、人を見かけることはありましたが交流はありませんでした」


 事情が変わったのは昭和に入ってからだ。


「開発がどうとかで、ぶるどぉざぁやしょべるかぁがやってきて山を削り始めたのです。土砂はで運ばれていき、小生の住処すみかはすぐになくなってしまいました」

「トラック、な」

「わ、わざとです! ついです!」

「どっちだよ」

「何はともあれ、小生は山を下りました」


 とはいえ、野山と違って食べ物が豊富にあるわけではない。ずいぶんひもじい思いもしたらしい。


「きのこの見分けがつくようになったのはその頃でございます。……とはいえ、時々間違ってすごいことになるんですが――ともかく、小生があの人に出会ったのは、そんな折でした」


*㌔㍉*㌔㍉*㌔㍉*


「……はぁ、はぁ…………!」


 その日、まめは死にかけていた。

 空腹に耐えかねて、道端にあった見覚えのないきのこを齧ったせいだ。


 胃腸が焼けるように熱くなり、めまいと頭痛と耳鳴りに襲われた。

 端的に言って猛毒である。


 本能的に呪力で身体を強化していたため、なんとか死なずに済んだが、半日ほどのたうち回るはめになった。


 その後は、のたうち回る元気すらなく道端でぐったりしていた。


「み、みず……」


 うめくように呟くが、それに反応する者はいない。

 そもそもが妖怪は自らの妖力で実体化する。弱って妖力も底をつきそうなまめは実体化も完全に解け、普通の人には見えない状態になっていた。


「ぅ……ぁ……」


 毒と脱水で意識朦朧となったまめが虚空に向かって手を伸ばす。

 それを、暖かな何かが包み込んだ。


「あなた、こんなところでどうしたの?」


 年齢を重ねた穏やかそうな女性が、まめの手を握り込んでいた。


「み、水……を……」

「お水ね。私の水筒でよければあるわよ。ひとりで飲める?」

「あっ、う……」

「さぁ、身を起こして。私につかまって頂戴。お水はゆっくりよ。口に含むようににして少しずつ飲むの」


 老婆はまめを抱き起こすと水を飲ませる。 こくこくと喉を鳴らすまめを見つめた老婆は、髪の合間から覗いたケモ耳に視線を寄せるが、特に気にすることなく言葉を続けた。


「お家はどこ? ご家族は?」


 朦朧とした意識の中、まめの脳裏に蘇ったのは重機に切り拓かれてしまった住処だ。

 動物たちは逃げ惑い、微かに息づいていた人外化生の者たちも知らぬ間に姿を消していた。


「だれもおらぬ……みんな、居なくなってしまった……」


 まめの目の端から、雫が落ちた。

 老婆は眉尻をさげて頷くと、幼子をあやすように抱きしめた。


「それじゃあ、私の家にいらっしゃいな。古くて狭いお家だけど、老人ひとりで済んでいるから、若い子がいてくれるなら嬉しいわ」


 それから、老婆は本当にまめを家に連れて帰った。


「まずはおかゆから始めましょ。ふふっ……子供が小さかった時を思い出すわねぇ」

「寒くなってきたし、一緒のお布団で寝てくれないかしら。おばあちゃんを暖めてくれると嬉しいわ」

「まめちゃん、お隣さんから里芋貰ったの。煮物は好きかしら」


 老婆の献身的な介護もあって体調が回復したまめだが、そのままずるずると老婆の世話になっていた。


 老婆はまめを孫のように可愛がった。おばあちゃんって呼んでね、とお願いされ、孫のように世話を焼かれた。

 実際、「遠方に住んでいた孫を預かることになった」と近所に説明していたようだった。


 人間と暮らすのは初めてのことだったが、まめとしても、くすぐったいような、面映ゆいような気持ちだった。


 一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎた。


 まめは最初はおっかなびっくり――そして段々と老婆との時間を楽しむようになった。


「まめちゃん。何か欲しいものはない?」

「難しい質問でございまする……」

「お金だけあっても使い道がないから、何かあったら教えて頂戴」


 何度かそんな質問をされた。


「その、あの……もし無理でなければ、なのですが」

「何でも言って頂戴。おばあちゃん、頑張っちゃうから」

「……神棚かみだなを。小さなもので良いのです」


 人でないことがバレて嫌われるのでは、と迷っていたまめだが、妖力を回復させるためには信仰やおそれなど、人の感情が一番効率が良い。


 食事や睡眠も無駄ではないものの、感情には遠く及ばないのだ。


