第25話 相談の方法


 父・相羽あいば賀津雄かずお上背うわぜいがあって体格の良い、還暦を迎えてもなお現役のスポーツマンであるかのような外見だったが、勤務先は都内の小さな会計事務所であった。


 税理士の見識をかして今回の袴田はかまだ家の相続関係の整理にも一躍買っていたのだが、その父が声を掛けて来たということは、一族の会議も一段落着いたのではないかと一翔は察していた。

 ただそれはそれとして、父の方から繰り出される要件に見当が付かなかった。



「どうしたの?」



 一翔の身長は同世代の全国平均よりも多少上回っていたが、父は恐らく180cmには達していると思われ、見上げた顔は刑部おさかべ代表ほどではないが相変わらずいかつい人相であった。



「母さんと話してたんだが…ここにもう一晩ひとばん滞在することになった。それで明日は日曜だから、袴田はかまだ家の皆さんと三日原みっかばら教会の礼拝に出ようって話になったんだ…慶三けいぞうさんの葬儀には牧師さんだけじゃなく教会員のみなさんにも世話になったから、改めて御礼おれいを言ってから帰京しようってな。だから一翔も明日また三日原みっかばらまで来て、礼拝に出席してくれ」



「えっ!? …ああ、うん。わかった」



「…何か用事があるんなら、別に優先してもらって構わないんだが」



「いや…大丈夫、何もないから」



 貫禄かんろくも相まって衰えぬ迫力に気圧けおされ、一翔はひるんだように答えた。せっかく取り組みたいことを思い付いた矢先に水を差されてしまい、本音では予定の割り込みを歓迎していなかったが、体裁ていさいのために仕方なく承諾していた。



「それじゃあ、また明日…」



 一翔はそう言って、今度こそリビングから脱出しようと足を踏み出した。父に苦手意識があるわけではなかったが、2人きりというのもまた居たたまれなかった。



「一翔、少しはゴルフ上手くなったのか」



 だがそれでも父はだ一翔を引き留めるかのように、おもむろに別の話題を背中に投げ掛けた。


 ゴルフ場関連の企業に勤務する以上、仕事の理解を深めるためにもゴルフの練習は必要であった。一翔も一時期は近場のレンジを訪れていたが最近はさっぱりであり、肝心のスコアも120を切れればマシな方であった。

 他方で父もまた職業上顧客とゴルフをする機会は多く、持ち前の運動センスをかして当たり前のように80台を出していた。



「…大して変わってないよ。ゴルフ場での立ち回りには慣れたけど」



「そうか…それなら仕事の方もまぁ、上手くはやってるのか」



「…うん、それなりには」



 ぎこちないような会話が続くなか、一翔は一抹いちまつの不穏を抱えていた。


 父と仕事の話を交わしたことは振り返ってもほとんおぼえがなかったため、ゴルフの話題を皮切りに本題へと踏み込もうとしているのではないかと身構えていた。



「ならいいんだが…ずっと引っ掛かっていてな。余計なお世話かもしれないが、一翔は慶三けいぞうさんの誘いを無下むげにしないよう進路を決めて、今でもそのしがらみもとで仕事をしているんじゃないかと思っていたんだ」



 案のじょう、父は図星ずぼしを突いてきた。それに対して何を言い返そうか思案していると、父もまた言いにくそうに話を続けてきた。



「だからこんなことを言うのも不謹慎ふきんしんかもしれないが…もう慶三けいぞうさんの意思にとらわれないで、やりたいことをやっていいんだからな。今の職場が自分に合ってるなら、それはそれで構わないが」



 伝える必要性にとぼしい前提でも、伝えるつもりだったことははっきりと伝える——父・賀津雄かずおはそういう人物であった。母と違って口数は少なく伝え方も迂遠うえんだが、世話焼きな点は似通っていた。


 それが子の親としての当然の姿勢なのかは一翔にはわからなかったが、それゆえ野暮やぼったくて仕方がなかった。一昨日おとといの夜に刑部おさかべ代表からキャリアプランを尋ねられたこととも重なって、余計に耳が痛かった。



「…そんなに遠慮がちになるなら、態々わざわざ言うこともなかったんじゃないの」



 思わず一翔の口からこぼれた台詞せりふは、親が相手とはいえ流石さすがに失礼だったのではないかと直後に後悔した。だが父は気にさわることなく、むしろ言葉を買うようにして答えた。



「そうか? おまえは葬儀の最中さなかもずっと浮かない顔をしていたように見えていたぞ。慶三けいぞうさんをいたむでもしのぶでもなく、それでいて鬱屈うっくつしているようにな」




 その切り返しを受けて、一翔は表情を硬くした。


 父は昔から寡黙かもくだが観察眼には優れ、他人のささやかな変化にも敏感であった。


 税理士も接客業の領域とは不可分ではないものの、父に関しては臨床心理士の域に触れているのではないかと思うことが多々あった。その父は一翔の反応を踏まえて、更に言い聞かせた。



「悩みがあるなら早めに相談して解決しておけよ。世の中には手遅れになると深刻になる悩みもあるものだからな」



 ここまで話が進むと、一翔はすっかり後に退けなくなっていた。父はみずから悩みを聞いてやるとは明言しないものの、一翔が悩みを抱えていることが無言で証明され、それを受け止める流れを構築してしまったのである。

 さながらキャッチボールの最中さなかに壁が出現し、父の投げた球がおのずとね返っていくようであった。


 『家族や仲の良い友人だからこそ、重要な相談は出来できない』——そんな信条を抱えていた一翔は、その壁を打破するべく応戦を余儀なくされた。



「じゃあ父さんは、何か重要な悩みを抱えているとして…一体誰に相談するんだよ」



 その質問の瞬間を、一翔はリビングのどこかから『天使』がはっきりと注目していたような気がした。一方の父は、いぶかしむことなく正面から答えた。



「相談の内容にるな。家族に関する悩みなら身内以外…友人や職場の人間にする。仕事関係なら仕事と無関係の人脈を頼る。そうやって出来できる限り客観的な視点を集めるんだ」



「そんなに上手くいくものか? 馴染なじみのない話題を振られたら、それこそ自分の好きなようにすればっていうオチになるんじゃないのか?」



「別に結論としてそうなる分には構わないだろ。相談が成り立つのなら、それ以前にいくつか提案が並べられているはずだ。それを参考にしようが無下むげにしようが、後腐れがないことに意味がある。一翔、おまえはきっとそういうことを引け目に感じてるんじゃないのか?」





 結局父との会話は、その問いかけを境目になし崩し的に終わった。一翔はそれ以上何も言い返すことが出来できず、父もまたボールを投げてくることはなかった。


 父の言い分は職業柄つちかわれたようにも思えて、額面通りに受け止めたところで不満がつのる一方であった。



——父さんの言う通りだよ。せっかく提案してくれた意見を反故ほごにしたら、その人に申し訳ないと思ってしまう。善意をないがしろにしたようで、関係値が下落するんじゃないかと恐れてしまう。


——だから『価値のある人間』の成り方なんて相談を後腐れなく出来できる相手なんて…結局いないんだよ。



 祖父母宅の玄関を出ると、またぶり返した夏日の陽気がじっとりと一翔を照らした。だがだ昼下がりといえども、の傾きが目に見えて早くなっているような気がしていた。

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