第8話 友達からお願いします
「ではでは、行ってまいります」
「行ってきな。早く」
「頑張ってね、葵ちゃん」
これから放課後デートのなっちゃんと南くんに対し、補習に向かうわたし。世の中、不公平です。
「物理だか何だか、知らないけど」
教科書と筆記用具を準備しながら、文句をつぶやく。
「わたしの人生に、鉄の固まりの落ちる速さが、どう影響するって……」
あ。今の言い回し、ケータイ小説っぽいような。ここで、突っ込んでくれる誰かがいると、完璧なんだけれど。
「おい、葵」
「……達也か」
もう、存在すら、忘れていたよ。
「おまえ、俺のことをバカにするのも、いい加減にしろよ」
「…………」
補習、やだな。どうか、水沢くんに見つかりませんように。
「おい。人の話、聞いてないだろ?」
「聞いてる、聞いてる」
よし。A組の前を通らないですむよう、遠回りして行こうっと。
「待てよ」
「や、ちょっと」
教室を出ようとした瞬間、バカ達也に肩をつかまれ。
「ぎゃ!」
体ごと、二人で派手にひっくり返ってしまった。
「ちょっと、何す……」
周りに笑われている中、起き上がろうとしたら。
「大丈夫?」
廊下側の目の前に、水沢くんが。
「大丈夫……です」
あわてて、うつむいた。水沢くんにあんなことを言ってしまって、これでも反省しているんです。
「なら、よかった。あと、これ。飛んできたよ」
「はい? 何かわかりませんが、ありがとうござ……わあ!」
水沢くんから、物理の答案を受け取った。今回は、8点。
「や……えっと、失礼しました。それと」
今しがた、こんな淫らに、重なり合っていましたが。
「わたし、これとは何の関係もないんで。あ、達也っていうんだけど」
「何だよ? これって」
どうでもいいところで、口を挟む達也。
「水沢」
そこで、中から水沢くんに声をかけた、南くん。
「ああ、南」
高校生男子らしい、爽やかなやり取り。
「葵ちゃんって、不器用だけど、いい子だよ」
「南くん……!」
むしろ、南くんまで好きになってしまいそうです。が、おそるおそる、水沢くんの方を見ると。
「わかってるよ」
短い言葉だけれど、丁寧に、水沢くんは答えてくれました。
「葵。それより、補習は?いいの?」
「そうだった!」
なっちゃんの一言で、我に返る。
「行ってきます」
「葵……!」
なんだか知らないけどれ、叫んでいる達也を無視して、全速力で走った。わたしは、留年するわけにはいかないのです。
「……吐きそう」
補習、終了。つくづく、わたしの脳は、勉強に向いていない。だからって、恋愛能力にも全く
悪くはありませんね、うん。決して、悪くはないんだけれど、切ないのです。ほのかに幸せだけど、切ないのです。そう、この音楽のように。
「……え?」
どこから、聴こえてくるのでしょう? この胸に響きまくる、ピアノの音は。
「水沢くんだ……!」
音楽室に向かって、階段を駆け上る。家の前で、こっそり聴いたのと同じ、『春の歌』。
「やっぱり……」
扉は閉まっていたけれど、音でわかるのです。なんて、優しさに満ちあふれた音。決して、押しつけることなく。この音のように、水沢くんは、雪乃ちゃんを想い続けていたんだろうね。
でも、そんなことは関係なく、無条件に涙があふれてきて、止まらない。水沢くんと、水沢くんのピアノが、本当に、本当に、大好きすぎて……。
「草野さん?」
「水沢くん……」
気がついたら、扉が開いていた。そして、わたしの前に、しゃがみ込んでくれた、水沢くん。
「使う?」
少し弱った表情で笑って、ハンカチを差し出された。
「……今日は、持ってるんで」
水沢くんを見習って、最近は必ず持ち歩いているのです。
「『春の歌』だね」
「そう。よく知ってたね」
やっぱり、今みたいな水沢くんのうれしそうな表情を見れるのが、幸せ。
「雪乃ちゃんのこと、本当に好きなんだね」
「うん。好きだよ」
やっぱり、ためらわずに答える水沢くんは、まぶしくて。
「いいなあ。雪乃ちゃん」
思わず、本音が。
「草野さんには、この前も言ったけど」
そんなわたしに心を許したかのような、さっきとは違う笑顔を見せたあと。
