第22話 気配りのできる者


2024年10月11日 金曜日。宣告された死まで残り24日。



 澄み渡った青空の下、三日原みっかばら教会では午前10時より祖父である袴田はかまだ慶三けいぞう出棺式しゅっかんしきり行われた。


 穏やかな陽光は礼拝堂を気高くみがき上げているようで、前夜式とは違った雰囲気に満ちていた。その昨夜ほどではないが参列者は多く集まり、晴れ晴れとした賛美が奏でられていた。


 一翔は今日もまた佐伯さえき牧師の説教を聞くなかで、死とは恐れ悲しみ打ちひしがれるものではなく、前向きに捉え乗り越えるものであるという考え方に理解を示しつつあった。



 だがその一方で、死を悲しむからこそ乗り越えるという因果関係が成り立つのであって、果たして自分は本当に祖父の死が悲しかったのだろうかという疑問に改めて直面していた。


 

 ひつぎ霊柩車れいきゅうしゃに収められ、火葬場に運ばれて炉にべられ、まばらな白骨片はっこつへんと化してもなお、一翔には祖父の死に実感がなかった。

 単にえないだけで、本物は今も何処どこか遠い所で存在しているに過ぎないではないかとぼんやり想像していた。


 おおよそ死とはそのような感覚を指すものなのかもしれないが、これをもって悲しみを乗り越えた結果だと言い張ることは虫が良すぎるような気がした。そしてその感覚は、一翔自身に課された余命に対してもまた同じようなものであった。



 すなわち祖父の葬儀にみずからを重ねて、自分が横たわるひつぎを家族が囲むという状況をと客観的な判断をしているに過ぎず、みずからの死そのものに対してはいまだに他人事として構えている節があった。


 昨日固めた意志を決意と呼ぶにはあまりにも空虚で、そのじつ『天使』の眼差まなざしをくぐるためのポーズを習得しただけであった。

 当然にそのポーズは日に日に使い回せるはずがなく、何かしらの動きを求められることは確定的なのだが、その『何かしら』への関心は依然として低調なままであった。




「お兄ちゃん、駅まで送っていってよ」



 一翔は気が付くと、妹の香純かずみに顔をのぞき込まれていた。


 火葬と納骨が終わり、遺族と牧師とで予約していた中華料理屋にて昼食を囲み、お開きになるまで一翔はほとんうわの空であった。

 その状態のまま店を出た矢先、スーツケースを引きる妹に回り込まれたため、思わず真顔でき返していた。



「え、なんで?」



「なんでって…お父さんはお母さん乗せてお祖母ばあちゃんに戻るからでしょ。お母さんに何も言われてないの?」



 両親は週末まで三日原みっかばらの祖父母宅に滞在し、祖母や伯父おじ夫妻らと共に相続関係等の手続きを進めることを、一翔は確かに母から聞かされていた。

 その際に今日中に帰京する香純かずみの見送りまで頼まれていたかどうかは記憶があやふやだったが、常識的に考えても自分がその役を担うのは当然であった。


 そんな妹は引き締まった小麦色の身体を喪服で包み、グレージュのセミショートヘアを風で揺らしながら仁王立におうだちしていた。一翔は仕方なくスマホを取り出すと、現在地を地図で改めて確認した。



わかったわかった…ここから一番最寄もよりの駅は…」



「え? 浜松駅まで送ってくれるんじゃないの?」



「なんで?」



「なんでも何も、どうせ暇なんだから断る理由ないでしょ。荷物あるんだからその辺気遣きづかってよ。そんなんだから彼女出来できないんじゃん」



「…とても送迎してもらう人間の態度とは思えねぇんだけど」





 今年よわい28を迎えた妹の香純かずみは、大手スポーツメーカーが運営する都内のテニススクールで講師を務めていた。

 両親に似て幼い頃から運動神経にすぐれ、母の影響で始めたテニスでは学生時代に全国大会へ出場するほどの実績を持ち、その腕を引っ提げて大学進学でもスポーツ推薦を勝ち取っていた。


 快活で人懐っこい性格は老若男女ろうにゃくなんにょ問わず人気を集め、恋人もとっかえひっかえとまで言わずとも、人生の中で交際のない期間の方が少ないのではないかと思える程の人柄であった。そして先月にはめでたく入籍をしていた。

 

 来年には式を挙げる予定である一方で、体育教師を目指すため通信制大学にも通っているらしく、一翔には所謂いわゆるリアじゅうな日々がいつまでも終わることなく続いているように見えていた。そんな妹に勝っていることといえば、学力偏差値と身長くらいしか思い浮かばなかった。



「あー、でもせっかくだからどっか寄り道してもいいかもなぁ。この辺に観光名所的なところないの?」



 後部座席でスマホをいじっていた香純かずみが、一翔に気紛きまぐれな発言を寄越よこした。


 浜松駅まで十数kmの距離をカーナビでルートを設定している以上、唐突とうとつな目的地変更は億劫おっくうでしかなかった。

 そもそも一翔は8年ほど浜松で暮らしているにもかかわらず外出自体がまれであるため、思い付きで走り回れるほどの土地勘がいまだに身に付いていなかった。



「ねぇよ。葬儀で来てる身なんだからふらふらしてないで真っぐ帰れよ」



「つまんない男だなぁ。じゃあ何かおすすめのお土産みやげ教えてよ、うなぎのお菓子以外で」



「なんでおまえはそんなに旅行気分なんだよ」



「失敬な。ちゃんと職場の人達にシフト調整してもらったお礼とかで配ること考えてんの。お兄ちゃんこそ3日も仕事休んでるのにそういうの探さないわけ?」



「俺の会社からは供花があったから、香典返し的な返礼品がもう手配されてんだよ」



「ふーん。それはそれは、兄上はいい御身分ごみぶんでいらっしゃる」



 一翔はバックミラー越しに映る香純かずみの軽口を、面倒臭そうにあしらった。


 兄としての視点では、妹のがさつで気分屋な素性すじょうは昔からほとんど変わらなかったが、外面そとづらは常に道理をわきまえていて義理深かった。

 忌引きびきにびの品など必要ないのだろうが、そういう立ち回りが自然と出来できることが彼女の美点の1つなのかもしれないとも思えた。



「まぁお土産みやげは駅構内で適当に探すとして…お兄ちゃん本当に彼女いないの?」




 脈絡のない話題の転換を受け、一翔は眉間みけんしわを寄せた。


 母からも振られたテーマに再三触れることにはうんざりしていたが、目的地までの大通りは交通量が多く思ったように車を進められず、殊更ことさられったかった。



「いねぇよ」



「気になっている人もいないの?」



「いない」



 一瞬だけ『KIMATAキマタ BAKERYベーカリー』の小粥おがいさんの顔が脳裏のうりに浮かんだが、そのことを妹にが非でも察されるわけにはいかなかった。

 そもそも恋人のいる・いないのマウントはうに勝負がついていて成立せず、虚仮こけにされたところで最早もはや何も感じなかった。


 だが身構えていた一翔の予想に反し、香純かずみは腕組みをしながら自分の考えをひねり出していた。



「何も無いってことは無いと思うんだけどなぁ。お兄ちゃん上背うわぜいもあって見てくれは悪くないし、勉強も料理も出来できるし、車だって持ってるし。モテる要素が無いわけじゃ無いと思うんだけどなぁ」

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