第5話 そう上手くいきません
「葵、口閉じなよ、口。いつまでも、死んだ魚みたいな顔してんじゃないの」
「…………」
わたしは、もう何も考えられないのです。水沢くんに、ふられただけでなく、ダメ押しまでされて。さらに、あんなにお世話になっておいて、わたしから逆ギレしてしまいました。
「本当、あきれるわ。また家の前まで行って、そこで鼻血? よく、告白なんてしたよね」
「まあまあ、なっちゃん」
なっちゃんをなだめてくれる、南くん。
「水沢もなあ……いいヤツすぎて、何考えてるかわからないっていうのもあるよね」
「そう! そうなの」
さすが、南くん。年賀状を出し合う仲というだけあって、言葉に重みが感じられる。
「南は、口出さないで。水沢くん、好きな人がいるんでしょ? いい加減、引き下がりなよ、おとなしく」
「そうなんだよね、好きな人が……」
いったい、どんな人なんだろう?
「ねえ。あんた、人の話聞いてる?」
なっちゃんなんて、無視なのです。
「南くん、知らない? 水沢くんの好きな人」
「うーん……もしかしてっていう子は、一度見たことあるかな」
「えっ?」
本当ですか?
「どんな人? そして、どういうシチュエーションだったの?」
聞かずにはいられない。
「いや、たまたま、水沢と一緒にいたとき」
「うん。水沢くんと、一緒にいたとき?」
なんだか、緊張してきました。
「幼なじみとかいう子と、偶然会ったんだけど。ちっちゃくて、色白な可愛い子でさ。そのとき、いい雰囲気だと思った記憶が」
「ちっちゃくて、色白? なんか、どこかで……」
あ。
「もしかして、S女の?」
初日に、職務質問された。
「そうそう、S女の制服着てた。よく知ってるね、葵ちゃん」
よりによって、わたしは水沢くんの想い人に、変質者と間違われてしまったの?
「南、帰ろうよ。葵のことは、達也にでも任せて」
「ちょっと、どうして、達也が出てく……」
と、そこで。
「ん?」
見覚えのない番号から、携帯に着信。とりあえず、出てみることに。
「はい……ええっ? 本当ですか?」
わたしのリアクションを見て、なっちゃんが足を止めた。
「あ……はい、少し! 少しだけ、お待ちください」
意外なところからの意外な用件に、やっぱり、何だかんだ頼りになる、なっちゃんの意見を仰ぎたくなる。
「なっちゃん……!」
「何よ?」
しっかりと待ち構えてくれている、なっちゃん。
「あの例の水沢くんの家の近くのコンビニで、働かせてもらえるっていうんだけど。いいと思う?」
わたしは、やる気満々なのですが。
「まあ、いいんじゃないの? 社会勉強になって」
「なるほど。水沢くんが来たら、そう言おうっと」
人間として、成長しなくてはいけないのは、たしかだもんね。
「うん。葵ちゃんみたいな子、意外と水沢に合うと思うよ、俺」
「南くん……」
二人共、なんと優しいのでしょう?
