第13話 近くて遠すぎる距離


「馬鹿かおまえ…何適当なこと言ってんだよ」



「茶化してるつもりはないよ。君はよくあの人の視線を気にしているし、接客してもらっているときは何か会話の糸口を探ろうとそわそわしているでしょう」



「やめろ、人のことをストーカーみたいに言うな」



「ストーカーみたいな印象はいだかれていないと思うけどな。あの女の人…『おかゆさん』だっけ?」



「『小粥おがいさん』だよ。以前店の人にそう呼ばれてるのを聞いた」



「そうなんだ、よくおぼえてるね。やっぱりそれなりに意識しているんじゃない」



「…だからさぁ、そういうんじゃねぇって言ってるだろ!」



 一翔は『天使』に鎌を掛けられたような気がして更に動揺し、またさながらお節介な親戚にやかましくなじられているような錯覚に辟易へきえきした。


 とはいえ常にかたわらで自分を見ていたであろう『天使』の指摘は詭弁きべんではなく、ある程度図星ずぼしであることは確かであり、その気持ちを隠し通すことに必死になっていた。




 小粥おがいという名札を胸元に付けた小動物顔の小柄な女性は、パン屋とは相性の悪そうな苗字ながらも『KIMATAキマタ BAKERYベーカリー』の看板娘の1人として、かつてテレビ番組で観たその店の特集でも取材を受けていた。

 放映時はマスクを付けており、一翔はその時点で特段彼女にかれたわけではなく、最初は単に行きつけの大型スーパーの近くだからという理由で訪ねていた。


 だが実際にレジで相対した際は素顔があらわになっており、彼女の口角の上がった柔らかな表情と快活な声音によって、一翔の胸が高鳴ったことは紛れもない事実であった。

 もし彼女がゴルフ場で接客したなら、間違いなく男性客の人気を集めるだろうなどと考えた。


 そうして『KIMATAキマタ BAKERYベーカリー』には、彼女が気になって通い詰めるという下心混じりの習慣が出来上できあがった。

 とはいえ彼女はシフト制なのか常に夕方に店番をしているわけではなく、休日は当然ながら混雑して常にせわしない様子であった。


 何度か訪ねた結果、月曜の夕方には確実にシフトを組んでいるようで、かつ客足もまばらであるために『丁度良ちょうどよい』ことが判明した。

 そういった背景を踏まえれば、はたから見てストーカーまがいのレッテルを張られても釈明しづらいものがあった。


 だが滞在時間がかさんでいるのは露骨なアピールではなく本当に食べたい商品を吟味ぎんみしている結果であり、だからこそ小粥おがいさんには悪い印象をいだかれていないのだと信じていた。


 むしろ店内を回っているときに彼女から向けられる視線は、何となく落ち着かないような雰囲気を帯びていた。

 それが自意識過剰であるとしても、定期的に通うことで彼女との間に何かが生まれるのではないかという淡い期待があった。


 

 それでもいざ『天使』に指摘されると、一連の言動は穴があったら入りたいほどの醜態しゅうたいであることを思い知らされていた。

 あまつさえ『天使』がうるわしい大人の女性の身形みなりをしているために、異性について至近距離で追及されることがこの上なく気恥ずかしかった。



「別におくすることじゃないと思うけどな、人を好きになることは」



 表情を動かさずともきょうが乗っているのか、『天使』は食事中の一翔が不快感をあらわにしていても構うことなく話題にぶら下がり続けていた。



「そうじゃない。誰が好きかとか勝手に決めつけられてしつこくされることがうざいんだよ」



「でも、これって数少ないチャンスだと思うんだよね」



「…またその話かよ」



「うん。だって一番わかやすい方法だから」




 一翔には『天使』の発言の行きつく先が、結局は余命宣告を回避するための選択肢につながることを当然に推測していた。


 すなわち、30日以内に『価値のある人間』になるためには恋人を作ること——『価値のある人間』になることが最も明瞭な指針の1つであるという提示は想定通りであった。


 ゆえに一翔は間髪かんぱつを入れることなく、吐き捨てるようにして答えていた。



「俺に小粥おがいさんをナンパしろって勧めるつもりなら、それは絶対に無理な話だ」



「ナンパって…君、自分から意図的に悪い表現にしようとしてるんじゃない?」



「どんな表現にしようが相手には同じことだろ。一介の客人に過ぎない俺が急に口説くどき出せば、悪質で迷惑だって閉め出されて出禁になるのが明白だ。してやあの店は地元客が多いらしいから、変な噂が立ったらスーパーの買い出しすら行きづらくなるかもしれないし…」



「本当に悪質で迷惑と感じるかは、小粥おがいさん次第でしょう。どうして明白だって言えるの? 君が彼女の気をきたくて年中通い続けた結果、彼女も君のことをおぼえてるし、一介の客人よりかは親しげに接してくれているんじゃないのかな?」



 ここぞとばかりに『天使』が問い詰めてくるため、一翔はさっさと夕飯を食べ終えてしまおうとき込みながら、最小限で会話を終わらせるための返答を模索した。


 確かに小粥おがいさんには多少なりとも認識されていると思ってはいたが、それでも客人と店員という関係性から発展する予兆などなく、会計テーブルを挟んだ距離は近いようで圧倒的な高低差があった。

 底から見上げる自分が独善的に彼女を引きり下ろすことは正しく暴挙であり、彼女がみずから下ってこそ初めて接する権利が生まれるのだと考えていた。


 そもそも小粥おがいさんには、みずからの名前すら明かしたことがなかった。何より今日彼女が話に触れたような迷惑客と、同じような末路を自分が辿たどる可能性を恐れていた。



「…このご時世、セクハラとか世間の見る目は敏感なんだよ。自分の命が掛かってるからって、そんな博打ばくちみたいなこと出来できるかよ」



 からになった丼ぶりをローテーブルに置いた一翔は、溜息混じりに言い放った。

 それでも『天使』は、依然として透き通るような眼差まなざしで見つめながら食い下がった。



「命が掛かっているからこそ、悔いの無いようにするべきなんじゃないかな」



「それを言うなら、自分の都合で他人に不快な思いをさせることが一番の後悔になる。それともあんたは『天使』らしく、キューピッドの役割でも担ってくれんのか?」



 一翔は露骨な嫌味をともなって言い返すと、『天使』はほんのわずか表情を曇らせて押し黙った。


 沈黙が答えとなり、気が済んだと判断した一翔は食器を片付けようと立ち上がった。だがキッチンへ向かうその背中に、『天使』が一言ささやき掛けた。



ぐにとは言わないから、最後まで小粥おがいさんには顔を見せてあげてよ。そのうち何か、変わるかもしれないからさ」

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