10月 東京  「白河夜舟」

 南紀白浜の海辺では、浮舟白魚が浅瀬での入水撮影に臨んだらしい。

 撮影現場は和歌山県白浜町、事前に撮影許可を得て訪れたという海岸線だ。

 有名な白良浜ではなく、南の海岸で八月下旬に撮影したとも聞いていた。南紀白浜はロケの誘致に積極的で、観光協会のサイトでもロケ地と撮影映像がリンクつきで紹介されている。今回のミュージックビデオは追加されないだろう、と思いながらメールに添付された映像を観る。

 骨箱を抱えて歩く姿は、アマチュアモデルとは到底思えない。

 白い布張りの骨箱を、大事そうに両腕に抱え込んで砂浜を踏みしめていく。

 夜の海岸で、波を越えて沖へと向かう足取りは亡霊のようだ。街灯すらもない、暗い砂浜を歩いていく孤独な青年。汚れたデニムと、着古したTシャツ、毛羽立った上着を羽織っているのが暗闇でかろうじてわかる。やがてカメラが距離を詰め、青年の痩せて頬骨の目立つ横顔にピントを合わせていく。無精髭が、年齢と不釣り合いな苦労を経たのだろうと思わせた。

 薄暗いホテルの客室で、タブレットに映る静止画をぼんやりと眺める。

 まだ序盤なのに、映像を停止してしまう。氷見は、映像の脚本を知っているからだ。

 正面の壁には鏡と、据えつけのデスクがあり、鏡の真上の埋め込み型の間接照明だけを点けていた。部屋にあるのは、清潔そうなベッドと小型の冷蔵庫、ユニットバスとトイレ。泉岳寺駅近郊のビジネスホテルの禁煙客室は、必要最低限の機能だけを備えた部屋だった。

 鎌倉に帰省後、祖父の自宅から引き揚げて品川まで戻ってきた。

 JR横須賀線を降りて、翌日の東京での日程を考えてホテルへ直行したのだ。

 旅程は、二泊三日で、初日を帰省と鎌倉での視察や見学に割いていた。毎年、盆には帰省せず、十月に時期外れの帰省をしている。鎌倉では、公立の中学と高校に通ったため友人もいた。祖父母にも、そして友人にも、個展の開催や直近で受けた衣装制作の仕事を労われた。最近の仕事ぶりについて、氷見の趣味や進路を尊重してくれた周囲が喜んでくれるのは素直に嬉しい。

 実家や、両親とは疎遠でも構わない。氷見には、別の居場所がきちんとある。

 それなのに、MVを観始めた途端、猛烈な不愉快さが込みあげてきた。

 脚本のせいでも、陰鬱な海辺を撮った映像のせいでもない。脚本の内容は理解しているし、あらすじに対して反駁したいわけでもなかった。ただ、最後の場面で、浮舟がどうなるか想像すると手が動いていた。再度、浮舟から転送してもらったメールを開き直す。

 件名には、「添付資料、試聴用動画」と書いてある。

 この新曲の着想は、森鴎外の「高瀬舟」から得たものだという。

 題名は「白河夜舟」。高瀬舟とは、かけ離れた四字熟語を名づけていた。

 個展の開催前日、浮舟に頼まれた衣装の制作依頼を無理に受けた。撮影が来月ならば、近日中に先方と打ち合わせをすれば間に合うと主張したのだ。仕事の早い浮舟が、即座に連絡をして衣装担当者のバッティングを避けてくれた。今さらながら、無茶をしたものだと自嘲する。

 他の誰かに、浮舟の衣装制作を譲りたくはなかった。

 公私混同だったのだ、とは自分でも理解している事実だった。

 アマチュアの、リメイク作家の「氷見淸之介」は、私情で浮舟白魚にかかわる仕事を引き受けた。京都市内の画廊で、尾﨑琳汰瑯に合った時には内心で決断していた。浮舟が、手の届かない場所に逃げていく感覚に陥った。自分の及ばない場所に去っていくように感じたのだ。

 年下の男は、掴みどころのない魚のような性格をしていた。

 だが、氷見の判断の理由は、けして飄然とした浮舟白魚の態度にはない。

 あの日、尾﨑琳汰瑯と会い、映像制作に携わる浮舟の報告を聞いて抱いた焦燥感。その感情こそ、氷見の鬱屈したコンプレックスなのだろう。敬遠とも、倦厭とも異質な、幼稚でままならない疎外感のようなもの。疎遠となった両親がどちらも芸術関係者であることへの嫌悪。

 横長の鏡には、夜目に慣れた氷見の顔がはっきりと映っている。

 陰険そうな、偏屈で猜疑的な目つきのあからさまな男の顔だ。洗った髪も乾かさず、肩に掛けたフェイスタオルで色を抜いた毛先から落ちる水滴を吸わせたままでいる。俗に塩顔、と言われるような薄味の顔の造形。二重の幅が広く、垂れ目がちな両目が面長の顔に収まっている。

