第12話 絶対に許しませんから
「では、わたしはこれで」
自分の立場をわきまえて、立ち去ろうとしたときだった。
「優ちゃん、今日はピアノの練習に集中したいんじゃなかったの?」
不思議そうに首をかしげている、雪乃ちゃん。それは、そうだ。普通に、わたしと水沢くんが二人でここにいるのは、不自然だ。
「息抜きに外に出たら、草野さんがタチの悪い客に絡まれてたんだ」
「そう。そんな感じで」
微妙に事実と異なるところが、秘密っぽくて、うれしいのです。
「そっかあ」
そこで、安心した表情を見せる、雪乃ちゃん。
「二人が一緒だったから、びっくりしちゃった」
「雪乃も、こんな時間に出かけるの?」
「うん。友達のノート、コピーするの忘れてたの」
雪乃ちゃんの陰の行動を考えると、ちょっと納得いかないところもあるけれど。
「草野さん。優ちゃんがいて、よかったですね」
わたしに向けられた、天使と見間違いそうな笑顔。
「全くもって」
これが、彼女の余裕というもの。友達とはいえ、恋愛においては、わたしは部外者であることには変わりないのです。
「では。今度こそ、わたしはこれで」
水沢くんが守るべき……いえ、守りたい相手は、雪乃ちゃんなんだから。
「草野さん。今日は、ここからタクシーに乗って、家まで帰りなよ。僕が出すから」
「平気。駅に着いたら、お母さんに迎えにきてもらうから」
財布を出しかけた水沢くんに、あわてて、走り出した。
「草野さん……!」
「さよなら。このご恩は、絶対に忘れません」
まだまだ、真の友達への道は、険しそうです。
翌々日。
「可愛い……!」
教室で、水沢くんから受け取った包みを開き、感激に胸が震える、わたし。
「こんな防犯ブザー、初めて見た。水沢くん、ありがとう」
キラキラしたクリスタルでデコレートまで施された、ドーナツ型の防犯ブザー。女心、わし掴みなのです。
「気に入ってもらえたみたいだね」
水沢くんまで、うれしそう。ここで息が絶えても、わたしは本望です。
「うれしい。早速、バッグにつけさせてもらうね」
パッケージも破いて、中身を取り出した。
「見れば見るほど、可愛いなあ……」
もう一度、なめるように、ながめていたら。
「よかった。やっぱり、女の子のことは、女の子に聞くのがいちばんだね」
耳に入ってきた、水沢くんの言葉。
「え……?」
まさか。
「防犯ブザーは、雪乃の提案なんだ。選んでくれたのも、雪乃で」
「あ……そうだったんだ」
それでも、わたしのために水沢くんが買ってくれたことに、変わりはない。だけど、申し訳ないとは思いながらも、気持ちが下がるのは仕方がないことで……。
「そろそろ、僕は行かないと」
水沢くんが教室の時計を見上げた。
「あ。雪乃ちゃんとデート?」
ちょっと、泣きそう。
「いや。今日は、遠方の先生の教室で、レッスンを受けることになってて」
「そっか。大変だね」
雪乃ちゃんとは別行動だとわかっただけで、ほっとしてしまいました。わたしは、いつから、こんなに性格が悪くなったのでしょう?