「良いわよ」


 くすっと笑った老婆は、まめの頭を撫でて頷いた。

 それから近所の大工にお願いして、まめが思っていたよりもずっと立派な神棚をつくってくれた。


「お供え物は小生が交換するのです! 危ないからおばあちゃんは椅子に乗っちゃ駄目なのです!」

「ふふっ……誰かに心配してもらえるなんて、幸せねぇ」

「笑ってないで降りるのです! あっ、ゆっくり! ゆっくりです! 小生の手を取って、そっと降りるのですよ!」

「はいはい」




 まめに優しくしてくれる老婆だが、時々寂しそうな顔をしていることに気付いた。

 決まって仏壇に旬の果物を備えている時だった。


 飾られた遺影は二枚。片方は軍服に身を包み、厳めしい表情をした男性で、もう片方はワンピースでおめかしした少女だ。


「旦那は国のために戦ったのよ」


 誇らしそうな、しかし悲しそうな表情をしていた。


「では、こちらのわらべは……?」

「娘よ……流行り病でね。旦那が戦死したって知らせが届いた後、あっという間に逝っちゃったわ」

「……ごめんなさい」


 不躾な質問を謝るまめの頭を、老婆は優しく撫でてくれた。


「良いのよ。もうすぐで会えるだろうから、その時はまめちゃんのこともいーっぱいお話しするつもり」


 それから一年ほど老婆ととともに過ごした。

 まめにとっては宝物みたいな時間だった。

 だが、妖怪と人間とでは歩む速度が違う。


 ある朝、まめが起きたら老婆は布団の中で亡くなっていた。


*㌔㍉*㌔㍉*㌔㍉*


「それからは、また流浪の旅に出たのです」

「ちょっと待ってくれ。さっきの式神とか全く出てくる気配がないぞ」

「それはこれからなのです!」


 再びひとりになったまめは各地を放浪して過ごした。

 老婆の元で養生し、しっかりと妖力を溜めていたこともあって行き倒れることはなかったという。


「あれは青森にいた頃でしたか……どうしても寂しくなって、お婆ちゃんの霊に会えないかとアレコレ試してみたのです」


 あれこれ、という言葉にひっかかりを覚えた紺だが、今は詳細を詰める前に全体像を聞きたかった。


 ——まめに交霊やら憑依ができるほどの力があるとは思えないし、何かやらかしてないと良いが。


「そこで、お婆ちゃんが家族と会えてないことが分かったのです!」

「……何?」

「旦那さんも娘さんも話すこともできないと、悲しそうにしていたのです」

「……どういうことだ?」


 まめは死後の世界や魂に関わる事象を必死に調べた。


「魂魄を縛る怪異の仕業です。生きた人間に呪いを打ち込み、亡くなってから魂を動けなくして、ゆっくり消化するのです」

「なるほど。それでか。……——で、式神は?」


 うっ、と言葉につまるまめだが、さすがに黙っておくことはできないと観念したのか、ちらちらと紺の顔色を窺いながら口を開いた。


「その、ですね……おばあちゃんに会うために小生の力ではいかんともしがたく……ちょっとだけ力の籠った呪物を拝借したのです」

「……もしかして式神の主って、盗られたものを取り返そうとしただけだったりするのか?」

「ち、違うのです! 使い終わった後はちゃんと返したのです! お片づけはおばあちゃんとの約束なのです!」

「いやお片づけって、言い方よ」

「怪異を調べるために忍び込んだ屋敷でも、文献や古文書はちゃんと元に戻したのです! 触る前に手も洗いました! らくがきだってしてないです!」


 しててたまるか、である。


「あー……家の秘伝を盗み見られたと思って殺しに来たか。あるいは裏に敵対組織がいると思い込んで、捕まえて吐かせようとしてるとか、その辺りか」

「ぴぃぃぃ!? しょ、小生はおばあちゃんを助けてあげたかっただけなのです! 誓って悪いことはしないのです!」


 しないも何も、すでに不法侵入と無断借用をしている。

 悪人を力技で捻じ伏せるだけならば紺は困ることはほとんどない。

 だが、まめが悪い可能性を考慮するとそれもはばかられた。


「……まぁ、謝ってみるか。ちなみにどこの家だか覚えてるか? 特徴とか、借りた物とか」

「えっと、たしか――」


 まめの説明が増える度に、紺の表情が曇っていく。全てを話し終えた時、紺は頭を抱えていた。


 まめが忍び込んだ家は、30件を超えていた。

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