1章~賢者の館10

ロードの部屋は備え付けの家具以外は何も無かった。


この館に来たばかりだから当たり前か。




「ん?あれは…。」




机の上に、見覚えのある本が置かれていた。


近づいて見てみると、やはり『貴方の見る景色』だ。少し汚れが目立つが、こんなに汚れていただろうか?




「この本、図書室で借りたのか?」


「…いや、それは母さんの形見だ。」


「…そうだったのか。」




ロードがこの館に初めて来た時、この本を知っているような発言をしていたのを思い出した。




「その本、読んだんだよな?」


「あぁ、読んだよ。」


「面白かッたんだよな?」


「面白かったよ。」




ロードは眉間に皺を寄ながら話を続ける。




「…俺も読もうとしたんだ。最初から難しい言葉ばッかで、2,3ページで諦めた。」


「ロードは他の本を読んだことはあるか?初めて本を読むなら、もっと優しい本から読むのがいいぞ。」


「…そうか。今度俺に合ッた本、教えてくれ。」


「あぁ…それはもちろん…。」




この会話が本題じゃない事くらいわかる。


この本の話がしたいだけなら、そんなに難しそうな顔にはならないだろう。


俺はロードから切り出してくれるのを待ったが、一向に黙ったままだ。




「話は終わりか?」


「…。」




俺はロードを急かしたが、まだロードの口から言葉が出そうにない。


ロードが話しやすいように後押しすることができればいいが、そもそも躊躇っている話がどんなものなのかがわからない以上、どうしようもない。


いや…そう言えば一つだけ、ロードの琴線に触れる事ができそうな話題がある。


今、ロードが躊躇っている話の内容に関係するのかは分からないが…これが本題に関係するなら、きっと話しやすくなるはずだ。




「そういえばロード、本当は魔法が使えるんだろ?」


「…ッ!」




ロードの反応からして、この話題は当たりだ。




「別に嘘をついたことを責めようとしてるわけじゃないからな?お前がそんなに分かりやすく悩んだ顔して中々話さないから、後押ししたかったんだ。」


「…なんで知ッてんだよ。」


「セラフィの魔力感知にかかれば、これくらいは朝飯前だぞ。どんな魔法が使えるのかは分からないけどな。」


「なんでお前が得意そうに…てか、なんで俺の魔法の話だッて分かんだよ。」


「分かったというか…心当たりがこれしか無かったんだよ。」


「…まァいい。そうだ、その通りだ。俺は魔法が使える。」




なぜ魔法が使えることを隠していたのか。


問題はそこにある。




「どんな魔法が使えるんだ?」


「…治療魔法だ。ラピスの傷も治せる。」




ラピスの傷を治せる魔法?


そんなことができるなら、一般的な治療魔法の域を超えている。




「…もしそれが本当なら、それは固有魔法なんじゃないか?」


「そうみてェだな。」


「そんな凄い魔法が使える事を、なんで隠してたんだ?」


「...母さんが死ぬ前に言われたんだよ。」




この館に来た時点で薄々わかっていたが、ロードの親は死んでいたのか。




「何て言われたんだ。」


「この魔法を使ッたり、使えることを教えたりしちャいけねェッてな。悪いヤツに知られたら、俺を利用するだの何だの言ッてたな。」




ロードの魔法はどの程度の傷を治すことができるのかはまだ分からないが、一般的な治療魔法を遥かに凌駕する治療魔法なのだろう。


ロードの意思を無視して、その魔法を利用しようとする人間は少なくないかもしれない。その魔法を使う状況は慎重に選んだほうがいい。




「どうして俺に話そうと思ったんだ?」


「…母さんに言われたことが他にもあッてな。大人になッたら使ッても良いッて言われたんだよ。」




大人になったら、か。


それはまた酷く曖昧だ。




「俺はその時母さんに、いつになッたら大人になれるか聞いたんだ。そしたら母さんは、『その本』を読んで、面白いと思ッたら大人になッた証拠だッて言ッたんだ。」




ロードは机の上に置かれた『貴方の見る景色』に視線を移した。


確かに『貴方の見る景色』はある程度の知識や経験を蓄えている人が見る分には面白いと思うが、物語の嗜好が合わなければそれまでだ。




「俺は...まだわからねェ。その本の面白さも、この魔法を使ッていいのかどうかも...!だが、お前なら...カリアならわかるんじャねェかッて思ッたんだ。」


「ラピスの傷を治すために、ロードが魔法を使っても良いか俺に判断して欲しい…って事か?」


「…そうだ。」




ロードは今まで、亡き母の助言に従って自分の魔法を隠してきたのだろう。


初めてこの館に来た時、ロードが俺たちと仲良くなるつもりがないと言っていたのは、自分の魔法を隠す理由もあったのかもしれない。




「なるほどな。…まぁ使っていいんじゃないか?」


「そんなお前…あッさりしてんな。」


「そもそも、なんでお前の母親はその魔法を隠すように言ったか分かるか?」


「さッきも言ッただろ。悪いヤツに知られたら利用されるッて。」


「もっと根本的な部分だ。お前の魔法を必要とする人間が、この世界に何人いると思う?」


「…わからねェ。」


「俺もわからない。」


「んだよ…。」


「俺でも想定できないくらい多いってことだ。」


「…あァ。」


「ロードの魔法が世間に知られたら、善も悪も関係無く、お前に魔法を使わせようとする人間が出てくるはずだ。ロードが喜んで魔法を使うならそれも良いが、もしロードの意思を無視して強制的に魔法を使わせるような状況になったら…嫌じゃないか?」


「…そうだな。」


「これは俺の勝手な想像だけど、ロードの母親はそういう状況になって欲しくないから、魔法を隠すように言ったんじゃないか?」


「…そうかも知れねェな。」


「だから安心して魔法を使っていいぞ。この館には、ロードを利用しようなんて思う人間は居ない。」


「なんでそんなことが言い切れる。」


「ロードに声がかかる前に、セラフィに声がかかるはずだからだ。セラフィも治療魔法が得意だってことは知ってるだろ?」


「あァ…。」


「まぁ、俺がこの館にいる人を信用しているのもある。この館で働いてる人たちは皆、俺たちの事をちゃんと考えてくれてる。少なくとも俺はそう感じる。ロードも、俺を信用してくれたから話そうと思ったんだろ?」


「…信用とか分からねェが、お前になら話してもいいんじャねェかッて思ッたんだ。」


「『その本』のおかげだな。」


「…そうだな。」




ロードが腹を割って話してくれて、仲が深まったように感じて嬉しかった。


ドラゴンだった頃は、人間とここまで深く話をする機会も時間も無かったからな。


改めて、人間になって良かったと思った。




「じゃあ、早速ラピスの部屋に行こう。」


「その前に、確認しなくていいのかよ?」


「何を?」


「俺の魔法をだ!本当に使えるか確認するだろ、普通。」


「あぁ、確かに。じゃあ…。」




俺は部屋の窓を開け、腕を外に出した。




「…何やッてんだ?」


「今から俺の腕に傷をつけるから、それを治してみてくれ。」




そう言って、俺はそこそこの威力の風魔法を使った。




「…ッ!お前!そんな威力じャその腕ごと…!」


「いやいや、直撃はさせてないよ。掠らせて深めの傷を付けただけだ。」




俺は傷付けた腕を見せながら、大したことでは無いように振舞った。実際は思っていたより深い傷を付けてしまって、めちゃくちゃ痛い。




「それでも大怪我じャねェか…。まァ腕1本無くなッちまッても治せるから良いけどよ。」


「それは…本当に凄いな。」




ロードが近づいて傷を見る。




「あっごめん、血が床に…。」


「ちョッとくらい気にしねェよ。じャあやるぞ。」




ロードの手が俺の傷口に触れた途端、暖かな光を発した。


傷口に触れているはずなのに、全く痛くない。


瞬く間に痛みが引いていき、光が落ち着く頃には完全に治っていた。




「おぉ…凄いな。完璧に治ってる…。」




これはやはり固有魔法だ。腕を失っても治せると言っていたが、実際にできるのだと確信した。




「…ふゥ。なんか…でッけェ生き物の傷を治したみたいな感覚だな。」


「…身体鍛えてるから…かな?」




何故か人並み以上に頑丈な身体をしているのが原因かもしれない。




「だとしたら鍛えすぎなんだよ…ッたく、結構魔力使ッちまッた。これじャあラピスの傷全部治すのは明日だな。今日は…顔だけなら治せるか。」


「…なんかごめん。」


「まァこれでできるッて分かッただろ。ラピスんとこ行くぞ。」


「あぁ。」


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