1 抱擁

「アリシア」

「名前で呼ばないでアーネスト、私はあなたの姉なのよ」

「・・・姉上」

「そう、それでいいのよ」


私は12歳になった、弟、アーネストは5歳

私は弟を前にして馬に乗っている

視線を少し下にすると弟の形のいい頭が見えるので、私は少し目を逸らして遠くを見るふりをする

弟は大人びていて、どこか、子供らしからぬところがある

私を時々呼び捨てにする

そのたびに私は焦る

私は姉だから


私たちから少し離れて護衛の騎士たちが付いてきている


周りが開けているところなので、襲撃の心配はない

だから、二人だけで護衛から少し離れて歩くことを許されている


王太子である弟と、王女である私


私たちにはお互いしか姉弟がいない


母は違うけれど父は同じだ


今日は無理を言って、弟を連れ出した


私は12歳になった


まだまだ全然子供だ


そして弟はもっと子どもだ


大人びていても


二人して子どもだから、私たちのことは、大人が、お父様が決める


私には王女としての務めがある


私は12歳になった


なってしまった


「どうかしましたか姉上?」


振り返らずに弟が私に聞いた


「・・・なんでもないわ、アーネスト」


なんでもなくはない


でも、言っても仕方ない


「・・・」


アーネストが無言で振り返る


夜明け前の空を思わせるタンザナイトの瞳が、私をとらえる


「・・・なんでもないわ、本当よアーネスト」


嘘を私が重ねるのは、言っても仕方ないからだ


「・・・」


私が話を聞いてほしい相手は、私よりもっと子どもなのだから


彼がどんなに大人びていても、私よりももっと子どもなのだから


聞いてほしいことがあった、だから、私はこの人を連れ出した


誰よりもこの人に、私は、助けてほしかった


この人は私よりもっと子どもなのに


私の方がしっかりしないといけないのに


なんて情けない


「アリシア」


「また名前で呼んで、姉様と呼びなさい」


「・・・姉上」


頑固な子だと思う


不出来な私から見ても聡明なのがよくわかる弟


王の中の王になるとこの国一番の魔術師が占ったのは真実だと思う


この人は王となる、私はそれを誇らしいと思う


そして、寂しいと思う


この人は私の物ではないから


この国の王となる人だから


「・・・ねえアーネスト、しっかりつかまっていて」


「え?」


護衛は見逃してくれるだろうか、きっと少しぐらいは見逃してくれるだろう


「ハイッ!」


私は掛け声を出し馬を走らせる


「姫様!」


「お願い!少しだけでいいから!二人だけにして!お願い!」


「・・・」


騎士隊長の沈黙を了承だと私は受け取り、馬を走らせる


どんどん騎士たちを後にして、私は、私たちは、荒野を走る


風景が寂しければ寂しいほど、世界に私たち二人きりだという、そんな気がして、私の心は踊り始める


二人きりになんて本当は、なれるはずがないのに

このまま二人でどこまでも行けるようなそんな気持ちになる


「・・・すごいですね姉上、こんなに馬を走らせて」

弟がそう言う

弟の言葉がお世辞ではないことを私は祈る

「ありがとうアーネスト、私、楽しいわ、とっても」

楽しいと言うより、嬉しい

アーネストはどうだろう

「僕も楽しいですよ、姉上」

「本当?」

「本当です、だって、姉上と二人だけだから」


その言葉を聞いた瞬間、私を振り返らないでほしいと思った

今私の顔きっとすごくいい笑顔だから

だから、振り返らないでほしいと私は思った


「さあ、もう少し走らせましょうアーネスト」

私は嬉しいことをさとらせないようにそう言い

「はい」

弟も私を振り返らずそう言った


話を聞いてほしかった


聞いてほしい話があった


12歳になった私に、お父様は、いくつかの婚約者候補の名前を挙げた


突然だった


今すぐというわけではないけれど、そう遠くない未来に、私は誰かと婚約する


この国、グッドスピード王国の高位貴族か、隣国の王族か


いつかは来ると思っていたけれど、いざその時が来たら、私は自分が何もできないことを知った


