第6話 その気持ちわかります



「そう、だから……!」


 水沢くんより背は低いといっても、ずっと見下ろされたままの状態でいるのは、威厳がない感じですが。


「いったい、何考えてるの? 水沢くんの弟のくせに、部屋で不純異性行為なんかして。いいと思ってるの?」


 おかげで、水沢くんに、どれだけ迷惑をかけているか。


「何? それ。もしかして、のぞいてたの?」


「そんなわけないでしょ? わたしは、部屋の下で声を聞いてただけです」


「どっちにしろ、変態じゃん、それ。本当に、離してほしいんだけど」


「あ」


 しまった。よけいな口を、滑らせてしまった。


「あ、水沢くんの弟くん、待って……!」


 わたしが油断した、一瞬のスキをついて、すり抜けられてしまった。


「しつこい」


「だって、話は終わっていませんので」


 早足で家の方向へ急ぐ、弟くんの横につく。


「警察、呼ぶよ?」


「それは困ります。水沢くんの弟くん、ひとつだけ」


「水沢くんの弟、水沢くんの弟って、うるさい」


 だんだん、本気でキレられ始めているのを、肌で感じた。


「あ……ごめんなさい」


 そんな呼ばれ方されたら、たしかに嫌だよね。


「じゃあ、名前なんていうの? 弟くん」


「ユウジ」


「はい?」


 ユウジ?


「ユウくん……と、ユウジくん?」


 兄弟で、あまりに似通っていませんか?


「わかんないの? 優の次と書いて、ユウジだよ」


「ええっ? ひど……!」


 なんて、適当な名前をつけられちゃったんだろう。こんなふうに、ひねくれて育つわけだ。さすがに、弟くんに同情せずにはいられない。


「そっか……苦労してきたんだね、ユウジくん」


 勉強とかも、できないんだろうなあ。


「わかった、ユウジくん。そういうことなら、わたしが……あれ?」


 いつのまにか、姿が消えている。





「それ、弟に騙されてるだけでしょ? 今どき、そんな名前つける親、いる?」


「いやいや、長女のなっちゃんには、わからないかもしれないけどね。次男次女の苦しみっていうの、あるんだよ」


 わたしも、頭のできのよいお姉ちゃんがいるから、少しはわかるのです。


「……でも、水沢くんの弟がどうであろうと、葵には関係なくなったよ。いよいよね」


「えっ?」


 なっちゃんの宿題を写す手を止めて、顔を上げた。


「南情報。正式に、つき合い出したって。例の幼なじみと」


「ああ……ついに」


 覚悟は、していたはずなんだけれど。だいたい、すでにフラれていて。だけど、それでも、やっぱり。


「……そっか」


 理屈じゃなく、つらい。水沢くんが、あの雪乃ちゃんを抱きしめることが。


「葵……」


 涙が止まらないわたしの頭を、なっちゃんがなでてくれる。


「めちゃくちゃなことしてたけど、一生懸命好きだったんだもんね。あんたなりに」


 声にならないから、何度も無言でうなずいた。


「まあ、しようがないよ。これを機に、少しは成長できたでしょ」


 わたしの頭をポンポンと叩く、なっちゃんの手は優しいけれど。


「ほら。もう、授業始まるから」


「水沢くん……」


 ほろほろと頬を伝わる涙は、止まる気配がない。


「先生、来たよ」


 わたしをなだめることをあきらめて、授業の準備をする、なっちゃん。


「草野。また、おまえか」


 もちろん、先生の目にも止まって、注意を受ける。


「そんなんじゃ、授業にならないだろう。顔でも洗ってこい」


「誠に、相すみません」


 先生に感謝して、席を立った。こんなわたしでも、ケータイ小説の中なら、王子様に見初めてもらえるのに。現実に王子様のハートを射止められるのは、生まれながらのお姫様だけ。