「では。早速、行ってまいります」
「嫌われない程度に、頑張りな」
「大丈夫!」
なっちゃんに、大きな声で返事をして、教室を飛び出した。
「……そそらない」
制服に袖を通した自分の姿に、がっかり。
「どうかしました?」
「あ、いえ! よろしくお願いいたします」
店長に、丁寧に頭を下げる。 当てにしていた人に断られて、急遽声がかかったようだけれど、早く戦力になるよう、頑張らなくては。そして、その姿を水沢くんに見てもらうのです。
「まずは、店の中と外を軽く掃除してもらえますか? だいたい、どこに何があるか、把握できるんで」
「かしこまりです」
そう。服装なんか、関係ない。大切なのは、どんなことにも、一生懸命に取り組む姿勢であって……と、なんと。
「わ!」
店の前を掃いていたら、水沢くんが角を曲がってくるのが見える。どうしよう? こんなに早く、遭遇してしまうなんて。まだ、心の準備もできてないのに。
でも、とにもかくにも、まずは謝るべきか……あ。そこで、気がついてしまいました。見覚えのある女の子も、一緒。
「終わりました?」
「や、その……」
とっさに、店内に戻ってしまったけれど。
「えーと……続き、やってきます」
外回りは、店の顔だもの。途中で、放り出すわけにはいかない。腹をくくって、もう一度、外に出ると。
「草野さん?」
「こ、こんにちは」
思ったとおり、ちょうど出くわしてしまいました。水沢くんと、まずい場面を見られてしまった、この前の女の子に。
「あのですね、結局、バイトできることになって」
よけいなこと、今は言えないもんね。それにしても、まともに女の子の顔が見れない。どうか、気づかれていませんように。
「そっか……ああ、この子は、向かいに住んでて、僕たちのひとつ下の、雪乃」
わたしの普通な態度に安心したのか、表情が柔らかくなった、水沢くん。そして。
「はじめまして。雪乃っていいます」
水沢くんに紹介されて、恥ずかしそうに頭を下げた、女の子。
「雪乃ちゃん……」
なんて、ぴったりな名前。
「わたしは、草野です。草野葵と申します」
なるべく、雪乃ちゃんの方に顔を向けないように、深々とお辞儀をした。
「一度、どこかで……」
「完全な初対面ですね。はい」
雪乃ちゃんには、毅然とした態度で応対するしかない。疑われたら、最後。わたしの怪しい行動が、水沢くんに、バレてしまう。
「そう、水沢くん! 何か買いに来たの?」
「うん。飲み物とか、適当に」
ニッコリと笑いかけてくれるけれど、どことなく気遣われている感が漂うのは、当たり前のこと。だけど、わかっていても、寂しくて……。
「優ちゃん」
そこで、水沢くんに呼びかける、雪乃ちゃん。水沢くんを、優ちゃんと呼べる、女の子。
「わたし、お菓子選んでくる。今日は、わたしがお金出すからね。試験範囲、見てもらうんだもん」
「いいよ」
少し意地悪っぽく笑う、水沢くん。
「雪乃なんかに気を遣われても、落ち着かない」
「…………」
ドキッとした。水沢くんの、王子様じゃない瞬間を見て。
「ゆっくり、心ゆくまで見ていってください。いい品、たくさん揃えてありますから」
それが格好よすぎて、どうにかなりそうなんだけれど。同時に、どうにかなりそうなくらい、苦しいのです。
「すっかり、模範店員さんだね。草野さん」
そう言って、楽しそうに笑う水沢くんは、何も悪くないのに。
「そんな、ふざけた言い方しないでください……!」
また、やつあたりみたいな態度を取ってしまった。
「草野さん。そっち終わったら、今度はトイレの方をお願いします」
「あ……はい、ただ今」
店長から呼び出しがかかって、先に中に入る。
「ごめん、草野さん」
水沢くんの声を背に、店のトイレのドアを閉めた。わたしは、サイズも微妙に合わないイケていない制服で、トイレ掃除。S女のイケている制服の雪乃ちゃんは、どちらかの部屋で、水沢くんと勉強。
「臭い……」
前に使った人が流し忘れている。水沢くんの家の近くでなんか、バイトするんじゃなかった。あんな、雪乃ちゃんだけに男の子の顔する水沢くん、見たくなかった。
「……どっちにしろ、対象外なんだっけ」
涙をこらえて、汚れが落ちない箇所をブラシでこする。