こうして嫁がされることを、私はただ、受け入れるしか許されない


王の子であっても

女に生まれた以上、いずれ嫁がされる、どこかに


どこかは自分で選ばせてもらえるかもしれないけれど、嫁ぐ嫁がないは選ばせてもらえない


お父様の前では私は笑顔を装った


でも、逃げたかった


助けてほしかった


一緒に逃げてほしいとひたすらそれだけを思った


アーネストに、私と、一緒に、二人で


もし、私がそう言ったら、アーネストはなんて言うだろう


大人びている


生まれながらにして名君の器を持つとこの国一番の魔術師が太鼓判を押したこの国唯一の王子


この国の王太子


アーネスト・ホワイト


私の弟


ただ一人の弟


私は、どこにも行きたくない


ここにいたい


あなたのそばにいたい


アーネスト


私はずっとあなたのそばにいたい


・・・・・私は姉なのに、そんなことを思う


本当に本当に、不出来すぎる姉


「・・・なぜ、泣いている?」

弟は振り返らないでそう言った

「え?・・・あ・・・」

言われて私は自分が泣いていることに気づいた

私は馬を止めた

この涙をどう言い訳しようかと考える

「・・・なぜ、泣く?」

「なんでもないわアーネスト」

「・・・」

弟がゆっくりと振りかえった

深い夜明け前の暗い空、だけど夜明けが近いことを強く感じさせる色の瞳で、私をじっと見つめる

「・・・私ね、騎士になろうと思うの」

「・・・騎士?」

嘘じゃない

嘘では

私は騎士になりたいと思っている

「騎士になれるかな、と思って、泣いたの」

嘘をついた

でも、本当のことは言えない

嘘をつくことを許してほしい

「騎士、ですか?」

「うん」

「・・・」

じっと私を見つめる弟に私は、逆らえない

弟なのに

まだ6歳なのに

12歳の私が、姉である私が、逆らえない

この人に従うのはいい

この人は王になるのだから

でも今は、私を姉として認めていてほしい

「ねえアーネスト、抱きしめていい?」

抱きしめたい

この人が生まれてすぐに抱いた人の一人が私であることを私は思い出したい

でないと勝てない

でないと何もかもを言わされてしまいそうな気がする

「・・・いいですよ」

あっさり了承してくれた

「あはは、久しぶりだね、こうしてあなたを抱きしめるのって」

「さ、どうぞ姉上」

弟は器用に馬の上で私の方に体全体向き合えるように座りなおしてそう言った

私が見下ろし

弟私に見下ろされる

なのに

「・・・」

「どうしました姉上?さあ、どうぞ」

追い込まれているのは私の方

「うん・・・」

私は弟を抱きしめる

最初はおずおずと

でも、すぐに強く、抱きしめた

弟は私よりずっと小さいのに私はまるで、弟にしがみつくように、まるで私よりずっと大きな体を弟がしてるみたいなそんな気持ちで、弟にしがみつよくように、私は弟を抱きしめた


ここにいたい

あなたといたい


あなたのそばにいたい


このまま二人で、逃げられたら、叶うだろうか


このまま二人でどこか遠くへ逃げて


誰も来れないぐらい遠くへ二人で


他には何もいらない


あなたのそばにいられるなら


そんなことを思う


そしてそれを言わないことを自分に誓う


それは姉が小さい弟に言っていいことではないから


だから私は何も言わず弟を抱きしめる


すると


弟は何も言わず、私を抱きしめ返した


抱きしめてくれた


弟が私を抱きしめてくれた


それがなぜだかどうしてだかわからないけれど、私は安心した


弟がまるで私よりずっと大きな体で、大人の男性みたいなそんな気がした


そんな気がした自分を私はまた情けないと思うけれどでも、弟が私に与えてくれる安心に、私は私自身を委ねた


このまま、ずっと、こうしていたい


どれぐらいそうしていたのか


やがて、人の気配が近づいてきた


それが護衛の騎士たちだと言うことはすぐわかった


私は、私たちは、騎士たちが私たちに追いついても、離れなかった


離れたくなかった









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