「つらいなあ」


 つぶやいてから、水道の蛇口をひねった。冷たい刺激で、涙腺を閉めなくちゃ。


「水沢くんの、バカ……」


 我慢できなくて、声を漏らしながら、勢いよく顔に水をかける。


「わたしの気も知らないで」


 あんなに優しくされたら、どんどん好きになっちゃうに決まっている。


「そうです。水沢くんは勉強はできても、バカです。もっと、自分の素敵さの罪を自覚してくれなくちゃ」


 困るのは、わたしなんだから……と、そこで。


「草野さん」


「…………!」


 その声は。


「草野さん。こっち、向いてくれる?」


 とっくに、わかっています。水沢くんです。だけど。


「草……」


「今、取り込み中です」


 水道の栓を閉めたものの、振り向けない。ハンカチ、持ってくるのを忘れました……というより、携帯していないときの方が多いかもしれません。


「もしかして、ふくもの持ってない?」


 ハンカチを差し出してくれる、何でもお見通しの水沢くん。


「……嘘だからね」


 もう、しょうがない。ハンカチを受け取って、顔に押し当てた。


「水沢くんのこと、バカだなんて、思ってないからね」


「わかってるよ、そんなこと」


 また、少し怒ったように否定してくれる、そんな優しさがを残酷だとは思いながらも、やっぱり。


「好きです」


「雪乃と、つき合うことになったんだ」


 秒殺でした。


「……知ってる」


「ずっと近くにいて、ずっと好きだった子なんだ」


「わかってる」


 止まった涙が、また流れてこないように、水沢くんのハンカチをギュッと握りしめる。


「わたしね、水沢くん」


「ん?」


「雪乃ちゃんみたいには、なれないけど」


 どうあがいても、それは無理。


「少しでも水沢くんに近づけるように、頑張りたいの」


 やっぱり、自分をごまかすことはできない。


「草野さん……」


「とりあえずは、始めてばかりのバイトを頑張って。いろいろなことにも挑戦して、自分を磨きたいの」


 水沢くんにも嘘をつきたくない。


「それって、時間を無駄にしてることになる?」


「……ならないよ」


 あきらめたような表情で、水沢くんは笑った。


「僕に、そこまでの価値があるなんて思えないけど」


「あるんだよ。だから、わたしは……」


 水沢くんじゃなかったら、こんなふうには考えられなかった。


「強いね、草野さんは」


「それだけが、とりえですから」


 昔から、打たれ強いと言われてきました。


「僕は、草野さんのそういうところに、憧れるよ」


「水沢く……」


「おい、葵」


 と、いいところで、よけいなのが登場。


「何なの? 達也」


 せっかく、いい雰囲気だったのに。


「あ? 心配して、見にきてやったんだろ? おまえの態度こそ、何なんだよ?」


「やめて! そのガサツな口調、余韻が台無し」


 だいたい、頼んでもいないし。


「じゃあ、僕はお先に。頼まれた資料、取りに行く途中だから」


「あ、水沢く……」


 草原を吹き抜ける風みたいに、爽やかな立ち去り方。


「ほら。教室、戻るぞ」


「やめてってば。達也なんかと、変なふうに誤解されちゃう」


 わたしの腕を引っ張ろうとする達也を、払いのける。


「水沢くん!」


 ありったけの大きな声で、叫んだ。


「わたしの働きっぷり、たまには見にきてね」


 そこで、振り返って見せてくれた、いつかと同じような笑顔。以前の何倍も、水沢くんを好きになっていることを、思い知らされるのです。が。


「草野、調子に乗るんじゃない」


 そのあと、先生にみっちりと注意を受けてしまったのは、当然のことです。





「じゃあ、奥の方にいますから。少しの間、品出しとレジ、両方お願いできますか?」


「はい。謹んで、お受けいたします」


 ここまでくれば、もうプロの域と言えるでしょう。小さい店舗の、それほど忙しくない時間帯とはいえ、品出しとレジを同時にこなせれば、コンビニマスターも名乗れるはず。そんなことを考えながら、調子よく日用品を棚に並べていたんだけれど。


