第3話 伝書鳩の幻

 ローテーブルのふちを沿うように回り込みながら、心の内を見透かすような『天使』の口振りに、一翔は座椅子に胡坐あぐらをかきながらもたじろいでいた。

 透き通ったマリンブルーの瞳に吸い込まれそうで、彼女が退いた先にある暗い液晶画面に視線を戻すことが出来できなかった。


 この幻覚と幻聴をいくらでも等閑なおざりにすることはかたくないはずだったが、また不意を突かれるようにしつこくなじられる可能性を懸念けねんすると、意固地になるだけ徒労であるように思えた。



——仕方がない、適当にあしらって納得した振りでもしよう。そうすればもう、こいつは現れなくなるかもしれない。



 『天使』は自分に余命宣告をするために現れた——それを自分が信用していないから彼女は役割を完遂かんすい出来できていないのであり、その言葉を理解出来できようが出来できまいが了承した体裁ていさいをとれば、彼女も引っ込んでくれるのではないかと一翔は推測した。



わかったわかった。で、俺は何をすればいいわけ?」



 溜息混じりに右手を払い、わずらわしさを隠すことなく一翔は『天使』に問いかけた。

 彼女の言う30日という期限に対して回避する条件が付されている以上、彼女はその手段も含めた伝達役をになっているはずだと考えていた。



「ん?『価値のある人間』になればいいって言ったよね?」



 だが一方の『天使』は表情を変えることなく、端的に抽象的な言い回しを繰り返すのみであった。



「いや、だからその『価値のある人間』ってのが具体的に何なのかって話だよ」



「それは君が決めることだよ。君自身の何を、誰に対して認めてもらうかってことだと思うな」



「あんたは神様からの宣告を伝える役をになってんだろ? どうすれば見逃してもらえるのか、その合格ラインがあるはずなんじゃないのかよ」



「それは神様が決めることであって、私が何か君を審査するわけじゃないよ」




 さながらAIのような機械的な回答に、一翔は早くも会話が馬鹿馬鹿しく感じられてうんざりした。

 『天のつかい』と言うよりは伝書鳩と見なす方が相応ふさわしく、何を秘匿ひとくするわけでもなく、字面じづら以上の事柄を伝える余地がないのだと察した。


 他方でそこまで考えたとき、無視出来できない疑問が1つ浮上してきた。



「なぁ、神様って一体どの神様なんだよ。天使が出て来るってことは、キリスト教で言う神を指してるのか?」



 一翔の母方の祖父母はクリスチャンであり、幼い頃に訪ねた際は教会に連れられた経験が何度かあった。だからといってキリスト教のおしえに特段共感している部分もなく、一翔自身は無宗教だと捉えていた。


 それゆえに『天使』の語る神様とは何者なのか、何によって自分が裁かれようとしているのかいぶかしまずにはいられなかった。



「さぁ。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。神様の定義自体、時代や土地によって様々だし…」



「そういうことじゃなくてさ…あんたを俺に派遣した神様ってのはどういう奴なんだよ?」



 一翔は『天使』との噛み合わない応対をさえぎり、むずがゆさを覚えながら問い直した。それでも『天使』は小首をかしげながら、淡々とした口調で答えた。



「そんなことをかれても、実際に見たことも言葉を交わしたこともないからわからないよ。ただこの世の摂理として、私達と君達人間の関係が定められていることを先天的に知っているだけ」



「なんだよそれ。あんたは神様からのつかいって話じゃなかったのかよ」



「うーん、そういう見方も出来できるかもしれないけれど、私はから。君が母親の胎内にいた頃の記憶を持ち合わせていないように、私もそれ以前のことについて何もおぼえていないし、知り得ないの」




 その台詞せりふみなまで聞く前に、一翔は座椅子に沈み込むようにして本日何度目かの溜息をゆっくりとき、項垂うなだれてまぶたを閉じた。



——駄目だ、真面まともな話にならない。あきれて物も言えない。



 漠然とした存在が『天使』という不可思議な存在を経由して、自分に対して無価値な人間という烙印らくいんくだした——要約したところで荒唐無稽こうとうむけいなことに変わりはなく、適当にあしらうだけの厚みすら持ち得なかった。

 表面上でも宣告に従う素振そぶりを続ける方が、かえって息の詰まる生活になってしまうのではないかと危惧きぐした。



——やっぱり幻覚や幻聴のたぐいなんだろうな、この状況。少しでも関われば、蟻地獄のようにはまって抜け出せなくなる…そんな精神障害者の烙印らくいんを押されることの方が、よっぽど不愉快だ。




「どうしたの? 具合でも悪い?」



 柔らかくかぐわしい香りが鼻孔びこうに触れてまぶたを開くと、『天使』がまじまじと一翔の顔をのぞき込んでいた。


 長くつやめく金髪が垂れて胡坐あぐらうのがわかり、一翔は再び彼女の青い眼差まなざしに呑み込まれそうになった。

 だがすんでのところで視線をらし、不貞腐ふてくされるように外方そっぽを向いた。



「別に。あんたに気をつかわれる筋合いなんてねぇよ」



「どうして? それくらい誰だって普通のことでしょう?」



「あんたが普通を語るのかよ。神様から無価値の烙印らくいんを届けるためにつかわされた、人間の皮をかぶった存在のくせにか?」




 一翔が粗雑に言い放つと、『天使』は押し黙ったのか室内に沈黙が降り掛かった。



 その気不味きまずさを受けて、一翔は口が過ぎたことをほんのわずか後悔したが、この非現実的な邂逅かいこうを断ち切るためにはやむを得ないと姿勢を固持した。


 だが間もなくして、『天使』がそっとささやくように語り掛けてきた。



「さっきも言ったよね。君に余命を宣告したのは、あくまで例外の役割だって。本来は君を見守り続けることが、私の存在意義なの」



「だからそんなの知らないし、頼んでないし…俺がどうしたって、あんたには関係ないだろ」



「関係あるよ。君が死んだら、から。だから君には…少しでもわかって欲しいなって、そう思ったの」




 その言葉に一翔は自然と振り返っていたが、『天使』の姿は忽然こつぜんと消失していた。

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