第4話 ヤギの妖精

「今夜は音楽家仲間のパーティーがある。クリスマスの集いだ。忘れていないだろうな」

 食卓に戻り、パンを頬張りながら、ご主人様が睨み付けてきました。曲作りのせいで慢性的な寝不足だからでしょうか、血走った目をしていてちょっと怖いです。


 ぼくは自分の胸を軽く叩いてみせました。

「もちろんクリスマスパーティーのことは覚えておりますよ。ですので、このあと靴は完璧に磨き上げますし、服も用意しておきます。もちろん同行するぼくも身支度を整えておきます。ですから、どうかご主人さまは安心してその髪を整えるのに相応しい店へ行かれてください」


「髪なんかどうでもいいだろうが」

 ご主人さまは伸び放題の頭をばりばりと掻きむしったので、数本の抜け毛とともにフケが食卓に落ちました。


「今夜はこのままで行く」

「でも、パーティーに出席されるんですもの。髪ぐらいは整えておかないと、恥を掻くのはご主人さまですよ」


「そんなものは恥じゃない!」

 ばんとテーブルをたたいたので、あたりに埃が舞いました。多分フケも一緒に。やだなあ、もう。


「いいか、恥ってのは、音楽家にとっての恥っていうのは、いい曲が書けないことだ。新作を出せないのが恥だ。みてくれに気をとられたり、他人からの評価を気にして表面をとりつくろったり、そんなことをしている暇があったら曲を書くべきだ」


「もちろん、そうでしょうとも。しかし、パーティーにはパーティーの常識というものがございますから、どうぞ散髪してきてきださい。あとガタガタの爪も整えたほうがよさそうです。もし奇跡が起きて女性と手をつなぐことになったら、女性の柔らかな肌を傷つけてしまうかもしれませんからね」


「髪を切って、油でなでつけて、ひらひらのシャツを着ろと? その上、爪までか。それじゃまるで女たらしのヴェルメイユのようじゃないか」

「偉大なる作曲家ヴェルメイユ様のよう、ですよ」


「あいつのどこが偉大だ! 凡庸な曲しかつくらないのに」

「でも一般ウケは良いですよね。あとハンサムで話し上手でモテるんだとか。人気度でいったら間違いなく国一番でしょう……。正直に申し上げると、ご主人さまは曲以外のところで損していると思うんです。ぼくはそれがとてももったいないと思います。ちょっと髪を整えるぐらい、いいじゃありませんか」


 ご主人さまは刺すような視線でぼくを睨み付けましたが、ぼくが平然とした顔で受け流したら、口を曲げて溜息を吐きました。


「髪、切ってきてくださいね」

 ご主人さまは返事をせず、手を伸ばしてグリーンの梨の実を掴みました。大きく口をあけてかぶりついた、次の瞬間。

 梨が、「ほげえ!」と、鳴きました。


「な、なんだっ!?」

「梨が鳴きましたね」


 ご主人さまは梨をテーブルの上に放り投げました。ごろんと転がったそれは、四本の足で立ち上がると、耳をぶるんっと振りました。それは緑色のヤギでした。

「ほげえ」

 手のひらサイズの緑ヤギは、テーブルの上に立ち、ご主人さまを見上げて、ほげえ、ほげえ、と鳴いています。

「コーム、これは何だ!」

 何だって言われてもなあ。

「ぼくに聞かないでくださいよ。うーんでも多分ですけど、妖精じゃないですか。苔みたいな色をした手乗りヤギがいるとは思えませんし。妖精が梨に化けていたみたいですね」

「妖精だと? いったい誰が朝食に妖精を出せと言った。私の梨はどこだ」

「ほげえ」

 緑のヤギは、自分のまるまるとしたおなかを後ろ足で器用にかきました。

「ああ、梨はきみが食べちゃったんですね」

 ヤギは目を細めて、ほげえ、と鳴きました。

「どういうことだ」

「だからぼくに聞かれても。多分、どこかからか妖精が入り込んで、梨を食べてしまったんですね。それで、満腹になった妖精は、梨のふりをしてお皿に乗っていた……ということじゃないですか」

 なんで梨のふりをしていたのかは、ぼくにもわかりませんけど。でも、きょうはクリスマス・デイですから。いつもと違うことが起きやすいのかもしれません。


 そういえばクリスマス・デイって、妖精にお粥をお供えしないといけないんだっけ? 何もお供えをしなかったから家に入ってきちゃったのかな。

 ぼくのおばあちゃんも、クリスマスには小皿にお粥を入れて、窓の外に置いてたっけ。


 物思いにふけっている間に、ご主人さまは緑ヤギを掴んで、高く掲げるように持ち上げていました。

「おい、妖精だかなんだか知らないが、梨を返せ。私は梨を食べないと朝食を食べた気にならないんだ。どうしてくれる」

 ヤギの妖精を左右に揺さぶりました。

「ほげえ! ほげええ!」

「あ、ご主人さま、妖精相手に乱暴なことはやめたほうが」

「うるさい!」

 ああ、もう、何が起こっても知らないぞ。ぼくはちゃんと止めましたからね。

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