第13話 さようならの時間です



「また、これでもかってくらい、わかりやすく落ち込んじゃって。ドナドナかっつーの」


「…………」


 ドナドナ。なっちゃんも、うまいことを言う。わたしなんて、市場に連行されて、肉をさばかれればいい。


「あんたは悪くないよ。悪いのは、あの性悪女と、水沢くんの女を見る目……」


「水沢くんの悪口、言わないで」


 それだけは、なっちゃんでも許せません。


「いったい、どこまで人がいいんだか」


 なっちゃんは、あきれた表情で、ため息をつくけれど。


「とにかく、水沢くんは悪くないの」


 わたしは、あのピアノを聴いちゃったんだもん。いつか、水沢くんが音楽室で弾いてた、春の歌。あれを聴いたら、かなわないと思わざるをえない。


 ひたすら、あんなふうに想われる雪乃ちゃんがうらやましいけれど、雪乃ちゃんがどんな女の子であろうと、水沢くんの気持ちは、どこまでも優しくて、強くて、純粋。他人が邪魔したり、批判したりするべきものではないのです。


「そこまで言うなら、好きに……」


 と、なっちゃんが言いかけたときだった。


「葵、話がある」


 不意に現れた、達也。


「わたしは、ない」


「あ?」


 ただでさえ、落ち込んでいるというのに、またわけのわからない因縁をつけられるんじゃ、たまったものじゃない。


「話があるって言ってんだから、聞いてやったら?」


 達也相手に、なぜだか気を遣っている、なっちゃん。


「達也なんてね、自分の彼女の心配してればいいんだよ。この前、呼び出されたんでしょ? 可愛い子だったらしいじゃん」


 わたしには、達也をかまっている余裕なんか、ないのです。


「……断ったよ」


「断った! なんて、もったいないことを」


 何気に、びっくりした。


「なんでだと思う?」


「そういう面倒な質問は、お断りです」


 ごめんこうむるのです。


「聞いて、驚くなよ?」


 ムッとしたあと、思い直したかのように、視線をわたしの方に向けた達也と。


「驚かない、驚かない」


 と、わたしの横で苦笑いしてる、なっちゃん。全くもって、意味がわかりません。


「俺は」


「うん。何?」


 帰り支度をしながら、先を促す。


「おまえが好きなんだ」


「…………」


 はい?


「言った! 達也」


「草野を好きになるとは、すごい勇気だ」


 にわかに騒ぎ出す、教室の中のギャラリーたち。


「う……ええっ?」


 いったい、何を言い出すのかと思ったら。


「だから、水沢のことは忘れて、俺とつき合えよ」


 真剣な表情で、達也が詰め寄ってくる。


「な、な、何を……」


 告白は気軽に何度もしていますが、されるのは初めてなのです。全くの想定外なのです。


「自分で何を言ってるか、わかってる?」


 頭の中が、パニックに。


「だいたい! わたし、達也には、一回フラれてるじゃん」


 ついつい、よけいなことを口走る。


「へええ。二人の間には、そんな過去があったのか」


「両想いだ、両想い。変態草野に、春が来た」


 これ以上、ギャラリーをよろこばせて、どうしようというのだろう?


「皆さん、静粛に!」


 と、周りを黙らせようとしたときだった。


「とにかく、来い」


 強引に、達也に手を引っ張られた。


「あ、ちょっと……」


「はい。行ってらっしゃいな」


 ひらひらと、のんきに手を振る、なっちゃん。


「男を見せてこい」


「鼻血出すなよ、草野」


 いいように言われながら、わたしは達也に引きずられていくのだった。





「えっと……」


 わたしが連行されたのは、市場ではなく、裏庭。


「さっきの、本当なの?」


 どうしたって、タチの悪い冗談にしか思えない。だって、よりによって、このわたしですよ?


「冗談で、あんなこと言うと思うか?」


「もちろん、思いま……いえ、思いません」


 達也の顔色を見て、答えを修正する。


「俺だって、おまえみたいな変態をなんで好きになったのか、わかんねえよ」


「そんなこと、わたしに言われても」


 そもそも、それが好きな女子への態度でしょうか?


