第2話 変質者ではありません
「ウッソ!水沢くんが? わたしも行きたかったんだけど」
「A組女子、本気でムカつく。いいかげん、情報規制すんなって話だよね。水沢くんは、この学校の女子全員の共有財産なのに」
今日も朝から、水沢くんの話題が耳に入ってくる。でもね、以前のわたしと今のわたしとでは、ちょっとばかり違うのです。そういった、ミーハーな会話には……と、一度は、自分に言い聞かせてみたんだけれど。
「入れて! 何? いったい、水沢くんがどうしたの?」
水沢くんに関わる情報だなんて、我慢できるわけがない。
「あ。4点の答案、水沢くんに見られた、草野だ」
クラスの女の子たちに、ゲラゲラと笑われる。
「いいなあ、草野。うらやましい。絶対、水沢くんに顔も名前も覚えてもらえたよ」
「あのときは、水沢くん、何を血迷ったのかと思ったけど。よりによって、草野に告白でもするつもりだったのかと思って」
「なわけ。水沢くんに失礼すぎだわ」
勝手なこと、言われ放題。
「その話は、いいですから。どうか、わたしにも情報の共有を」
しょうがないけどね。あのあと、自分の教室に戻る途中、また落とした答案を今度は達也に拾われて、呼び出された理由がクラス中に広まっちゃったんだもん。
「いやね。この前の日曜日、水沢くんがピアノのコンクールに出てたとか、今朝聞いてさ。A組女子、総出で会場まで見に行ったらしいよ」
「ピアノ!」
そんな高尚な特技まで持っていたとは。水沢くん、あなたという人は、どこまで……。
「しかも、優勝したんだって。いよいよ、本物の王子だよ」
「あ。ググったら、出てきた。曲目、ベートーベンの『熱情』だって。王子の熱情!」
「熱情……」
これから、水沢くんが熱情を捧げる相手は、どんな人なのでしょうか? それとも、すでに存在しているのでしょうか?
わたしでないことだけは、たしかですが。せっかく、水沢くんがあんなふうに言ってくれたのに、なぜか水沢くんを見かけると逃げてしまう、チキンなわたし。
「たまには、A組のぞいてこようかなあ」
そろそろ、エネルギー補給もかねて。
「ほどほどにしときなよ。A組女子、タチ悪いから」
「大丈夫、大丈夫」
慣れてますもの。が。
「いないなあ」
さりげなく、そっとのぞくだけのつもりが、扉のすき間から身を乗り出して、つい夢中に……と、そこで。
「草野さん」
「…………!」
その声は。
「どうしたの? 誰か探してるなら、呼んでこようか?」
水沢くんだ。よりによって、ものすごく怪しげな体勢でいるところを見られてしまった。
「や、あ、あの……」
何だっけ? そうだ、あの話!
「その……水沢くん、熱血コンテストで優勝したって。おめでとう」
「熱血コンテスト?」
返ってきたのは、不思議そうな反応。
「あれ? えっと……」
違った?
「ねえ。それ、昨日のピアノのコンクールで、水沢くんが『熱情』弾いたって話? もしかして」
「あ! そうそう、それ。それでした」
と、横から聞こえてきた声に、振り返ってみると。
「しゃべんない方がいいんじゃない? 頭の程度、疑われるよ」
意地悪く、クスクス笑っている、A組の女の子たち。
「信じられない。水沢くんに悪すぎるんだけど。ピアノのこととか、何もわかってないくせに」
「ぐっ」
くやしいけれど、そのとおりです。さすがに、今のわたしに反論の余地は……。
「全然、悪くないよ」
「えっ?」
今のは、水沢くんの声ですか?
「そんなことより、悪気のない子に、そういう言い方をするのは、よくないことじゃない?」
「わたしたち、そんなつもりじゃ……」
気まずそうに、そそくさと離れていく、女の子たち。あっけにとられて、水沢くんをながめてしまう。秀才揃いのA組女子から、こんなバカなわたしをかばってくれるなんて。
「ああ。ごめんね、草野さん」
「や、ううん!」
あわてて、首を振った。
「優勝といっても、今回は高校生部門だし。それほど、たいした……」
「それでも、すごいことです。おめでとうございます。じゃあ、戻ります」
ちゃんと、わたしに説明してくれようとする水沢くんを遮って、頭を下げると、自分の教室に急ぐ。落ち着いて考えてみれば、熱血コンテストだなんて、変すぎる。これ以上、墓穴を掘りたくないのに……!