「は……!」


 わたしとしたことが、とんでもない失態を。


「まさか、16個セットのトイレットペーパーをコンビニで扱っていたとは……」


 これは、とんだ誤算だ。おかげで、さらにいくつかの包装に分かれていると疑わないで、ビニールを破いてしまった。


 このまま並べて、バラ売りするわけにはいかない。そんなことをした日には、「トイレットペーパーを好きな数で買える、一風変わったコンビニ」と、近所の人に色眼鏡で見られてしまう。


 せっかく、今日という今日まで奇跡的にノーミスでやってきたのに、わたしが苦労して築き上げてきたものが……。


「あ!」


 困り果てていたところに、救いの神を発見。


「ちょっと、ユウジくん」


 店内で目立っていた赤い髪に、そっと近づく。


「また、あんた?」


 面倒そうな、冷たい視線。


「お願い。何も言わずに、このトイレットペーパーを受け取ってくれる? 一生、恩に切るから。ちょっと、封が開いてるけど」


 幸い、ポケットの中に、これを買い取れる小銭も入ってた。店長に見られる前に、証拠隠滅ができる。


「封が開いてるって、どういうこと? 気持ち悪いんだけど」


 たしかに、それはもっともですが。


「大丈夫! 中身は、ごく普通のトイレットペーパーだから。いろいろと、事情があるの」


 優しい水沢くんの弟と見越して、お願いしているのです。


「ふうん……いいよ」


「えっ? 本当? 持って帰ってくれる?」


 店長に聞こえないよう、控えめに声を上げて、小躍りする。これで、わたしの信用を失わずにすんだ。


「そのかわり」


「はい?」


 ニヤリと笑った、ユウジくんを見上げる。


「何も言わずに、マルボロ1カートン売ってよ」


「…………!」


 この不良中学生、何考えてるの?


「ちょっとね、タバコの箱買いなんて、中学生のすることじゃないでしょ?」


 だいたい、普通の中学生のお小遣で手が届く金額じゃないでしょうに。


「いいじゃん。金なら、あるんだし。何なら、お釣りあげるよ」


「なんて、すれきってしまった心……!」


 姉のような立場として、嘆かわしい。


「困ってんじゃないの? 間違えて封開けた、これの行き場で」


「なんと……」


 そこまで、見抜かれていたとは。ここは、肉を切らせて、骨を断つしかないのかもしれない。


「取り引きに応じましょう」


「早く。ライトの方でいいよ」


 中学生にして、すでに重度のニコチン中毒。これも、ユウジなんて名前をつけられて、常に二番目扱いされてきたせいに違いない。


「でもね、ユウジくん」


 ヒヤヒヤしながら、お金は受け取ってしまったけれど、任務は遂行しなければ。


「今は渡せません。わたしの勤務が終了する一時間後に、店の前に来なさい」


「何言ってんの?」


「ほら。店長が来ちゃう。約束どおり、これ持ってって」


 不服そうなユウジくんに、トイレットペーパーを押しつける。


「……一時間後?」


「そう。必ず!」


 本当に現れた店長に、舌打ちをして外に出ていった、ユウジくん。


「不在中、何も問題ありませんでしたか? 草野さん」


「はい。間違っても、未成年にタバコの販売などしておりません」


 店長、ごめんなさい。店で道徳を破るような行為を働くのは、これが最初で最後です。わたしは、水沢くんとユウジくんの力になるのです。だって、水沢くんがあんな表情を見せるのは、ユウジくんの話をするときだけ。


「これで、よしと」


 ユウジくんのタバコを、リュックの奥に詰める。できの悪い同士でもある、ユウジくんの劣等感を取り除いてあげるの。まずは、そこから、ユウジくんの態度を変えていくのが、わたしの使命……!



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