第3話

 オズワルドは急ぎ自宅へと戻った。

 いきなり隣家に行くのは躊躇われたのだ。


 こそこそと自室に引きこもると、懐にしまっていた髪飾りを取り出してまじまじと見る。


 曲線を多用した独特のデザインが施された金の台座に、太陽のように煌めく大振りのインペリアルトパーズ。

 これはおそらく、リアンの物だ。

 彼の母の形見で、お守りのようにいつも身に着けている。

 リアンの母は、彼と引き換えに命を落とした。

 だから彼の父親は家の恥と言いながら、屋敷の奥にリアンを仕舞い込むようにして大事に、大事に育てていた。

 オズワルドには分かっていた。

 彼は愛されているオメガ。

 香らない造花と言われる劣性オメガのリアンが無体に傷つけられることがないように、大事に保護されていたのだ。

 窓の外を覗けば、隣の庭が見える。


 そこには細くて小さくて頼りない劣性オメガのリアンが、1人ブランコを揺らしている姿があった。



 夏の近付く頃の日暮れ近くの時間帯。

 屋敷の奥まった場所にある庭は、日中の疲れと盛りを迎えた花々と草木の香りが混じり合って、少し気だるげな匂いがした。


 オズワルドにオメガの匂いは分からない。

 同じくアルファの匂いが分からないリアンには、オズワルドの気配が分らなかったようだ。


「リアン」


 オズワルドが声をかけると、彼のか細い体が可哀そうなくらいにビクッとブランコの上で跳ねた。

 いくらオズワルドがアルファで、リアンがオメガだったとしても。

 いまさら幼馴染に怯える必要などないのに。


「オズワルド……」


 振り返ったリアンの表情を見て、オズワルドは衝撃を受けた。

 彼は笑顔だった。

 怯えた表情の上に、無理矢理に張り付けたような笑顔。

 無理矢理に平静を装おうとして見事に失敗している幼馴染に、どんな表情を向けたらよいのか。

 オズワルドには分からなかった。


「元気か?」

「ん……」


 リアンはブランコに乗ったまま、視線を地面に落とした。

 二十歳を超えた男がブランコに乗っている姿なんて滑稽なものだが、リアンだと違和感がない。

 どこか幼い印象を与える彼を……と思うと、オズワルドは王太子に怒りが湧いた。

 だが、このままにしておくわけにはいかない。

 リアンは王太子の子を身ごもっているかもしれないのだ。


「これ」

 

 オズワルドが髪飾りを差し出すとリアンの顔色がサッと変わった。

 怯えたようにプルプルと震える彼の体を改めて見る。

 今日のリアンは淡い茶色の髪を全て下ろしていた。

 緩いウェーブを描く髪は、キッチリと上までボタンを留めた襟元まわりでフワフワと揺れている。


「お前の物だろう?」


 オズワルドに問われて、リアンはぷっくりとした形のよい唇をギュッと噛みしめた。

 本当の問いに気付いている証拠だ。

 落とした場所と、落とした理由、そして拾った相手。


「王太子だ」

「え?」

「お前の相手。アレは王太子だ」

「え?」


 驚きに固まっているリアンの襟元を、オズワルドはサッと緩めて確認する。

 プルプルと子犬のように震えている幼馴染の首元には、しっかりと噛み跡があった。

 王太子のつけたものだ。

 その生々しい傷に、オズワルドは奥歯をグッと噛みしめた。


「オズワルド……ぼく……」


 二十歳を超えているというのに、可愛い幼馴染の声は幼児のように心もとない。

 

「いままで嗅いだことがないような、とても……とても良い香りがして……気付いたら……」


(だからあれほどネックガードをつけておけといったのに!)


 オズワルドはギリと奥歯を噛みしめながら、なるべく優しい声で幼馴染に話しかけた。


「説明しなくていいよ。王太子から話は聞いた」


 リアンの細い肩がビクンと跳ねる。

 改めてことの大きさに気付いたのだろう。

 リアンは王太子と気付くことなく、何の手続きも踏まずに番ってしまったのだ。

 この先についてのことを考えたら、混乱と恐怖しかないだろう。


「ぼくは……王太子と……」

「言わなくていい」


 オズワルドはたまらなくなって、ブランコに座る心細げな幼馴染の肩を体ごと抱きしめた。

 彼を抱きしめるのは、これが最後になるとオズワルドには分かっていた。

 王太子の正妃になろうと、側妃になろうと、関係ない。

 アルファは番に他人が触れることなど許さないだろう。

 いつでも会えた幼馴染は、遠い所へ行ってしまうのだ。

 ずっと一緒に育ってきて、ずっと前から好きだったリアン。

 オズワルドが手に入れるつもりでいた彼を、いとも簡単に王太子は体ごと手に入れた。

 もう二度とチャンスなど巡ってこないのだ。

 オズワルドはリアンを抱きしめる腕に力を込めた。

 このまま彼と自分が一人の人間になってしまえばいいのに、と思いながら――――

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