第2章 向き合うようになる(残り26~20日)

第18話 催涙


2024年10月9日 水曜日。宣告された死まで残り26日。



「悪いわね一翔、態々わざわざ迎えに来てもらっちゃって」



 母である相羽あいば和恵かずえは、一翔の自家用車のトランクにスーツケースを積み込むと、慌ただしく助手席に乗り込んできた。来年には還暦を迎える母の横顔は、小皺こじわが目立ってきたように見えた。



「まぁ、雨のなか荷物引きってくの大変だろうし…」



「でもだからってロータリーじゃなくてこんな所で待ってなくても…大丈夫だったの? 怒られてない?」



「大丈夫だよ…別に何も心配することないって」



 一翔は心配性な母をあしらいながら、浜松駅西側の高架下から車を始動させた。


 だ冷たい雨が降り止まぬなか、三日原みっかばらにある祖父母の自宅へと出発していた。時刻は午前9時半を回っていた。




 昨夜から降り続く雨によって朝は冷え込み、ようやく平年並みの気温となったものの体感としては肌寒かった。

 いつもの朝より薄暗いアパートの自室でスマホのアラームよりも早く目覚めた一翔は、母が東京から急ぎ浜松に来るという連絡をその画面で確認していた。


 送迎のために半休を申し出ようと頃合いを見て伊熊いぐま部長に電話をかけたところ、祖父である袴田はかまだ慶三けいぞう訃報ふほうを聞いた部長は透かさず全休を言い渡し、葬儀の詳細が決まり次第ぐに連絡を寄越すよう指示した。


 それが慶弔けいちょうかかる特別休暇の扱いになるのかまでは確認をし損ねたが、こうした融通が簡単にくのは零細れいさい企業ならではなのだろうと思えた。

 元より祖父の葬儀には刑部おさかべ代表の参列が予想されることから、少しでも早い連絡を依頼している節もあった。




「仕事はどうなの? 忙しいの?」



「べつに…大したことないよ。ゴルフ場の現場はこれからの時期が大変だけど」



 仕事という仕事が日常的に詰まっていないからこそのフットワークであることを母にさとられないよう、一翔は答えをぼかしつつ話題をらしていた。


 実際10・11月のゴルフ場は単価が釣り上がる繁忙期はんぼうきでありながら、毎日少しずつ日没が早まり需要に反して利用時間が狭まっていくため、運営にかなりの神経をり減らす季節であり何ら嘘は述べていなかった。


 ただ親会社からすればさながら高みの見物であると言っても過言ではなく、普段の勤務がその繁忙はんぼうと無縁であると返事を取りつくろっていることも間違いではなかった。



「ふぅん。じゃあ彼女候補を探すのも難しいわね」



 だが話題を仕事から離したところで、母からお約束の議題を提起されることに変わりはなかった。ゆえに一翔もまた顔をしかめて、不機嫌そうに答えた。



「なんでゴルフ場の現場で探すってことになるんだよ。そんな下心したごころ丸出しで現場に顔出すわけないだろ」



「だってどうせ一翔は休みの日も外に出ないんでしょう。職場はおじさんだけだって言うし、ゴルフ場で若い女の子と関わりを持つしかないじゃない。少しはいるでしょう、明るくて可愛い女の子が」



「地方でそういう女性は、大体20代半ばで結婚して出産もしてんだよ。母さんは知らないだろうけど」



「何言ってんのよ、母さんは高校出るまでその地方で暮らしてたんだから。一翔の方こそ知っておくべきよ、母さんが貴方あなたを産んだ年齢を貴方あなたがもうじき超えそうだってことをね」



 世話焼きで心配性とはいえ、一翔は久々に会った母の口数が比較的多く軽快であるような気がした。亡き祖父との対面を前に気丈に振る舞っているようにも見えたが、単に長男との会話に前のめりになっているようにもうかがえた。


 近親者の死に初めて立ち会う一翔は、だどのような心持ちで過ごすことが正しいのか判然としていなかった。他愛のない会話で笑うことも笑わないことも、そのどちらも軽薄であるように思えてならなかった。




 三日原みっかばらの祖父母宅へ1時間ほどかけて到着する頃には、すでに雨は上がっていた。

 2階建ての木造家屋は相変わらず古き良きたたずまいをしており、広めの敷地には自動車を優に数台停め置くことが出来できた。


 早朝には祖父の遺体は病院から搬入されており、葬儀社への手配は祖母に代わって伯父である袴田聡志さとしと義伯母・陽佳ようかが担当していることを一翔は事前に知らされていた。



「いらっしゃい和恵さん、一翔くん。遠いところご苦労様」



 スーツケースを抱えた母が玄関に入るとぐに義伯母が迎え入れ、一翔共々畳敷きの寝室へと案内した。

 だが年季の入った廊下は踏み出す一歩を冷たくむしばみ、慣れ親しんだはずの空間は何者かに乗っ取られたかのような不穏な静寂で満たされていた。



 寝室に顔を出すと、真っ先に正座をしていた祖母と伯父が視界に映った。そして次いで2人の膝元に敷かれた布団ふとんに横たわる祖父の遺体を捉えた。



 打ちおおいをかぶせられ無機質に沈黙する姿は、昨日病床で見た祖父とはであるかのように思えて、一翔はなかば戸惑うように立ち尽くした。


 他方でかたわらの母はその何かに吸い寄せられるようにして腰を下ろすと、小さくかすれた声音で語り掛けた。



「お父さん……お父さん…今までありがとう……ありがとうね……ゆっくり…休んでね……」




 母の背中は震えが止まらなくなり、項垂うなだれた後ろ姿からはせきを切ったように嗚咽おえつあふれた。


 その哀悼あいとうに祖母はハンカチで赤らむ顔をおおい、伯父は歯を食い縛るようにして視線を伏せた。義伯母は座ることも忘れてすすり泣いており、寝室は悲しみをみ締める不協和音で満たされた。


 

 その入口で茫然ぼうぜんたたずむ一翔の目と鼻の奥からも自然と熱いものが込み上げ、決壊し、止めなく流れた。それをぬぐう一切の手段を失念していたことを後悔し、部屋の隅に身体を向けてしばむせび続けた。



『君はお祖父じいさんが死んだら、泣くの?』



 一翔は昨日『天使』に投げかけられた問いかけを不図ふと思い出し、自分が危惧きぐしていた程の薄情な人間でなかったことに密かに安堵あんどしていた。

 祖父が他界したことを素直に受け止められず感情が拒絶したという結果を、不謹慎かもしれないが前向きに捉えていた。


 だがその一方で、そんな自分を一歩退いて冷ややかに見つめている自分もいた。



——本当に俺は、悲しくて泣いているのだろうか。


——ただ単に身内がこぞって悲しみに暮れる光景にてられて…あるいはその異常な現実が受け入れ難くて反射的に涙が湧き出ているのではないのだろうか。…玉葱たまねぎを切り刻んだら涙腺るいせんが刺激されるみたいに。




 一翔が泥沼のような疑問に引きり込まれかけたそのとき、来客をしらせる呼び出し音が寝室に割り込んで来た。


 その場に居たみなが涙で顔をぐちゃぐちゃにしていたが、かろうじて伯父が応対出来できるように表情を整え、玄関口へと向かっていった。


 間もなくして戻って来た伯父の背後には、黒い装束をまとった男がいた。



「失礼いたします」



 その分厚いひげと野太い声音の持ち主は、まさしく昨日一翔が病棟で入れ違った人物であった。

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