第23話 小悪魔

 その列挙が揶揄からかうための皮肉なのかどうかは定かではなかったが、一翔は振り返ることなくこれらをつぶさに否定していった。



「勉強が出来できめられるのは社会に出るまでだ。むしろ地方じゃ学歴が華美かびになる感じさえある。料理は出来できてもひけらかせるようなものじゃない。車を持つのは地方じゃ当たり前でアドバンテージにはならない…ずっと東京にいるおまえにはイメージ湧かないかもしれないがな」



「偉そうなこと言ってるけど何の見栄にもなってないからね。てか外見は何も否定しないのウケるんだけど」



うるさいな。特段言及する特徴の無い、つまらない人間だって自覚はあるよ」



「そもそもそうやって硬派ってるから、女の子が寄り付かないんじゃないの?」



「否定したらしたでまた叩いて来るのかよ」



「お兄ちゃんはもっと人に興味を持たないと駄目だよ? その様子じゃあ誰かと付き合いたいとか結婚したいとか、考えてもいないんでしょ?」



 ここぞとばかりに後部座席からたたみ掛ける香純かずみの追及を、一翔は運転に集中することで受け流そうとしていた。

 容赦なく人の心をつついてくる妹は、何もかもを見透かすような『天使』と比べても節度に欠けてたちが悪かった。その性格や身形みなりを『天使』と対称的にたとえるなら、さながら小悪魔のようであった。



「今のご時世、り気なくその気をこうとしても、受け取られ方次第でぐにセクハラ認定されかねないもんなんだよ。女子にはわからない感覚だろうけどな」



「そんなことないでしょ。いて言うなら、そういうのは日頃の行いが物を言うんじゃないかなぁ」



 使い回しの言い訳も小悪魔には通用せず、紛れもない欠点を認定しようと生意気に見定める眼差まなざしがバックミラーに映し出されていた。日頃の行いと言うよりは、第一印象という表現に差し替える方が妥当であるように思えた。


 だがそう考えると、かえって改変することは難儀であるとも感ぜられた。理由もなく明るいキャラを取りつくろうことほどむなしいことはない——一翔にとっては虚勢を張るよりも忌避感きひかんを覚える所業であった。



——仕方がないだろ。好きでこんな性格になったわけじゃない。香純かずみだって昔から人気者になりたくてへつらってたわけじゃないだろう。


——これまでの人生で積み重ねてきた経験や感覚、それらを基に構築された価値観…それが結果として、恋愛だの結婚だのに向き不向きが反映されてるだけなんだよ。



——いや、それだけじゃない…人間としての価値すら問われる始末になるんだよ。



 一翔は香純かずみの視線をわずらわしそうににらみ返しながら、言葉にすることなく訴えかけた。声に出したところで笑えない言い訳にしか成り得ないどころか、余計なことまで口を滑らせてしまいそうであった。


 一方の香純かずみはそんな心境など知るよしもなく、ひとごとのように兄の分析を続けていた。



「まぁでもお兄ちゃんは大学時代にはそこそこ長くお付き合いしていた人がいたわけだし、異性に対して免疫めんえきがないわけじゃないと思うんだよなぁ。恋愛経験ゼロならまた話は別だけど、ひどい別れ方をしたわけでもあるまいし、また誰かとお付き合いして結婚したいとか考えないものなのかなぁ」



「…じゃあ逆にくけど、おまえはなんで今の旦那だんなと結婚したいと思ったんだよ?」



 放っておくとあらぬレッテルを貼られかねないと危惧きぐした一翔は、妹の現状に問い返すことでこの話題を切り抜けようと試みた。



「え? そんなの決まってるじゃん。プロポーズされたからだよ」



 だが香純かずみはあっけらかんとした表情で、たった一言でその問いをさばいた。



「なんだよそれ…プロポーズされなかったら結婚したいと思わなかったってことかよ?」



「今となってはどうでもいいことだからおぼえてないし、言ったところで男子にはわからない感覚だと思うよ?」





 『天使』と似たような言い回しではぐらかされてから数分後、一翔はようやく浜松駅のロータリーに到着していた。

 香純かずみはトランクからスーツケースを降ろすと、去りぎわに一翔へ挙式の予定を念入りに伝えた。



「式は来年の6月に決まったから。ジューンブライドだから、ちゃんとおぼえといてね」



「ジューンブライドは欧米の文化だぞ。日本の6月は梅雨時でジメつくから必ずしもマッチしてるとは言えないんだがな」



「なんでいてもいない蘊蓄うんちくを垂れるのかなぁ、そういうとこだよお兄ちゃん。あと上旬にやるから東京は未だ梅雨入りしないよ」



 あきれたように指摘しながら悠々と駅構内へと歩いていく妹の背中を、一翔はやや疲弊ひへいした眼差まなざしで見送っていた。


 元より兄妹きょうだい仲が悪いわけではないが、その生い立ちを比べればはっきり光とかげとで分かたれており、一翔にとって彼女は直視がはばかられるほどのまぶしい存在であった。


 そして結婚式やら教員資格やらあらゆるゴール地点を目指して走り行く彼女に対して、人生の終着点へと成すすべなく運ばれ行く自分のみじめさが一層浮き彫りになっていた。



 1つ溜息をいてから運転席に戻ると、助手席では『天使』が片肘を付いて窓の外をながめていた。

 

 無意識に香純かずみと対比してしまうせいか、一翔には彼女のつやめく金髪や色白の肌がいつにも増してまばゆく思えた。

 何の声も掛けることなくカーナビで自宅までのルートをセットしていると、シフトレバーを引く間際まぎわに彼女の方から話し掛けてきた。



「家族には相談しないって、言ってたんじゃなかったっけ?」



 一翔にはその揚げ足を取るような問いかけが何を指しているのか、今一いまいち判然としなかった。



「…なんの話だよ」



香純かずみちゃんに、なんで結婚したいと思ったのかっていてたじゃない」



「はぁ? なんでそうなるんだよ。そもそもあれはその場しのぎの台詞せりふで、何も他意はないからな」



 そう言い放って一翔は不機嫌そうにアクセルを踏み出したが、『天使』は単調なトーンで話し続けた。



「でも、何か参考にしようと考えてたのは確かでしょう。どうして自分にはそう思えないのか、どうしたら自分はそう思えるようになるのか…ってね」



「知ったような口をくなよ。大体、結婚が人生のすべてじゃねぇだろ。それとも、残された期間の中で誰かと結婚しろとでも言うつもりか?」



「そんなことは言わないよ。香純かずみちゃんの挙式には出席して欲しいと思ってるけどね」




 『天使』なりの皮肉から逃れるすべもなく、一翔は心なしか頭痛を覚えながら帰路へといていった。


 だが今日は金曜だったため、いつもの大型スーパーへ食材の買い出しに寄り道をした。『KIMATAキマタ BAKERYベーカリー』には金曜の夕方は訪ねないものの、昼下がりに小粥おがいさんは店番をしているだろうかと少しだけ気になった。


 それでも忌引きびきとはいえ、普段なら仕事をしているはずの時間帯に出向くことには抵抗があった。むしろ今日はもう、早く帰って眠りに就いてしまいたいほどに気疲れしていた。

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