第29話 踏み出す


2024年10月14日 月曜日。宣告された死まで残り21日。


 3連休最後の祝日はスポーツの日と制定されていたが、一翔には運動をするつもりなど毛頭なく、むしろ何も予定のない休日自体が久方ぶりであった。

 そして朝からスマホの画面を食い入るように見続けており、マッチングアプリ『A-KAITOエー・カイト』に没頭していた。



 成果としては、登録時にピックアップされていた女性のうちの1人とは昨夜の段階で早くもマッチングが成立していた。

 『ゆう』という浜松市在住の27歳で、旅行やスポーツ観戦が好きという人物であった。早速さっそくメッセージを送ると、ぐに返事が返って来ていた。



【マッチングありがとうございます! KZさん、よろしくお願いします!】



 素性も知らぬ女性相手でありながら、その一文を見た一翔の胸の内は踊ってしまっていた。あれほどサービスを敬遠していたにもかかわらず、実際にマッチングしたという事実に浮かれていることを自覚していた。


 『ゆう』からの応答に対し、一翔はまず相手のプロフィール写真から話題を作り出そうと試みていた。

 マスクを付けてにこやかにポーズを作る小柄な茶髪の女性の背景には、青い空と海が清々しく広がっていた。



【ゆうさん、プロフ写真がすごくお綺麗きれいですね! どこか旅行されたときの写真ですか?】



 だが新たなメッセージを送ってから、めるならば風景ではなく人物像にすべきだったのではないか、逆にそれはいきなり踏み込み過ぎではないかと早くも台詞せりふの選択に不安を覚えていた。

 サービスを始めたばかりとはいえ、感覚としてはセーブもバックアップも出来できないシュミレーションゲームを初見で挑むことにたとえられた。


 返事はその日のうちに返って来ず、既読きどく表記も付かなかったため、やきもきした夜を過ごしていた。そうして今朝を迎えると、『ゆう』からの返事をしらせる通知がスマホに届いていた。



【ありがとうございます! この夏に沖縄行ったときの写真です! めっちゃ暑かったです笑】



 それを読んだ一翔は、大きく胸をで下ろしていた。一喜一憂をまさに体現していた。

 結果として好感度は悪くないだろうと手応えを覚え、次なる返信を思案していたが、その間にも昨夜のうちに送り回った『LIKE』が次々とマッチングを実らせていた。


 料理と掃除が好きだという浜松市在住29歳の『M』、食べることやカフェ巡りが好きだという静岡県西部在住28歳の『チエ』、他にも1人、2人…と会話が叶う女性登録者が一覧に増えていく様は、ながめていて爽快そうかいだった。



——なんだ、案外簡単に成立するもんじゃないか。これだけ選択肢が生まれるのなら…!




「ねぇ、そろそろ起きたら? 朝食も食べないつもり?」



 だがカーテンを閉め切り布団に横たわったままの一翔を、壁にもたれかかる『天使』がたしなめてきた。


 その口振りはまた世話焼きな母を彷彿ほうふつとさせたが、マッチングアプリに夢中になっていた一翔には、彼女が何か気をこうとしているように思えていた。

 そもそも朝食とはいっても冷凍保存してある食パンを食べるかいなかでしかなく、彼女もそれをわかっているはずなのにえてこうとする辺りに本音を見出みいだそうとしていた。



「別にいいだろ。やっと落ち着いた休日を迎えられたんだし。パンが食べたいなら食べていいから」



 『天使』が食べたものは一翔自身の栄養に帰結するという話を思い出し、スマホをながめながら彼女をあしらった。余命宣告を回避するために動き出した以上、彼女には静観していてもらえればそれで良いのだが、どうにも本人にはそういうつもりがないようであった。



らないよ、君がらないならね」



「ああ、そう」



「まずは幸先さいさき良く始められたみたいだね、マッチングアプリ」



「まぁ、これからだけどな」



「そうだね。実際に会わないことには、話は進まないからね。それについてはどう考えてるの?」



 『天使』の指摘する通り、現状に一喜一憂しているだけでは何の意味もなく、現実に相手と対面しなければ目的を達成する足掛かりすらつかめないままであった。

 その点についても一翔は昨夜のうちにネットで調べており、メッセージの交換が1週間ほど続いた辺りが誘う頃合いであるとわきまえていた。



「まずはり取りを続けて、次の週末には会う約束を取り付ける。あわよくばそのまた次の週末に予定を組めればベストになるだろうよ」



「翌々週…26か27日ってことね。それでも結構ギリギリだと思うけど、そこでちゃんと決め切れるの?」



「それはだどうなるかわからねぇよ。1回会っただけで交際出来できるはずがないからな。でも、またもう1回会いたいと思ってもらえるのなら、それは俺のことを多少なりとも認めてくれたってことになるんじゃないかと思うんだよ」



成程なるほど、確かにそうかもね。上手くいくといいね」



「…おまえなぁ」



 今度は『天使』に淡泊なあしらわれ方をされたようで、一翔は思わずその顔を見返していた。

 

 陽光をさえぎるカーテンのそばで毎朝のようにうずくまる彼女は、相変わらず張り付いたような表情の中で何か一翔を試すような、生意気なまいきそうな印象がっすらにじんでいるように見えた。



——何なんだよ昨日から…支援するつもりなのか非難したいことがあるのか、ただ構って欲しいだけなのかわからない奴だ…構って欲しいなんて言うのも奇妙な話だけど。


——でもこいつが見えるようになって10日くらい経つけど…いまだにくすりとも笑わない奴だけど、心なしかちょっと変わってきてるように見えるんだよな…。




 そのとき、室内に来訪をしらせる呼出音が鳴り響き、一翔は布団ふとんの上から飛び上がった。


 アポ無しの来訪には普段から居留守を使ってり過ごしていた一翔だったが、今日は午前中に宅配の予約を済ませていたことを瞬時に思い出していた。何も身嗜みだしなみを整えていなかったが、そのまま玄関に出向かざるを得なかった。



「だからそろそろ起きれば? って言ったのに」



「いや、だからにかかる内容何も言ってなかったじゃねぇか」



 大きな封筒を抱えて居間に戻ると『天使』がまた揶揄からかうような口振りで言い聞かせてきたので、一翔はそれを受け流しながら布団ふとんたたみ、ベランダのカーテンと窓を開放した。

 そして座椅子に腰掛けて封筒から取り出したのは、一昨日おとといネット通販で購入したイラスト作成の参考書2冊だった。


 そのうちの1冊を広げると、早速さっそく『天使』が興味深そうにのぞき込んできた。女性特有のほのかな香りが、またふんわりと鼻孔びこうを突いた。



「今度は何をくつもりなの?」



「それはもう少し先の話だ…まずは基礎からやり直す。マッチングアプリだけにうつつを抜かすわけにはいかないからな。とにかく、やれることをやっていくんだよ」



 『価値のある人間』というおぼろげなゴールに向かって、一翔はようやく一歩を踏み出し始めていた。

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