「南くん。ここは、わたしの席だよ」
教室に戻ると、わたしの席を占領していたのは、なっちゃんの彼氏の南くん。わたしとなっちゃんは、席が前後だから。
「あ。ごめん、ごめん」
悪びれずに、南くんが席を立つ。
「何? 感じ悪いじゃん。何かあったの?」
彼女として、南くんをかばう、なっちゃん。
「べつに。ただの、やつ当たりです」
なっちゃんと南くんって、いいよね。同じバスケ部に入って、知り合った二人。
好きなバンドなんかも偶然同じだったりして、わりとすぐに、どちらからともなく、いい感じでつき合いだしたという。そういう無理のない感じにも、密かに憧れていたり。
「やつ当たり? 何よ? それ」
「まあまあ、なっちゃん。それより、プレゼントがあるんだよ。葵ちゃんに」
「わたしに?」
南くんが、ニコニコしながら、わたしに手渡してくれたもの。それは。
「にゃ……!」
な、な、なんと、水沢くん直筆の年賀状。
「どうしたの? それ」
なっちゃんも、のぞき込んでくる。
「俺、去年、水沢と同じクラスだったじゃん。普通に住所聞いて出したら、返事くれたの思い出して」
「うれしい……! ありがとう」
バランスといい、筆圧といい、字まで完璧です。
「ふうん。マメだね、南も水沢くんも。あ。葵の家から、それほど遠くないじゃん」
「え……?」
なっちゃんの言葉に、水沢くんの住所を確認してみる。
「本当だ! わりかし、近いかも」
駅で言ったら、隣の隣くらい?
「これ見て、家まで行ったりしないでよ? 葵」
「…………」
「ちょっと、葵?」
「わかってますってば」
一応、そう答えておいた。だけど、せっかくなので……見つからないように注意すれば、少しくらい、ねえ?
「草野さん?」
「えっ? あ……み、水沢くん!」
学校帰り、目立たないように探索していたつもりだったのに、あとちょっとのところで、思いきり本人に見つかってしまった。
「どうしたの? こんなところで。僕の家、すぐそこなんだ。びっくりした」
「や、そのね」
まさか、のぞきに来たなんて、正直に言えるわけがない。えっと、えっと……。
「その、バイトをね」
「うん?」
水沢くんの純粋な眼差しに、少し罪悪感。
「この近くのコンビニで、しようかなと思ってて。わたしの家も、わりと近いの」
「ああ。この先の?」
「そう! そうなの」
心の中で水沢くんに謝りながら、大きくうなずく。
「や、世界史の勉強も、ちゃんと頑張るつもりだけど」
「べつに、僕は先生じゃないんだから」
クスリと笑った、水沢くんのこと。やっぱり、好きです。とてつもなく。話をすれば、するほど。
「あ、ここだよ。僕の家」
一緒に数十メートル歩いたところで、水沢くんが立ち止まった。
「そう……なんだ?」
たたずまいが、こう何というか、豪邸とまではいかないんだけれど、見るからに、きちんとしていそうな家というか。
「コンビニは、あっちね」
「うん! ありがとう。通り道になるんだね。それじゃあ」
本当に、バイト募集してないかなあ。これから、見に行ってみようっと。そんなことを、のんきに考えながら、歩き出そうとしたら。
「……草野さん」
「はい?」
不意に、水沢くんに呼び止められて、振り返った。
「バイト、何曜日に入る予定なの?」
「ああ、えっと……とりあえず、土曜と日曜とか」
なんて、もちろん、適当なんだけれど。
「そっか。水曜日は、入らないんだね」
「えっ?」
水曜日?
「ん? いや、なんとなく。頑張って。そのうち、買いに行くかもしれない」
「その際は、お待ちしてます。じゃあ」
水沢くん。さっき、なんだか、ほっとした表情をしてたような気がするけれど。水曜日……?
