第24話 失われた趣味


2024年10月12日 土曜日。宣告された死まで残り23日。


 世間が迎えた3連休の初日、午前10時頃、一翔は祖父母宅のリビングにて従兄弟いとこ幹弥みきやの長女である陽菜ひなとテーブルを向き合わせていた。

 

 5つ歳上の幹弥みきやは浜松市内で製造業に、妻のあおいは幼稚園教諭に従事しているが、祖父の葬儀で休んだ分の仕事を本日中に片付けるべく出勤していた。

 その際小学2年生の一人娘である陽菜ひなを祖父母宅に預けることになったのだが、こちらも相続関連の手続きに区切りをつける必要があり、その間彼女の面倒を見る役回りとして一翔に白羽しらはの矢が立ったという経緯であった。


 昨日の妹の台詞せりふを再現したような、母からの「どうせ暇なんでしょう」という結論在りきの要請に、しかし一翔は反論することが出来できなかった。

 葬儀を終えた後のこの3連休は、余命宣告を回避するための方針をじっくり検討するつもりであったが、勿論もちろんそのような言い訳を盾に出来できるはずもなかった。



——香純かずみもそうだったけど…慶弔けいちょう休暇ってそんなに肩身が狭いもんなのか? それとも、単に俺に仕事がなさすぎるだけなのか…。



 しくも葬儀と3連休が連続したために、後回しにしづらい仕事も業種によってはあるのかもしれないと推し量りつつも、一翔は堂々と休んでいることが間違いであるかのような錯覚に改めておちいっていた。それゆえに、適任とも言いがたい子守役を充当されたようなものであった。


 従兄弟いとこ夫妻とはお盆休暇に際して祖父母宅で顔を合わせる程度でしかなく、当然に長女の陽菜ひなとも同じ頻度であるため、赤子の頃から知っていても『顔見知りの親戚』くらいの関係値に過ぎなかった。

 現に陽菜ひなは黙々と絵画に執心していて、会話が生まれる気配すらなかった。


 一翔は当初同室にあるテレビで適当な番組をながめているのみだったが、それでも子守が成立するのであれば何も問題はなかった。幹弥みきやには幼い頃よく遊んでもらったため、微々びびたる恩返しをはかっているつもりであった。


 そんななか、陽菜ひなが何かを探しているのか浮かない表情でリビングを彷徨うろつき始めたので、一翔は仕方なく声を掛けた。



陽菜ひなちゃん、何か探してるの?」



 陽菜ひなはその場で立ち止まって振り返ると、ぽつりと答えた。



「…鉛筆削り」



わかった。ちょっと待ってな」



 腰を上げた一翔は真っぐ2階の空き部屋へと向かい、昔馴染なじみの古びたローテーブルの引き出しを開けた。

 

 記憶の通りに長さ3cm程度の小さな鉛筆削りを発見して陽菜ひなに手渡したが、使い方が判然としなかったらしくみずからの手で削って見せた。



「おじちゃんありがと」



 陽菜ひなは礼儀正しく一言添えてから、また絵画へと戻った。


 三十路みそじ手前の親戚に『おじちゃん』という呼称が妥当なのか一翔には判断しかねたが、それよりも陽菜ひながせっせといている絵に気を取られていた。深夜帯に放送している人気アニメの女子キャラクターを、キービジュアルが印刷されたカードを参照して何度も描いていたのであった。


 一翔もその作品は知っていたうえ、近年のアニメは決して子供向けでなくとも、トレンドによっては小学生にも反響が出るという風潮も把握していた。

 だが実際にの当たりにすると、世代間の垣根が容易たやすく取り払われているようでかえって戸惑いを覚えていた。



「そのキャラクター、俺も知ってるよ。学校でも人気あるんだ?」



「うん」



 それでもなんとなく会話のきっかけがつかめそうな気がして、一翔は陽菜ひなに問いかけていた。



陽菜ひなちゃんも、そのアニメ配信とかで観てるの?」



「ううん、観てない。みんなが好きだからいてるの」



 だがその何気ない返答は、一翔の胸の内に冷たく突き刺さった。無心に没入する小学2年生の姿勢は、楽しいあまり集中が過ぎているのか、それとも周囲と同調するため宿題のようにこなしているのかまるでわからなかった。