「物心ついたときから、雪乃とはずっと一緒にいたんだ」
水沢くんが、静かに話し出した。
「でも、僕がピアノや勉強で忙しかった時期に、雪乃から目を離してしまったことがあって。僕は、ずっとそれを後悔していたんだ」
「そう……」
つまり、水沢くんが目を離したすきに、雪乃ちゃんとユウジくんが。
「情緒不安定になった雪乃の行動は、僕の耳にも入ってきて、ショックを受けたけど」
そこで、水沢くんは、一瞬言葉を詰まらせた。
「情けないことに、見て見ぬふりしかできなかった。なんとなく、距離を置きながら」
「見て見ぬふり……」
水沢くんにとって、それがどんなにつらいことか、容易に想像できる。きっと、普通の人の何倍以上もの苦しみ。
「きっと、草野さんのおかげだよ」
「はい?」
驚いて、水沢くんの顔を、下からのぞき込んだ。
「よけいなことは考えないで、雪乃を好きだっていう気持ちだけを貫けばいいことに、気づけたのは」
「え……」
それ、全然うれしくありません。
「この前は、あんなふうに言っちゃったけど。草野さんの嘘がなくて、まっすぐなところも。本当は、大好きなんだ」
「そんなことないんだよ、水沢くん」
水沢くんには、嘘ばっかりついてきました。
「コンビニのバイト探してたっていうの、嘘。あれ、元々は、水沢くんの家が目当てだったの」
「そうだったんだ?」
普通に驚いている、水沢くん。
「ごめんなさい。鼻血出しちゃったときも、水沢くんが水曜日にこだわってた理由が知りたくて、あえて探りに行きました」
さすがに、ここまで暴露したら、嫌われちゃうかもしれないけれど。
「いいんだよ」
なんだか、ドキッとするような表情で笑った、水沢くん。
「本当のことを聞いても、嫌な気持ちにならない嘘なら」
「あ……」
雪乃ちゃんを手に入れ、男子としての魅力に、さらに磨きがかかってしまったのでしょうか? もちろん、以前からの優しさは、そのままに。
「水沢くん」
「ん?」
そんな水沢くんのことが、改めて……。
「好きです」
「応えてあげられなくて、ごめん」
今の間は、絶妙でした。
「とっくに、わかってはいるんですけどね」
でも、こんなふうに、少し困ってる水沢くんも格好いいと思ってしまう、わたし。もはや、救いようがないのです。
「これから、莫大な時間をかけて」
「うん?」
「水沢くんを、そういう目で見ないように、努力しますから」
いや、これも嘘なんだけどね。
「だから、友達になってください。お願いします」
水沢くんから離れるのは、すでに身も心も無理です。ここはもう、一世一代の土下座で、お願いするしかない。
「何言ってるの?」
「え……?」
床についた手を、はがされた。
「女の子が、こんなことをしたら、だめだよ」
わたしの手についたホコリまで、自分の手で丁寧に払ってくれる、水沢くん。吸いつくように、気持ちのいい肌。夢かもしれません。
「話しかけてくれたら、うれしいって。僕は、草野さんに言ったよね」
「あ……うん」
答案を水沢くんの机の中に忘れたおかげで、初めて言葉を交わした、あの日。
「あのときから、僕は友達だと思ってたよ」
「……ありがとう」
それは要するに、出会った瞬間から、友達以上の関係はありえなかったのだということかもしれないけれど。でも、それでもいいのです。
「どうしよう……?」
やっぱり、好きすぎます。
「ん?」
「ううん! 何でも」
あわてて、首を振る。
「こんなわたしですが、これからも、よろしくお願いします」
「僕の方こそ」
やっぱり、わたしは、水沢くんの笑顔が好きなんだ。だから、友達でいられるだけで、幸せなのです。そして、やっぱり。
「…………」
「どうしたの? 草野さん」
どうしても、気にかかるのは、ユウジくんのこと。
「待っててね、水沢くん」
「え?」
「いえ。こっちの話でし」
雪乃ちゃんとユウジくんの関係の完全な断絶と、水沢くんとユウジくんの仲の修復。友達として、わたしは、この笑顔を死守するため、きっと水沢くんの力になります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます