第6話 珍しいね


「それじゃあ、ユーヤンの第1誕生を祝って、乾杯!!」



 10月6日の日曜日、その日の夜は学生時代の友人であるユーヤンこと古賀雄哉ゆうやの息子生誕を祝う飲み会がもよおされた。


 とはいってもユーヤン本人は当然ながら出席しておらず、同じグループメンバーの高島仁喜まさきと森駿介しゅんすけ、そして相羽一翔がそういう名目で集まっただけである。



「いやー、久々だなぁこうして集まるのは。シュンもカズトもユーヤンの結婚式以来だよな?」



 今回の飲み会の発起人ほっきにんであり乾杯の音頭おんどをとった高島仁喜、通称タカがすでにジョッキ半分のビールを飲み干してから感慨深かんがいぶかそうな声音を発した。

 それに対してシュンこと森駿介が、苦笑を浮かべながらうなずいた。



「まぁ、そもそも俺ら簡単に集まれる距離じゃないだろ」



「確かにな。良い機会をくれたユーヤンに感謝しねぇと。あ、あいつビデオ通話なら少しでも時間作ってくれるかな」



「いや、そういうのは事前にいとけって」



 一翔もまたジョッキを片手に突っ込みながら、上機嫌な雰囲気に馴染なじんでいった。



 都内の大学で同じクラスになり、入学オリエンテーションの際に偶々たまたま隣り合った4人のくさえんは、卒業後の進路が別々になっても続いていた。

 タカは静岡市で金融機関、シュンは名古屋市で大手メーカーに勤めており、どちらも都内の本社から地方へ配属しくは異動してきた身である。


 ゆえに一翔の住む浜松市が集合する丁度ちょうどよい中間地点となっており、一翔は遠路遥々はるばるきたる2人のために浜松駅周辺の居酒屋の予約を昨日の夕方に済ませていた。

 

 ユーヤンは横浜市の地元で公務員を務めており、数年前に同市内でもよおされた結婚式には、3人で最寄り駅に落ち合い出席していた。

 それ以来となる再会は、昔から口数の多いタカを中心に会話が弾んでいた。



 店内の隅に位置する4人掛けのテーブルにシュンが最奥さいおうに詰め、その正面にタカが、隣に一翔が座る格好となっていた。一翔の正面の座席は、タカのウェストポーチが掛けられているのみで開けていた。


 『天使』の姿は見当たらなかった。だが必ずどこかにひそんでいるはずだと、一翔は会話に加わりながらも警戒心をいだかずにはいられなかった。





「おはよう」



 その日の朝、一翔が布団ふとんから身を起こすと、昨夜と全く同じ位置に座り込んでいた『天使』が声を掛けてきた。

 


 まるで室内照明を落としたと同時に機能を停止したロボットであるかのように、彼女の姿勢は微動びどうだにしておらず、その挨拶あいさつは機械的に聞こえた。

 他方で昨日と違ってベランダ側のカーテンは陽光をたたえており、漏れ出た明るみで『天使』の金髪が神々しくきらめいているように見えた。



 朝から目に毒だと思った一翔は咄嗟とっさに視線をそむけ、挨拶あいさつを返すことなく洗面台に向かおうと立ち上がった。

 だがその背中に向かって、『天使』は変わらない調子で問いかけてきた。



「どう? 一晩経って、これからどうしたいか考えた?」



 一夜が明けても消えない幻覚を最早もはや幻覚として接することは難しく、得体の知れない存在から同じ問いを繰り返される日常は避けられそうになかった。

 それでも一翔には虚栄きょえいを張る気力もなく、意固地いこじにその問いをかわすことしか出来できなかった。



「別に何も。昨日の今日で何をしたいかなんて浮かばないから」



「じゃあ、今日は1日何するの?」



「今日は…夜に友達と飲み会がある」



「そうなんだ。珍しいね」



 あたかも母親と会話しているかのようなり取りに、一翔は朝から反吐へどが出そうな気分になった。


 だがその一方で、ただちに確認しておきたいことが1つ脳裏のうりに浮上していた。



「…もしかして、あんたも付いて来るってことなのか」



「付いて来るも何も、私はだからね。君が動けば私も動く。あ、勿論もちろん君以外の人間には原則認識されないけどね」



「原則…って、例外的に見える人もいるってことなのかよ」



「そうだね。君と同じように人間には、私のことが見えるかもしれないね」




 『天使』のり気ない答えは、一翔の心をほんの少し揺さぶった。詰まるところ、自分と同じように余命宣告を受けても回避した成功例があり得ることを言及したに等しかった。



「…随分ずいぶん曖昧あいまいな言い方だな」



「今まで実際に遭遇そうぐうしたことはないからね。人間を見守るも、互いに認識したり言葉を交わしたり出来できるわけじゃないから」




 その台詞せりふにはどことなく寂寥感せきりょうかんにじんでいるような気がして、一翔は思わず振り返りかけた。

 

 だが『天使』がどのような存在であろうと——たとえ自虐的に孤独を表現したとしても、情に流されまいという決心が揺るがないよう歯を食いしばっていた。



「だから、そういう経験者を探して宛にしようとする方針は推奨しないかな。やっぱりこれは、宣告を受けた人間自身の問題だからね」



 だが『天使』は一翔に芽生えた魂胆こんたんを見透かしたように付け加えたため、一翔は一瞬でも彼女に気を回そうとしてしまったことを悔やみ、無感情をよそおって言い返した。



「…とにかく、外にいる時は話しかけて来るなよ。周囲に見えない存在とひとりでに会話している変な奴だなんて思われたくないからな」





 そうして日中はまた特に何をするでもなく時間が過ぎ去り、夕方にはローカル鉄道に乗って浜松駅へとおもむいていた。その間、『天使』との会話はほとんど何もなかった。

 

 視界に映らない時間が長引けば、それだけ彼女の存在は頭の片隅へと追いられ、姿が消えているも同然であった。

 だが彼女は確かに自分の周囲に存在していて、外へ出れば誰かの目にまる可能性があると考えると、内心がざわめいて落ち着かなかった。


 見目麗みめうるわしい、つばさの生えた金髪の女性が歩いていれば、確実にの視線を奪うだろうと推察していた。

 また見方を変えれば、彼女を引き連れている自分が今まさに余命宣告を受けている最中さなかだとのぼりを立てているようなものでもあった。


 そのような不安を抱えながら、旧友との再会では酒の力も借りつつ機嫌を取りつくろっていた。



「だからその顧客対応がマジで大変でさぁ、後輩を育てながらってのが何つーか…後輩も顧客に見えて来るときがあってさぁ…」



「そんなに悩むもんか? 俺は逆に上司や年寄りに胡麻擦ごまするっていうのがいまだにわからんというか、駄目なんだよねー」



 だが一翔はタカとシュンの他愛のない会話を聞いている限りでは、少なくとも2人に対してそれが杞憂きゆうであると考え直していた。

 有名企業にすんなりと就職し、至極しごく真っ当にキャリアを積んでいる彼らが、神なる存在に無価値の烙印らくいんを押されるはずがなかった。


 むしろ彼らに引け目を感じている自分の方が、その烙印らくいんがお似合いであることを再認識させられていた。

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