「でも、おまえが、水沢に騒ぎ出したくらいから」


 わたしを無視して、達也が続ける。


「やっぱり、おまえのことが気になって。いくら追い回しても、水沢に相手にされないのとか、見てられない」


「毎度、お見苦しいものを……」


 それには、返す言葉が見つかりません。


「葵」


「は……はい」


 見たことないくらい、真剣な達也。


「俺は、葵が好きだ」


「ごめんなさい」


 達也の気持ちには、素直に感謝している。


「でも、わたしは……」


 どうしても、水沢くんの顔が、思い浮かんでしまうのです。


「だから、水沢なんて、忘れろって言ってるだろ?」


「え……?」


 不意に、強い力で体を引き寄せられた。


「達也?」


 わたしの目の前に、達也の顔が迫ってくる。この体勢は、もしや。


「や……!」


 キスされる。振り払おうにも、あまりに強い力で、動けない。


「やめて! やだ……」


 わたしは、ケータイ小説みたいな強引なキスなんて、ときめかないの。


「やめない」


 すごい力。これ以上、抵抗できない。非常手段だ。大きく息を吸ってから、ありったけの声で叫んだ。


「水沢くん!」


「やめろよ」


 さすがに、周りを気にする達也。


「助けて、水沢くん! 水沢くん」


 水沢くん以外の人と、キスなんてできません。


「水沢く……」


「やめろって、言ってんのに」


 今度こそ、唇で口をふさがれそうになった、そのときだった。


「草野さん……!」


 息を切らした、水沢くんの姿が。


「水沢くん……」


 わたしの声を聞きつけて、来てくれたんだ。


「何があったの? 草野さんと……達也くん、だったよね?」


 ためらわずに、水沢くんが近づいてくる。


「……やってられない」


「達也!」


 自嘲気味に笑って、達也が駆けていってしまった。


「達也、ごめん……」


 あの後ろ姿、泣いていたかもしれない。


「大丈夫そうだったら、僕は……」


「どうして、来たの?」


「え?」


 校舎の中へ戻りかけた、水沢くんが振り返る。


「どうして?」


 わたしのことなんて、好きじゃないくせに。


「どうしてって、草野さんが僕を呼ぶ声が……いや」


 途中で間を置いてから、水沢くんは続ける。


「草野さんが心配だったから」


 迷いを感じさせない、強い瞳。きっと、水沢くんにとっては、わたしの気持ちに応えられないことと、わたしを守ろうとしてくれることは、全く別のことなのです。


 でも、それでも、心の内は苦しいはず。だって、さっきの達也を思い出すだけで、わたしも苦しいもん。ごめんねって思うけれど、どうにもできないんだもん。水沢くんは、そんな気持ちをずっと抱え込んでたんだ。だけど、しょうがないよ。