そうだよ。水沢くんが雪乃ちゃんを好きなのも、一目瞭然だったじゃん。それに、最初から、わかっていたことなんだから。水沢くんとは、住む世界が違うことくらい。ほんの少し、気にかけたもらえただけで、満足しなくちゃいけないんだよ。
「水沢くん……」
それでも、いつまでも懲りないで、よろこんだり、傷ついたりを、くり返していくのでしょうが。
数回通っているうち、幸いなことに仕事には慣れてきましたが、最初に思い描いていたような華やかな話題なんて、何もないのです。
「いらっしゃいませ」
「これ。あと、スティックポテト」
「はい。では、先にお会計を失礼いたします」
また、ポテトの注文が。自分でポテトを揚げるなんて、最初は予想外でしたが、今では完璧な色加減です。
でも、水沢くんは、やっぱり顔を出すことはない。きっと、わたしを気遣ってのこと。だけど、それでよかった。
「熱……っ!」
考え事をしていたら、油が跳ねてしまいました。仕事中に、気の緩みは禁物です。
「スティックポテトをお待ちのお客様、お待たせいたしました」
「ありがとう」
いろいろありますが、もう後悔はしていません。ひとつひとつ、小さなことを最後までやり遂げたり、さっきのようにお客様に感謝の言葉をいただいたり。なっちゃんに言われたとおり、社会勉強になっているという実感が……と、そのとき。
「こんにちは」
「あ、いらっしゃ……いませ」
びっくりした。雪乃ちゃんが、一人でご来店! 私服姿も清楚だけれど、おしゃれで可愛い雪乃ちゃん。
「これ、お願いします」
「あ、は、はい」
差し出された雑誌を袋に入れて、雪乃ちゃんに渡す。落ち着き払った雪乃ちゃんと、挙動不審なわたし。どちらが年上なのか、わからない。
「20円のお返しです。ありがとうございました」
お釣りを受け取る雪乃ちゃんの手に、一瞬触れた。白くて細い綺麗な手の、感触まで滑らか。この手が、水沢くんに握られちゃったり……なんて、いらぬ妄想をしていたら。
「安心してください」
「はい?」
雪乃ちゃんに、突然かけられた言葉。
「この前のこと、優ちゃんには黙ってます」
「…………!」
とっくに、バレていた。しかも。
「生意気な言い方に感じたら、ごめんなさい」
頭まで、下げられてしまった。
「や、そんな……」
なんだか、憐れまれている気分。
「じゃあ、失礼します」
「……ありがとうございました」
一度は浮上した気持ちが、また沈んでしまった。
「草野さん、あがっていいですよ」
「今日も一日、お世話になりました」
店長に終わりのあいさつをして、ロッカー室に引っ込む。今日も、これから、二人で会ったりするのかな。どっちにしても、あの雰囲気なら、つき合い出すのも時間の問題。
「はあ……」
着替えを済ませて、大きくため息をついた。
「お先に失礼いたします」
そして、疲れ果てた体と心で、店を出ようとしたときだった。
「…………」
ふと、雑誌を立ち読みしている、中学生くらいの男子が目に入った。ギターか何かの楽器を持って、髪も真っ赤にしちゃって。 水沢くんとは、大違い。きっと、女子にモテるためだけに、チャラチャラとバンドなんか……。
「ん?」
でも、ちょっと待って。思わず、その子の顔をのぞき込んだ。
「……やっぱり」
間違いない。絶対、そう!
「そこの、あなた」
確信を持って、目の前の子に、声をかけると。
「何? さっきから。気持ち悪いんだけど」
ゆっくりと向けられた、冷ややかな目。
「き、気持ち悪い……?」
年上に向かって、なんという生意気な態度。
「わたしは、あなたに話が……無視しないで。待ちなさい」
雑誌を棚に戻すと、わたしの方を見もしないで、店の外へ出ていく男の子。
「待ちなさいってば」
数メートル追いかけて、その細い腕をガッチリとつかんだ。
「あなた、弟でしょ?」
背もだいぶ低いし、雰囲気に全く共通点がないけれど。わたし好みの端正な顔立ちは、まさに生き写し。
「何言ってんの?」
「水沢くんの! 水沢優くんの弟でしょ?」
一目見れば、わかる。こんなに似ている兄弟、他にいない。
「だったら、何? 腕、離しなよ」
「だったら? えっと……」
蔑むような表情に、たじろぎそうになった。でも、ここで引き下がるわけには、絶対にいかないのです。
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