「で、面接受けて、帰ってきたってわけね」
最初から最後まで、終始あきれ顔のなっちゃん。
「そうなの。どうしよう? 楽しみすぎる」
コンビニのバイト店員と、お客さん。一気に恋に発展するという展開も、ありえない話じゃなくなったかも。
「楽しみって、採用されてないんでしょ?」
「うん。結果は、あとで連絡しますって」
行き帰りに、ばったり会うなんてこともあるよね。
「それ、落ちたってことなんだよ。採用だと、その場で具体的な話に進むの。たいてい」
「ええっ?」
そんな……。
「まあ、あれだね。わたしが店長なら、葵を雇う勇気なんてないわ」
「ひど!」
「あ、南だ。じゃあね。おとなしくしとくんだよ、今日は」
呼びにきた南くんのところに行ってしまった、なっちゃん。
「自分が南くんと年中ラブ真っ盛りだからって、えらそうに。やだやだ」
そりゃあ、南くんだって、いい人だしさ。なっちゃんも、間違ったことは言わないけど……と、そこで。
「何? 達也」
こっちを見ている達也と、目が合った。
「最近、おまえ見てると、イラつくんだよ」
なぜか、そんな理不尽なことを言って、にらんでくる。
「うーん……それは、恋かもしれないね。最近、そんなケータイ小説読んだよ」
題名、長くて忘れちゃったけれど。
「な……」
意味もなく怒ってる達也とか、正直どうでもいい。
「そういえば、何曜日だっけ? 今日」
「水曜だろ?」
肩を震わせながらも、達也が答えてくれた。
「水曜……水曜か」
やっぱり、引っかかっちゃうんだよね。この前の、水沢くんとの会話。
「よし」
バッグをつかんで、教室を飛び出す。
「おい、葵!」
「悪いけど、達也にかまってる時間なんか、一秒たりともないの」
だって、気になるでしょ?
時計を見ると、午後6時。
「うん」
そろそろ、いい頃合い。水沢くんに見つかったら、さすがに気まずい。よって、薄暗くなるまで、駅前のスタバで時間をつぶしていたのです。そして、いよいよ、目的地に到着。
「緊張するなあ」
なんとなく、水曜日に家の前を通られると、都合が悪いっていう感じだったよね。絶対、何かがありそう。
こんなことするのは、今日限りです。水沢くんが嫌がることは、もう一生しません。だから、今回だけは見逃してください……と、そっと建物を見上げてみる。
一階は、どの部屋の電気も消えていて、真っ暗。二階の角部屋だけに、ほのかな明かりがついてるのを確認した。きっと、あそこですね、水沢くんの部屋。なんて、眺めていたら。
「…………!」
不意に、照明が消えた。まずい。水沢くん、これから外出するのかも! あわてて、向かいの家の門の影に身を隠して、待つこと数十分。
「あれ?」
おかしい。いっこうに、出てくる気配がない。思いきって、ようすをうかがってみることに。
ちょっと、失礼いたします。心の中で丁寧に唱えてから、部屋の真下の壁面にへばりついて、耳を澄ませてみると。
「…………?」
この声は。
「いやいや。まさか、そんな……ねえ?」
そんなわけ、ありませんとも。顔を引きつらせながら、小さく笑ってみる。いや、でも。もう一度、ぴったりと耳を寄せてみた。
「…………」
当然ながら、実体験はないとはいえ。そして、わたしがいくらバカでも、16年も生きていれば、わかります。中から聞こえてくる、この艶っぽくも切なげな女の子の声が意味することを。
あの水沢くんに、あんなことや、こんなことをされているのです。きっと、毎週水曜日に。そこがまた、リアルすぎます。
「こんなのって……」
謎が解けました。だから、水沢くんは、あんなことを言ったのです。
あまりにショックが大きいと、何も考えられなくなるなんて、嘘。ショックを通り過ぎるなんてことも、ありえない。
悲しくて、そして、苦しくて、流れてくる涙を抑えるこんなんかできない。ただただ、わたしは、この場に泣き崩れることしか……と、そのとき。
「そこで、何してるんですか?」
「は……はい?」
不意に、後ろから響いた女の子の声に、我に返る。お嬢様学校のS女の制服を着た、雪のように色白で、背の小さい可愛い子。
「あ、えっと」
これは、まずい状況に。
「水沢さんの家のどなたかと、お知り合いですか?」
口ぶりからして、この近所に住んでる女の子だ。無断で敷地内に入って、壁にまで張りついていたのだから、外から見たら、かなり不審な印象を与えるはず……!
「いえ! 決して、怪しい者ではないんです」
「でも、そこは……」
「ごめんなさい。許してください」
極力、顔を見られないようにしながら、全速力で逃げ出した。
「あ、ちょっと……!」
我ながら、情けなすぎる。大失恋した日に変質者扱いされちゃうなんて、泣くに泣けません。
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