「まだ先だけど、この前のコンクールの入賞者の演奏会が、秋にあるんだ。草野さんにも、聴きにきてほしいな」
「あ……うん! 行きたい」
コンクールは、行きそこねちゃったもんね。
「南も来たいって言ってくれてるんだ。よかったら、小池さんもぜひ」
「うん。多分、行かせてもらうわ」
わたしの横から返事する、なっちゃん。
「じゃあ」
「うん! 頑張ってね」
どこまでも水沢くんの姿を見届けようと、扉から身を乗り出そうとすると。
「捨てちゃいなよ、そんなの」
一部始終を見ていた、なっちゃんが例の防犯ブザーを指差した。
「自分の身は、自分で守れって言いたいんでしょ? いい性格してるわ」
「……でも、たしかに、そのとおりですし」
水沢くんが、わたしの身を心配してくれているのも、また事実で。でも、水沢くんが守らなくちゃいけないのは、わたしじゃない。
「あー、モヤモヤする!」
イライラしたようすで、首を振って叫び声を上げる、なっちゃん。
「もどかしい?」
「もどかしい。もどかしすぎて、胃が痛くなる」
「ごめん、なっちゃん」
水沢くんも、わたしのせいで、胃痛の症状が出たりしているのかもしれない。今度、わたしの方で胃腸薬を購入して、なっちゃんと水沢くんに渡しておこう。
「ちょっと、何? 元気ないじゃん」
「……バイト、行ってきます」
今のわたしは、バイトに打ち込むしかないのです。
「ちょっと、葵?」
「ストレスに効くサプリメントも、薬局で聞いておくね」
「はあ?」
実に、ふがいない。でも、そんな友人が一人いても、人生のムダにはならないと、プラスに考えてもらう以外ありません。
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけて、助かりました」
帰り際に、雑誌の紐の件を、店長に確認。わたしの判断自体は、やはり間違っていなかったよう。
「でも、逆に無理はしないでいいですよ。いろいろな人がいるんで。草野さんが危害でも加えられたら、大変ですから」
「心に留めておきます」
身をもって、体験しましたから。
「それでは、これにて。お先に失礼いたします」
大事なお得意様を失うことよりも、店のポリシーとスタッフの安全を優先する、誇り高き店長。そんな人格者のもとで働ける、わたしは幸せ者です。
「あ」
ちょうど、店を出ようとしたところで、通りの向こうを歩いてる、ユウジくんらしき人影を発見。
「やっぱり、ユウジくん」
最近は、水沢くんとの関係も良好になりつつあるという可愛い弟と、ひさしぶりに話を……と、そこで。
「ん?」
追いかけようと、自動ドアから出て、気づいた。隣に、雪乃ちゃんがいる。
「…………」
バッグに光るキラキラなドーナツに目をやってから、わたしは二人のあとをつける決心をしたのだった。
「何? くだらない話、聞く時間ないんだけど」
「そんな言い方、しないでよ」
水沢くんの家の近くの、小さな公園。運よく茂みの多い場所で、二人の座るベンチの真後ろという、ベストポジションを確保。はたから見たら、立派な第一級変質者に認定されるでしょう。
「優に見つかると、面倒くさいし」
「優ちゃん、今日は遅くなるもん。だから、大丈夫」
いったい、何が大丈夫だというんだろう? 根本的に、雪乃ちゃんの考えていることは、わかりません。
「優ちゃんがね」
「優が、何?」
投げやりで、心からどうでもよさそうな反応の、ユウジくん。
「わたしを抱いてくれないの」
「…………!」
思わず、息をのむ音が。
「それなのにね、優ちゃんは……どうかしたの?」
「待ってて」
おもむろに立ち上がった、ユウジくん。こっちに近づいてくる!
「やっぱり」
ニヤリと笑った、ユウジくんと目が合ってしまった。万事休す。
「何か、いるの?」
雪乃ちゃんも立ち上がった気配。理由はどうであれ、今度こそ、わたしは変質者の烙印を押されることに。
「ああ、うん。変な顔のネコがね。もう、行った」
「…………?」
そこで、雪乃ちゃんの視界を遮るように、ユウジくんが戻っていく。もしかして、助けてくれたのでしょうか?
「で、続きは? 雪乃」
さっきより、明らかに乗り気な態度の、ユウジくん。
「そう。それなのに、同じ学校の優ちゃんを好きな変な人に、かまってばっかりいるの」
それ、違うのに。かまっているとか、そんなんじゃないのに。
「あの、コンビニの?」
「そうだよ。信じられないでしょ?」
わたしは、雪乃ちゃんの方が信じられないけれど。弟のユウジくんに、水沢くんのことを、そんなふうに言うなんて。
「どうでもよすぎるんだけど。俺に、何の関係があんの?」
おっくうそうに息をつく、ユウジくん。
「今日ね、朝まで誰もいないの」
雪乃ちゃんの声に、体が固まる。
「ふうん。だから?」
「だから、わたしの部屋に来て。前みたいに」
何を。何を言っているの?