 無意識のうちに相槌あいづち曖昧あいまいになっていると、陽菜ひなは画用紙と鉛筆を別途持ち出して一翔に手渡してきた。



「おじちゃんも、何かいて」





「あらすごい、上手にくのね」



 それは義伯母ぎおば陽佳ようか陽菜ひなに対してではなく、一翔に対して告げた感想であった。


 午後になって陽菜ひなの母・あおいが出迎えに来たらしく、義伯母ぎおばはそれをしらせに来ていた。

 陽菜ひなはそれを聞くなりテキパキと身支度みじたくを整え、一翔に特段何も挨拶あいさつすることなく玄関の方へ駆け出していってしまった。


 一翔はそれまでの時間が一緒に遊んでいたわけではなくただの子守に過ぎなかったことを思い出し、いていた用紙を畳んでかばんに仕舞い、モデルを映していたスマホ画面を閉じた。

 

 その直前に偶々たまたま義伯母ぎおばに見られて言われたに過ぎない一言には謙遜けんそんする余地もなかったが、何の実りのないはずの時間には不思議と充実を覚えていた。



——イラストなんていたの久し振りだったけど…それなりにやれるもんだな。



 鉛筆で数時間かけて模写したアニメキャラクターの出来できは、一翔にとって思ったほど悪いものではなかった。所々に表現のいびつさはあるが、トレースの精度は良い方だと客観的にも評価出来できた。


 一翔にはデッサンを学んだ経験はなかったが、幼い頃から絵をくことが好きで、学校の図工や美術の時間でも造形や色彩を捉えて再現することに関しては周囲よりも頭一つ抜けていた。


 よわいを重ねるごとに絵画は趣味からこぼれ落ちていったが、昔から褒められつちかった感覚はだ機能し得ることに気付き、久方ぶりの没入感を味わっていた。没入して、陽菜ひなく絵を褒めることをすっかり失念していた。



——陽菜ひなちゃんの絵にも何かコメントしとけばよかったな…でもあの子が欲しいのは、俺みたいなおじさんよりも同級生の評価なんだろうな。



 周囲の目を気にする子供の心境には、一翔もいくらか共感していた。一翔自身も幼少期には何度も絵を褒められたが、それは同級生からではなかったからである。


 男の子の魅力とはもっぱら運動神経で語られるものであるから、絵画が趣味だった自分が対照的に日陰者におちいる姿は今でも痛いほどに思い起こされた。

 スポーツ好きな両親も当時は一翔の描写スキルを認めつつ、どちらかと言えば身体を動かして育つことを望んでいた。



 しかし一翔には物心ついた頃から、運動に関して確かな劣等感があった。その感情からそむくように絵画に執心する一方で、妹の香純かずみはその姿を見て育ったのか人一倍の運動神経を発揮していた。

 そしてひとりでに続けていた趣味はいつしか自己満足と承認欲求が逆転し、ひっそりと消滅したはずだった。


 だが今しがたの没入感と義伯母ぎおばの通り過がりのような一言が、冷え切った一翔の心の奥底にかすかな熱を生み出していた。



——また何かいてみるのもいいかもしれない…昔と違って、今はSNSとかで不特定多数の人に見てもらえる可能性があるわけだし。


——そしてそれがあわよくば…『価値のある人間』になることにつながったりはしないだろうか。



 不図ふとそう思った途端とたん、一翔は立ち上がっていた。子守という役目は終えたために、今日はもうこれ以上祖父母宅に滞在する必要はなくなっていた。




「一翔、ちょっといいか?」



 だがリビングから出ようとしたその足を、不意に一翔の父である賀津雄かずおが呼び止めた。

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