第8話 魔が差したんだと思う


 18時頃に始まった飲み会は20時前には切り上げられ、遠方から集まっていたタカとシュンは真っぐ帰路に就いた。

 元より遊び歩くような間柄あいだがらではなく、週明けになるということもあり早々の解散となっていた。


 一翔もひと何処どこに寄るでもなくローカル線に30分ほど揺られ、アパートの最寄もよりである浜薗はまぞの駅に下車した。

 そこから更に徒歩で10分ほどを要する帰路は、人も自動車も夜間はほとんど往来のない閑静かんせいな住宅街であった。


 上空は雲におおわれて、細々ほそぼそとした三日月の明かりはって無いようなものであった。

 いささか蒸しているはずの夜の空気が心なしか肌寒く、一翔はあっさりとめた身体をさすりながら足を進めていた。



「飲み会、あんまり楽しくなかったの?」



 不意に右側から話しかけられ、一翔は並ぶように歩きながら顔をのぞき込んで来る『天使』をちらりと見遣みやった。



 『天使』は自分よりもずっと薄着で肌の露出が多いにもかかわらず寒がる様子もなく、背中からは消失していたはずの大きな翼が再び生え広がってほのかな光をたたえていた。


 最も人間らしからぬそのパーツの性質は依然として不可解なままであったが、一翔にとっては彼女の存在そのものが奇妙であることに変わりなく、言及する優先順位のリスト外であった。


 一翔は外出中に話し掛けるなという要請を反故ほごにした『天使』に内心舌打ちをしながらも、周囲に人気がないことを確認してから、仕方なく息をひそめて彼女をなじった。



「…あんたが料理を横取りしたからだろ。それで俺が挙動不審な反応をして…変な雰囲気になったんじゃねぇか」



「そう? 別にお友達の2人は気にしてる様子なかったけど」



「そう見えなくとも絶対可笑おかしな印象を持たれただろうが。いくら友人とはいえシェアすべき料理を独占されたら不満に思うだろうし、陰口の1つ叩いてても不思議じゃないだろ。大体、なんであんな悪戯いたずらしてきたんだよ」



 一翔は濡れぎぬを着せられたときの青褪あおざめるような感覚を思い出し、『天使』に対して語気を強めた。その不明瞭な意図を解消しておかなければ、今晩は寝付けないような気がしていた。


 だが『天使』は何ら悪怯わるびれる様子もなく、人差し指を口元に添えて何か考えるような素振そぶりで答えた。



「ほら、君は基本毎晩自炊してるけど、揚げ物は作らないでしょう?」



「…は? なんだよそれ。答えになってねぇんだけど」



「そうじゃなくて。私が手を出さなくとも、君はそのまま唐揚げを独占していただろうってこと。君は料理が残されることだけでなく、放置されて冷めてしまうことも嫌うでしょう。それに居酒屋での食事は、普段の自炊と比べたらコストパフォーマンスに見合わない。その上で食べる機会の少ない揚げ物が放置され冷めかけていたのなら、君は遠慮せず食欲を満たそうと独占していたんじゃないのかな」



 まるでAIが過去の自分の言動を総合して導き出したかのような台詞せりふは、一翔を殊更ことさら苛立いらだたせた。


 確かに『天使』が指摘するような趣向は否定出来できないものの、前提として周囲へ最低限の気をつかうことは当然であり、ここでは単に彼女が食欲を誤魔化ごまかそうと迂遠うえんな言い回しをしているようにしか聞こえかった。



「だからさぁ、何であんたが唐揚げを食べたのかっていてんだよ。たらればの話で流そうとすんなよ。他人には見えないあんたが料理を奪ったらその人等ひとらがどういう反応すんのか、自覚してないわけじゃねぇだろ」



 一翔は正面を向いたまま、吐き捨てるようにして『天使』への追及を続けた。


 だが彼女はやはり何か本音を隠していたのか、そこから返事が戻って来るまでには数秒の沈黙があった。



「そうだね、ごめん。君が会話から漏れて楽しくなさそうだったから…魔が差したんだと思う」




 その釈明を受けて、一翔は飲み会のテーブルに生じていた温度差を『天使』に正面から看破されていたことをようやく察した。



——『使魔が差したとか、洒落しゃれになってないんだが…。


——いや、あいつは過去同じようなシチュエーションで、何度も同じような俺の顔色を見てきたってことなのか。それで俺が認識出来できるようになったことを逆手さかてに取ったってことなのか…?



 かつてのみじめったらしい境遇の数々を彼女に見られていたかと思うと、一翔は途端とたんに気恥ずかしくなった。


 それでも好意的に捉え直す気など微塵みじんもなく、罪悪感をやわらげようとした『天使』の口振りにあきれながら言い返した。



「…余計なことしなくていいんだよ」



「でも、そうでなくとも君はお友達に何も相談しようとしなかったじゃない。あと29日で神様に命を奪われてしまうかもしれないのに…せっかく久々に集まれて、腹を割って話せる機会だったんじゃないの?」



 やはりそうか、と一翔はその追及を心の中で一蹴いっしゅうした。『天使』は依然として、余命宣告を回避するためのきっかけを自分に与えようと間接的な介入をくわだてているのだと理解した。


 仮にタカとシュンに対して自分の身に降り掛かったことをありのまま打ち明けたとしても、冗談半分に信じるかいなかを問わず、人生相談として捉えて話を聞いてくれるだろうとは思った。

 『天使』もその間柄あいだがらを把握していたからこそ、わざと気をくような真似まねをしたのだろうと推察した。



——それでも…いや、だからこそ…相談なんて出来できない。相談なんてしたところで、顛末てんまつを想像することはかたくない。せっかくユーヤンのめでたい話題で集まったのに、後味あとあじが悪くなるようなことをする必要はなかったんだ。




「…もう一度言う。余計なことはしなくていい。俺がどう生きるかは……俺が決める」



 一翔は先程よりもうつむき加減に、低い声音で『天使』に言い聞かせた。


 それが今日一番の虚勢きょせいであることは、彼女に容易たやすく見透かされてしまうような気がした。



「そう、わかった。じゃあ金輪際こんりんざい、ああいう手出しはしないようにするよ」



 だが『天使』はそれ以上に言い寄ることはせず、けじめを付けるかのように静かに答えた。

 その言い方は一聞いちぶん淡泊なようで、様々な感情がせめぎ合ってつぶされたように感ぜられた。


 一翔はかえって突き放されたような手応てごたえを覚えたが、それが正しい選択肢だったのだとみずからに言い聞かせた。

 とはいえ彼女との会話自体を拒絶したわけではなく、明日からまた始まる1週間のなかで何も接触がないことは期待しづらかった。



——いつまでもふさぎ込んでいても意味がないことはわかってる。わかってるけど…何1つ手探りのしようがない。


——そもそも1か月後に死ぬかもしれないっていう危機感すら俺は半信半疑で、真面まともに受け止めてすらいないんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る