 睫毛の隙間、鏡を睨んだ瞳の底には泥のような憎悪が覗く。

 浮舟とは、似ても似つかない表情だ。醜悪で、稚拙な感情の発露でしかない。

 迷った挙句に、タブレットに視線を戻して画面をタップする。静止画が動き出し、くたびれた衣装を着た浮舟が浅瀬に迷い出ていく。覚束ない足元に、白い波で編まれた網が縺れながら絡みつく。破れた投網は、波打ち際で小波となって躍ると銀色の魚群に化けていく。

 まるで大漁の鰯の群れだ。陸に水揚げされ、必死に跳ね回る鰯の抵抗。

「浮舟君、……うきふねくん、」

 その、残酷な絵面に、浮舟の名前を呼んでしまう。

 漣に似た音楽が鳴っている。気鋭のバンドの、電子音とノイズの混じった演奏。

 浮舟の踵を追って、白銀にかがやく鰯の群れが躍り跳ねる。そこかしこで、身を悶えて捩る魚の姿をした飛沫。羽搏く銀色の小魚は、投網みたいに海面を泳ぐ波に攫われていく。浮舟が歩を進めるほど、大量の鰯の屍が続いていく後ろ背は残酷な葬列のようだ。

 死出の旅路、徒歩で海路を行く青年への供物。

 氷見は、映像の最後を知っている。この青年は、沖合で溺れて死ぬのだ。

 先月、氷見淸之介に託された衣装は和布を使った寝間着だった。単なる寝間着ではなく、病院着を連想させるデザインのものだ。浮舟は双子役で、衣装違いのふたりの青年を演じ分けなければならない。病弱な弟の衣装が、氷見の引き受けた白装束のような寝間着だった。

 場面が切り替わり、板張りの舞台セットに敷かれた布団が映った。

 敷布団には、氷見が仕上げた衣装を着た浮舟が横たわっている。明らかに痩せた顔、静脈が透けるほどに生白い腕。掛布団が、呼吸に合わせてかすかに動く。京都の画廊で会った時から、体重を落とし続けた成果が羸弱する青年だ。

 実の兄を思い、看護と労働に従事する役目を終わらせようとする弟。

 兄は、弟の自殺を幇助する。そして、就寝していて気づかなかったと見做される。

 本当は、弟には意識があって、救急車を呼ぶこともできたのだ。だが、兄は熟睡していたから救えなかったとの結論がついたのだろう。脚本に、検視の場面まではさすがに描かれていなかった。結局、弟の死は自殺と判断され、罪の意識に押し潰された兄も後を追う。

 誰もいない海で、秘密を抱えたまま沖合へと消えていくのだ。

 白河夜舟とは、熟睡することを指す。ほどの眠りを。

 事前の打ち合わせで、舞台セットを用いた場面は心象風景であると聞いていた。

 正方形の舞台が、浮舟の演じる「兄」の胸のうちを反映している。敷布団に寝る青年は、「高瀬舟」の登場人物である「喜助」の弟を意識したものだろう。森鴎外の小説では、弟殺しの罪人として、自殺に失敗した弟にとどめを刺した喜助が島流しとなる。 

 喜助と異なり、映像では兄が罪悪感を引き摺って命を絶つ。

 脚本通りに、映像が編集され、場面ごとにカットを切り替えて継いでいく。

 転換した先は、他界した両親の遺影と位牌に合掌する兄弟の後ろ姿。さらに、治療費の工面のため、複数の職場で兄が昼夜を問わずバイトに励む場面へと続く。海岸での映像とは違い、回想シーンのカットは、古いアルバムの写真のように黄ばんで見える。

 不安定に、不規則に、音階をさまよう電子音の旋律。

 時折、録音された潮騒が紛れては消えていく。不思議な均衡を保ちながら、演奏は言葉のない物語を画面の向こう側に響かせる。不協和音や、並進行、変拍子が交錯する曲には、自然音を加工したような雑音も混淆されている。聴くごとに、デモ音源が洗練されたのだとわかる。

 記憶と感情が、まるで鰯の屍みたいに浚われて打ち上げられた。

 最初に聴いたよりも切ない音源。何か、胸の内を漂白していくような。

 父親は日本画家、母親は音楽家で、家庭内不和と過度な習い事を含む教育虐待に苦しんだ。中学二年生の頃、弁護士だった父方の祖父のもとに逃げ出した。高校受験を控え、いろいろなことが限界だったのだ。祖父は、孫を追い返さず、養子縁組を結んで未成年だった氷見の面倒を見てくれた。離婚した両親も、養育費だけは払い続けていたとも聞いていた。

 それでも、帳消しになることではなかったのだろう。

 歪で、幼稚な、屈折した劣等感を心のなかに飼っていたのだ。

 それは、弟のために生きた、「兄」のやるせなさにもよく似ていた。

 実の両親にとって、理想の子でいるために努力を強いられ、実父や従兄に睨まれないために鎌倉を離れた。今さら相続問題で揉めるのはごめんだったのだ。氷見が心から望んだことなど、子どもの頃からなかった。洋裁教室も、手に職をつけるための手段として選んだだけだ。

