最弱の人種
「怪異、ですか?」
「ああ、不審な声や物音がしたとか、見えない何かに背中を触られたとか、そういった経験はないか。噂話でもいい」
「はぁ……特にはないですねぇ」
背の高い麦の向こうから、エルリクと呆れたような村人の話し声が聞こえてきた。
昨日言っていた通り聞き込みをしているようだ。
「あとは、”体が内側から破裂したようになって死んだ人間”についてなにか知らないか?」
「な、なんですかそれ。そんな話し聞いたことも見たこともないですよ」
細い畦道を回り込んで行くと、村人が表情を引きつらせて困惑している。
「エルリク」
「ん? ああ、起きたのか」
エルリクは呼びかけに振り向いた。
「で、では私はこれで……!!」
村人は助かったとばかりに、早足でその場を立ち去った。
「あ……まだ聞くことがあったのに」
獲物を取り逃がしたエルリクは惜しそうにその背中を見送る。
「いつもあんな意味不明で怖い質問してるの」
「ああ」
当然だと言わんばかりに、エルリクは平坦な声で頷いた。
こんなことを各地で繰り返していたらそのうち噂になりそうだ。
インが知らないだけですでになっている可能性すらある。
先行きが不安だが乗り掛かった舟だ、エルリクの怪異探しを手伝わなくてはならない。
「なにか手がかりは見つかった?」
「いや、朝から村人五十人余りに聞いたが、特に有力な情報はなかった」
「ご、ごじゅうにん……」
そんな大勢の人と話したことがないインは、目を見開いた。
陰気に見えて意外と行動力がある男なのかもしれない。
「それは大変だったね。心折れない?」
「別に。それらしい話しが聞けることの方が稀だ。十の村を周って一つ二つ聞ければいい」
「はー、気が長くなきゃやってられなそう」
インは自分には到底出来そうにないと感心と呆れの入り混じった感想を抱いた。
その時、背後からがさり、と麦わらを踏む音がした。
「あっ! 昨日のねーちゃんだ!」
「あ、コリンくん?」
そう言って現れたのは、昨日インを村長の家まで案内した少年だった。
「魔物いっぱい倒してくれたんだって聞いたぞ! やっぱ冒険者ってつえーんだな!」
「えへへ、それほどでも……」
実際はかなり窮地に立たされたし、まかり間違えば死んでいたかもしれない瀬戸際であったが、インは笑って誤魔化した。
エルリクに何か言われたら格好がつかないと彼の方を伺い見ると、興味なさそうにぼうっとしている。
「なあなあ、この兄さん、ねーちゃんの仲間?」
「えっ、あーうん。そうそう。一緒に戦ってくれたんだ」
「へぇ、確かにでけぇし、そう言われると強そうかも」
コリンは角度を変えながら、エルリクを昆虫を観察するように見た。
不躾な視線もエルリクは全く気にならないようで特に反応しない。
「でもさ、この兄さん変わってるよな~。大人の癖にお化け信じてるなんてさ!」
「あ、あはは~」
どうやらエルリクはコリンにも聞き込みをしたようだ。
「ねーちゃん、この人にちゃんと教えてあげた方がいいぜ。お化けって大体魔物とか魔法がそう見えたってだけなんだって」
年端も行かぬ子供にすらこう言われる始末だ。
ゾンビ、ポルターガイスト、アンデッドモンスター……各地に伝わる怪談話は多い。
しかしそれらは全て作り話であり、存在しない。
ゾンビやポルターガイストは魔法で死体や物を操っているに過ぎないし、アンデッドは生命力の強すぎる魔物が、大きなダメージを負っても死に至らない姿を見た人間が勘違いした。
そんな単純なからくりに由来した作り話なのだ。
「そうだな。遭わずに済むならそれにこしたことはない」
エルリクはコリンの前にしゃがみ、無邪気な少年の顔を覗き込んだ。
「怪異に遭えば死ぬしかなくなる」
黒い瞳に気圧されたコリンが、びくっと身体を震わる。
「ま、またまたぁ……脅かすのが好きな兄ちゃんだな……」
「そ、そうなの! この人怖い話するのが好きで、あはは、ごめんね~」
本気で怯えてしまったコリンをかわいそうに思って、インは二人の間に割って入った。
「ほら、そろそろ行こう!」
「ああ」
腕を引っ張ると、エルリクはすっと立ち上がる。
コリンはほっと胸を撫でおろした。
「じゃあね、コリンくん」
「うんっ、バイバイ、ねーちゃん!」
笑顔で手を振る少年に別れを告げて、インはターシトンに背を向ける。
インはロダ街道を進みながら、初クエストを振り返った。
死にかけたり不審な男の仲間になったり村の闇に触れたりと、アクシデント続きだった。
しかし、魔物を倒しそこに住む少年の笑顔を守れたということに、インは達成感と冒険者としての自信を得たのだった。
快晴。
整備された石畳には爽やかな風が吹き抜け、心地よい陽気だ。
歩いているだけで楽しい気分になっていたことだろう――隣に陰気を人の形に固めたような男がいなければ。
「……」
「……うぅ」
沈黙が重い。
休憩ポイントについて決めてから、ぱったりと会話がなくなった。
もう一時間ほどお互い黙ったまま歩き続けている。
冒険者パーティーというものはこれが普通なのだろうか?