「……水沢くんが、そんなだから」


「何?」


 もう一度、水沢くんが、わたしをまっすぐに見る。


「水沢くんが、そんなだから、あきらめられないんだよ」


 こんなわたしに、優しくしてくれるから。いつでも、ちゃんと考えてくれるから。


「やっぱり、水沢くんと友達なんて、無理だよ」


「草野さん……?」


 本当に、自分勝手。土下座までして、お願いしたのは自分なのに。最後まで、水沢くんにとって、わたしは最低な人間です。


「もう、二度と話しかけません」


 水沢くんは、どんな顔をしているのでしょうか? わがままを言うと、今だけは悲しんでほしいです。


「だから……」


「だから?」


 水沢くんは、真剣に。


「だから、水沢くんも」


「うん」


 ただ、真剣に。


「水沢くんも、わたしに話しかけないでください。永遠に」


 最後まで、わたしの声に耳を傾けてくれました。


「今まで、ありがとうございました。大好きでした」


 そんなの、嘘だけれど。大好きでしたなんて、嘘。きっと、いつまでも大好きです。永遠に。


「それじゃあ。雪乃ちゃんと幸せでいてください」


 雨の日も、雪の日も、願っていますから……と、消え去ろうとしたところで。


「草野さん」


 水沢くんに、呼び止められた。


「できることなら、草野さんを失いたくなかったよ」


「…………」


 わたしだって、水沢くんの近くにいたかったよ。


「僕は、草野さんが本当に好きなんだ」


「全然、違うんだもん。水沢くんの好きと、わたしの好きは」


 行き場のない想いは、自分自身と水沢くん、両方を傷つけるんです。


「うん。だから、僕は待ってる」


「え……?」


 予想もしなかった、水沢くんの言葉。


「草野さんが新しい人を好きになったり、新しい何かを見つけたりして、僕へのわだかまりが消えるのを。そのときは、また草野さんと話をしたい。いろいろなこと」


 せっかく、泣くの我慢して、言いきったのに。水沢くんは、隠れドS決定です。


「女に、二言はないんだもん」


 もう、限界。ここで涙を見せたら、意味がない。とにかく、全速力で、わたしは走った。やっぱり、水沢くんは、意地悪です。だって、どっちにしても、水沢くんとは永遠に話せないではありませんか。





「はい、おかえり」


「あ」


 荷物を取りに教室に戻ると、残っていたのは、なっちゃんと達也。


「さっきは、ごめんね」


 達也には、ちゃんと素直に謝りたい。


「でも、わたしは……」


「わかってるよ」


 ふてくされたように、達也が応える。


「水沢だろ? 一生、水沢を追い回すんだろ?」


「具体的な計画は決まってないんだけど、そうなると思う。もちろん、水沢くんには気づかれないように」


 常に細心の注意を払い、ストーカーの鏡になるつもりです。


「誰も、そんなとこまで聞いてねーし」


「そっか。まあ、今のは、自分への宣言というか」


 わたしと水沢くんの、第二のステージに向けてのね。


「相変わらず、わけわかんねえな」


 わたしも、わけがわからないけれど。そんなわたしの、どこがよかったのか。


「いや。中学んときとか……けっこう、一緒に遊んだじゃん? 俺ら」


「あ、うん」


 姿勢を正して、達也の話に相づちを打つ。


「それが、おまえに告られてから、どうもギクシャクするし。あの王子が現れてから、なおさら離れちゃったしで、きっと寂しかったんだよな」


「達也……」


 なんと爽やかで、清々しいフラれっぷり。


「あんた、いい男だったんだね」


 なっちゃんも、本気で感心しています。


「そういえば、あんたも悪かったよね、あのときは。葵が決死の覚悟で告白したのに、笑い飛ばしたりしてさ」


「たしかに……!」


 記憶から、きれいさっぱりと抜けていました。


「とにかく、俺も気が済んだ。なんとなく、収まりがつかなかったっていうの? すっきりしたわ」


「……達也」


 むしろ、先生とお呼びしたいところですが。


「あ?」


「ありがとう」


 好きになってもらえて、光栄です。


「とにかく、そんなわけだから。たまには、また遊ぼうぜ」


「うん」


 持つべきものは、友達かもしれない。今、わたしは、猛烈に感動しています。


「で、水沢くんの方は、どうなったわけ?」


 靴を履き替えながら、質問してくる、なっちゃん。


「友達から、一介のファンに戻ったの。だから、二度と話しかけないように、お願いしてきました」


「何? 今度は」


 なっちゃんが眉をひそめる。もはや、達也の方は、どうでもよさそうだけれど。


「だって、水沢くんに悪いんだもん」


「だからって、極端すぎるでしょ?」


「そうだけど、でも……」


 思い出すと、涙が出てきそうになるのです。


「とりあえず、何か食ってくか?」


「わたしは、南と待ち合わせてるから」


「へえ。おまえんとこも、長いよな」


 そんな、二人の会話の合間に。


「あ」


 水沢くんのピアノの音。


「別れの曲……じゃなくて、練習曲第三番」


 いつか、わたしのために、水沢くんが弾いてくれた。


「え?」


「…………」


 やっぱり、わたしには聴こえるのです。水沢くんが音楽室で弾いている、ピアノの音が。


「葵……」


 今だけ、思いきり、泣かせてください。しばらくの間、さようならです。もっともっと、強くなります。そして、いつの日か胸を張って、水沢くんの前に現れたいのです。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る