ルーペと望遠鏡

由比 瑛

第1話

 始業のチャイムが鳴って,クラス会長の声掛けで起立し,先生に向かって「お願いします」と挨拶をする。ギーギー,ガタガタと着席したところで先生が口を開く。

「はい,みなさんお待ちかねの,テスト返しです」

 カッ,カカッと軽快な音を立てて黒板に『現代の国語』と書き,その下に『平均点』『最高点』と続ける。その間,クラスからは「結構いいと思うんやけどなあ」「絶対死んだわ」「あの一問やらかしたんよな」「今度こそ,満点いきます!」とさまざま(おもに男どもから)声が上がる。

「どっちから聞きたいですか?」

 黒板から生徒の方へと振り返り,少し節くれだった綺麗な指でチョークをつまみ『平均点』と『最高点』を行ったり来たりする。

「先生! 最低点はないんですかー」

 とお調子者の吉川が言う。先生が困ったように眉尻を下げて口を開く。

「わざわざ言いませんよ。他の教科では公開されるんですか?」

 先生が教室を見渡すと「結構言ってるよね?」「まあ大体,いつメンの誰かやろうけど」と再びざわざわとガヤが入る。

「現国では,言いません。最高点以外の人は『ああ,自分かもしれない…』と危機感を持って取り組んでください」

 と答えのプリントを先頭に配りながら先生が言うと,はーいのような,うわーのような,ぼんやりとした返事がまばらに飛んだ。

「じゃあ,最高点から」

 先生が『最高点』の隣に『6』と書く。するとぼやぼやとした空気が変わり,色めき立つように「まさかの60点台!」「んなわけあるか!」と吉川と早田がコントを始める。もったいぶる様子もなく,『6』の左隣に『9』と書いた。

「96!?」

「このクラスは2名…です,ね。隣は1名,98点がいましたが」

 表情を変えずに先生が言う。「終わったわ…」「いや,ワンチャン最高点」「全体的にできてるパターンじゃね?」とひとしきりざわついたところで,今度もすんなり『平均点』の横に『64.8』と記す。

「出席番号若い方から,順にとりにきてください」

 ガタガタと立ち上がって教卓の前に列ができていく。自分の番は後半でも最後の方なので着席したまま待つ。並んでいてもやはり「ねえ,自信ある?」「全然」「勝負しよ」「負けた方が帰りラーメン奢りな」「よっしゃ!」とざわめく。テスト返しのたびにこうだから,よく飽きないなと思う。

「波田さん?」

 と先生が呼びかける。ガタッと慌てて立ち上がる音。ぼやっとして自分の番を忘れていたらしい。毎回1人はいる。なぜ,学ばないんだろう。あとがつかえるから気をつけてほしい。自分の番の3つ前になったので,立ち上がり列に並ぶ。先生から答案用紙を受け取ると右端に『96』とあった。残り4人が受け取り,着席したところで先生が話し始める。

「大問2の問4,授業で言ったところですが,ミスが多かったですね…直前に徹夜でやってなんとかしてる方が多いみたいですが,『テストだから,受験に必要だからやる』というのを一度取り払ってみてほしいですね」

 余った分と,休みの人の分を整理してトントンと端を整えながら言う。

「その考えも大いにわかるのですが,どうしても,『将来のために必要だから』と思ってしまうと『未来のことに現在の時間を使う』ということに,抵抗感が生まれてしまうんですよね。現在は現在でやらなくてはならないことが山積みですし,漫画なり,ゲームなり,みなさんそれぞれやりたいと思っていることもあるでしょう。漫画は読んでいて面白いし,ゲームもきっと…ものによると思いますが,アイテムをゲットするでしょう? 後々必要になってくるものかもしれませんが,アイテムをゲットすること自体にも,面白さがあると思います。だから勉強に対しても『今,この瞬間に何かを得る』と思えるといいと思います。そうすれば現在していることに現時点で意味ができてくるので,時間を使うことにも意義があると思えると思います」

 解説に行きますね,と何もなかったようにさらっと切り替える。順々に必要そうなところをピックアップして解説し,その問いの勉強法の提案もたまに入れる。サクサクと進み,質問はないかと聞いて,通常授業に入った。



***



 放課後。教室を出て廊下を歩き,階段に差し掛かろうというとき,ちょうど昇ってきた先生と目が合った。「こんにちは」と咄嗟に言うと,同じように「こんにちは」と穏やかに返ってきた。

「答案,良かったですよ」

「あ,いや…自分的には詰めが甘かったと思ってます」

 目線をそらし,右の目尻を右手の人差し指の先で擦りながら返す。鼻につくような言い方になってしまったとすぐに反省する。急な会話イベントは得意ではない。

「あと4点,という気持ちの方が強いんですね。向上心があるのよいことですが,しんどくならないよう,継続できる範囲の心持ちで頑張ってみてください」

 と微笑む。今更ながら,端正な顔をまじまじと見る。おっさん,おばさんだらけのこの学校にあまりいないタイプの若く,イケメンで,丁寧な喋り方をする人だ。真面目そうだが,なんとも言えない独特の雰囲気がある。

「あ,ありがとうございます」

 焦ってお礼を言ったあと「あの,」と予定にない言葉が口を飛び出していった。わずかに首を傾げたのを見て,息を吸い込んで言葉を継ぐ。

「…テスト返しの時,先生がおっしゃってた,未来のために現在の時間を使うことに抵抗感を覚えるっていうやつ…すごい,納得できました。なんか,教室では…言い方ひどいですけど,聞き流すっていうか,先生もすごいさらっと言ってたから,なんて言うか,その…」

 言いながら視線を彷徨わせていると,ふっと先生が笑みをこぼす。

「良かったです。誰か一人でも心に留めて,改善しようとしてくれる人がいるなら,話した甲斐がありました。正直,手応えないなあと心配していたのですが,そう言ってくれて安心しました」

「…そうですか」

 沈黙。もっとうまく喋れないのかよ,と自分を責める。

「では,気をつけて帰ってくださいね」

 瞬間顔をあげ,「あ,はい。さようなら」と声を出す。

「さようなら」

 と言った先生に会釈をして,足早にその場を去った。


 

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