インのイメージではもっと道中何気ない会話をしたり、危険な旅の共として心の癒しになるような存在だった。
エルリクはというと黙々と淡々と歩いている。
なにか話そうにもロダ街道の周囲は見渡す限りの草原で、話題の糸口すら転がっておらず、インは溜息をついた。
「……」
その溜息を聞かれてしまったのか、エルリクがふいにこちらを振り向いた。
「あっ、な、何でもないよ?」
じっと見られるとやはり変に慌ててしまい、言い訳じみた言葉が口をついて出る。
「イン、お前……昨日スティンガーにやられた傷はどうした?」
「へ?」
意外な質問にインはきょとんと彼を見上げた。
「結構大きな傷を腕に負っていなかったか? 村長の家にもどった時には血は止まっているようだったが……」
指摘されてインは自分の腕を見た。
そこにはかさぶたもない綺麗な素肌があるだけだ。
「あー、あれくらいの傷なら寝たら治るよ」
「獣人の回復力は知識としては知って実際に見ると不思議だ」
まじまじと見つめられこそばゆい気分になる。
「こ、こんなの普通だよ。骨が折れたって、次の日には治るんだから」
高い身体能力が注目されがちだが、獣人冒険者が重宝される一番の理由は、その頑丈さと回復力だ。
「人間からすると羨ましい限りだな。僕が骨なんて折れようものなら一か月休業だ」
「はえー、大変なんだね」
エルリクにも羨ましいなんて人らしい感情があったのかとそっちの方が驚きである。
「代謝が短い分寿命も短いらしいが、明日死ぬかもしれない冒険者稼業をするにはうってつけの人種だな」
「あはは、その割には冒険者やる人少ないけどねー。初級はともかく上級冒険者になれば、報酬も高いのに」
インは獣人社会での冒険者に対する偏見を思い出す。
縁もゆかりもない人間を守ってはした金をもらう仕事、ほぼボランティア、時間の無駄、そんな評価をよく耳にした。
個人主義者が多い獣人の国にはギルドのような組合もなく、魔物に襲われた村は自分たちで何とかするのが常である。
「人間の国は冒険者が市民権を得てていいなぁ」
「人間にとって魔物は弱いものであっても脅威だからなくてはならない職業だ。人間も獣人のように頑丈なら、冒険者ギルドは存在しなかったかもしれない」
「ふふん」
獣人は人間より強い、と褒められている気分になり、インは得意になって鼻を鳴らした。
「でもさ、人間にも強みはあるんじゃないの? 人口一番多いわけだし、弱い人種だったらここまで繁栄しないでしょ」
心の余裕から、インは上から目線でそんな質問をした。
人間が人口の9割を占めるアイゼラデン国にきて日が浅い彼女は、人間と言う人種をあまり良く分かっていない。
「人間は――身体能力は獣人に劣る。魔力は妖人に劣る。最弱の人種と言われている」
「そんな……なにかいいとこないの?」
身も蓋もない返答にインは食い下がる。
「一つだけある」
エルリクは背をゆすって荷物を背負い直した。
「しぶとさは他人種よりも優れている」
「しぶとさって?」
いまいち良く分からない長所にインは首を傾げる。
「まず、多くの毒に耐性がある。獣人や妖人が中毒するものを食べることができる」
「え、地味にすご」
「だからアイゼラデンでは食べるものに気を付けたほうがいい。僕にはご馳走でもお前には毒の可能性がある」
「は、はい……」
インは王都に立ち並ぶ飲食店の光景を思い出して震えた。
この間は早くクエストを受けたい気持ちが先行してろくに食事もせず、普段食べている携帯食しか購入しなかったが、それで九死に一生を得ていたらしい。
「なるほどね……食べられるものが多ければ、繁栄もするよね」
魔物が跋扈し農地も限られている中では常に飢餓と隣り合わせだ。
そんな中で食べ物を選ばないというのがどれほどの強みか、想像に難くない。
「そういうことだ。あともう一つは――」
「まだあるの!?」
腕の傷の話から思いがけず膨らんだ会話に振り回されながら、ひたすらロダ街道を歩き――
「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」
数時間後、やっと見つけた日陰の下でインはへばっていた。
「もう少し休憩の時間が必要か? 今日の内にもう少し進みたいんだが」
エルリクは太陽の位置を見て、時間を確認しながらインに訊ねた。
「はぁはぁ、もう、ちょっと休みたいかな……はー……、ていうか、なんでそっちは、全然平気そうなの?」
息が完全に上がっているインとは対照的に、エルリクは涼しい顔をしている。
「さっきも言っただろう。人間は持久力に優れる。エネルギー消費少なく行動できるんだ」
「はぁはぁ……それって、こういうことだったんだ……」
戦闘向きではないが人間は冒険者に向いている、とインは人間への理解を深めた。
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