「嫌だ。昨日、やったばっかりだし」
昨日は、水曜日でしたね。いや、そういう問題じゃなくって。
「面倒だし、疲れる。部屋で一人で音楽聴いてる方が、よっぽど有意義で楽しいね」
「わたしの方から、誘ってあげてるのに?」
悔しい。どうしていいかわからないくらい、悔しい。
「べつに、何にもしなくていいよ?」
絡みつくような、雪乃ちゃんの声。どうしよう? 吐きそう。
「わたしが気持ちよくしてあげるから」
…………。
今。わたしの中で、何かが切れました。
「どうせ、途中から、その気になるでしょ?」
「ふざけないで」
気がつくと、雪乃ちゃんの前に立っていた。
「草野さん?」
目を見開いている、雪乃ちゃん。
「水沢くんの気持ち、何だと思ってるの?」
よりによって、ユウジくんに、そんな話を持ちかけるなんて。
「何って……それよりも、また盗み聞きしてたんですか?」
わたしを見て、クスリと笑う雪乃ちゃんを目の当たりにし、もう我慢できるわけがない。
「ごまかさないで」
「きゃ……!」
ケンカなんかしたことないから、勢いにまかせて、雪乃ちゃんに
「どうして、水沢くんのこと、もっと考えてあげないの?」
「やあ、痛い!」
髪をつかまれた雪乃ちゃんが、悲鳴を上げる。その横で、お腹を抱えて大笑いしている、ユウジくん。
「水沢くんのこと、好きなんでしょ? どうして、そんなことができるの?」
ひどいよ。
「お願いだから、やめてください。優ちゃんに言いますよ?」
「雪乃ちゃんなんかに、水沢くんの名前、口にしてほしくない」
逃げようとする雪乃ちゃんを意地でも離さない。
「人として……」
わたしの方が涙声になってきた。
「人として、やってもいいことと、悪いことがあるでしょ?」
せっかく、ユウジくんともうまくいきかけてたのに。どうして、全てをぶち壊すようなことを平気でしようとするの?
「絶対、許せない」
「やめて。助けて……!」
一際大きな声を、雪乃ちゃんが上げたときだった。
「草野さん!」
わたしの体が、雪乃ちゃんから、強い力で離された。それが誰なのかなんて、一瞬でわかる。
「離して、水沢くん」
雪乃ちゃんは、きっと同じことを繰り返す。ちゃんと、わかってもらわないと、だめなの……!
「草野さん」
今度は、本気で体を押さえられた。
「草野さんが、こんなことを理由もなくする人じゃないのは、わかってる」
「水沢く……」
涙なんて吹っ飛んじゃったくらい、興奮して息を切らしている、わたし。隣で静かに泣いている、雪乃ちゃん。笑いすぎて、呼吸をするのも苦しそうなユウジくんは、論外。
「でも」
力を緩めないで、水沢くんが続ける。
「たとえ、どんな理由があろうと、草野さんには人に手をあげたりしてほしくない」
優しく、強い瞳。この優しさと強さ、全ては雪乃ちゃんのため。
「草野さん……!」
いたたまれなくなって、わたしは逃げ出した。走って、走って、走って。頭が真っ白になるくらい、ひたすら走ったのです。でも。
「草野さん」
あっという間に、追いつかれてしまいました。水沢くんが、本気で追っかけてきてくれた、証拠。
「理由を教えてくれる?」
「…………」
言えるわけがない。あんなこと、口にしたくもない。それに……。
「草野さん?」
水沢くんとユウジくんの関係を少しでも修復できたのは、わたしが水沢くんにしてあげられた、唯一のこと。後にも先にも、わたしができることなんて、それ以外きっとひとつもない。
「……嫌いだから」
「何が?」
「雪乃ちゃんが、嫌いだから。いなければいいって、ずっと思ってたから」
吐き捨てるように、わたしは言った。
「わたしの気持ち、わかってるくせに、こんなもの選ぶ雪乃ちゃんが、大嫌いだから」
ひどいことを言う、わたしにあきれないでください。こんな言い訳しか、思い浮かばないんです。
「ごめん。悪いのは、僕だね」
わたしのバッグに目をやって、何とも言えない表情で謝る、水沢くん。
「……です」
「え?」
違うの。水沢くんは、何も悪くないの。
「好きです」
ただ、それだけなんです。
「水沢くんが、好きなんです」
「草野さん……」
「水沢くんしか、好きになれません。好きで、好きで、どうしたらいいか、自分でもわからないんです」
好きすぎて。水沢くんを困らせることがわかってるのに、止められないんです。
「草野さん」
なだめるように、両腕をつかまれた。
「ごめん」
「わたし……」
我に返って、水沢くんを見上げた。
「……草野さんに」
水沢くんが、めずらしく、わたしをまっすぐに見てくれない。
「草野さんに、ごめんって言うの、もうつらいよ」
「あ……」
うつむいたまま、悲しそうに笑う、水沢くん。こんなにつらそうな水沢くん、見たことない。わたしは、バカです。
水沢くんを悲しませるようなことは絶対にしてほしくないって、雪乃ちゃんやユウジくんにも、えらそうに思っていたくせに。自分が、水沢くんをこんな顔にさせているんです。
「ごめんなさい」
もう、追いかけてきてもらえるわけないのは、わかってたけれど。それでも、わたしは、全速力で走り出した。
最低です。友達失格です。こんな自分自身が、いちばん許せません。わたしには、水沢くんのそばにいる資格など、これっぽっちもないのです。
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