 着物のリメイクは、ほかにできることが思い浮かばなかったから始めた。

 両親の子として、あんな窮屈な家に生まれたくはなかった。

 だが、生まれた時から、両親から逃げ出したかったわけじゃない。傲慢な母親、身勝手な教育と父親の風俗通いに面前での暴言。家出をしなければ、人間としての尊厳を破壊されるような両親。そんな親で、家庭だったから、捨てなくてはならなかっただけなのだ。

 氷見だって、親を捨てるみじめな思いはせずに済んだだろう。

 何度、そう思ったかわからない。父親にも、従兄にだって腹が立った。

 映像は、追憶と重なるように布団のなかで葛藤を飼い殺す兄を撮る。疲労の濃い、頬骨の目立ち始めた顔をした浮舟。薄暗い部屋で、夜勤明けの浮舟が疲労で眠れない瞼を瞑る。眉間に皺が寄るほど、きつく現実を拒むように目を閉じている。

 伸びた前髪が、睫毛の際に入り込んで痛そうに指で除ける。

 場面が切り替わり、六畳間の片隅から定点撮影した構図に変わる。

 公営団地のセットは、ベッドと座卓と押入れに服を吊った和室。照明を切った室内で、座卓に置かれた皺だらけの紙袋が映る。病院で処方されたらしい白い紙袋。放置された、水が入ったままのコップもある。隣のカゴには、別の紙袋と処方箋が折り畳まれている。

 場面は、弟の主観となり、兄弟にとっての運命の日が訪れた。

 Aメロらしい、主旋律の反復。電子音と、儚いピアノの踏み外しそうな音階。

 浮舟演じる弟が、安物の手紙セットに粗品のボールペンを走らせる。枕に封筒を隠し、麦茶のポットに薬の粉末を注ぐ。静かな部屋が、次第に暗くなっていく照明の演出。目を開けたまま、帰宅した兄が就寝するのを待つ場面へと繋がる。横に敷いた布団に兄が眠ると、ベッドから起き出した弟はついに暗い風呂場に消えていく。

 床の、タイルに落ちる剃刀。

 浴槽に蹲り、貯めた残り湯のなかに浸かる人影。

 両膝を折り畳み、拗ねた子供のような姿勢で蹲る浮舟は痛ましい。

 どれも間接的な描写だった。照度が低く、不鮮明な影絵のような暗示に終始する。

 兄は、やがて深夜に起き、トイレに立ったところで弟の不在に気がつく。暗いままの部屋、台所を見回り風呂場の引き戸を勢いよく開けるカット。画角のせいか、衝動に駆られ、狭い風呂場に飛び込む男の焦燥感が鮮烈だ。だが、肝心の浴槽ははっきりとは映されない。

 恐慌をきたした兄は、闇のなかで浴槽を見て崩れ落ちる。

 風呂場の扉から、脱衣所の照明が差し込んで崩れ落ちた男を映す。

 膝を突き、タイルの床に座り込む。浴槽から、無傷のままの右腕が垂れている。

 その指先を、細い指が動くのをカメラが接写で撮る。だが、浮舟は、浮舟演じる兄は、震える指先を握ろうとはしなかった。ぴく、ぴく、と痙攣する白魚のような指。震える指先が、脱衣所の照明でかすかに白く見えている。今際の、今まさに死んでいく魚を思わせる指だ。

 躊躇いがちに、指に触れようとして自分の手を握り込む。

 映像は、寡黙に手元だけを映し続ける。なにも明言しようとはしないのだ。

 音源がついに、最後のサビ直前の間奏へと切り替わる。電子音の旋律が消え、裏で鳴っていた潮騒が前面に押し出されてくる。荒んだ潮騒、波の強い汀で連続する波涛と漣。再び平進行、反復する変拍子の電子音。自然音が、過剰に加工されて変化した耳障りな悲鳴と化す。

 高音域で流浪する、今にも途絶えそうなピアノの伴奏。

 逼迫した、兄の心境が、潮騒の強弱で心音のように表現されていた。

 間奏の直後、舞台を組んだ心象風景に映像が戻る。弟に扮した浮舟は、潰れた布団の間から腕を差し出している。布団の端、すこしだけはみ出した寝間着の筒袖。病院着と白装束を連想させる白地の寝間着。染色前の生地を活かし、病院着を模倣するように仕立てたものだった。

 舞台が、四方からスポットライトに照らされる。

 薄暗い空間は、僅かに海面から光の差し込んだ水中を思わせた。

 枕元に膝を突く兄が、板の上に投げ出された腕を取る。持ち上げられた腕から、すり抜けるように寝間着の袖が床へと落ちていく。落ちた布地を、その動線を、上に向かって辿るようにカメラが動く。祈る両手、懺悔に俯く兄の顔を遮る前髪。額に互いの掌を押し当て、骨張った指先を絡め合いながら握り込んだ。舞台セットが暗くなり、スポットライトを残して闇に沈む。

 漣の、潮騒の音だけが残される。水を掻き分けるような音が混じる。

 その光すら、次第に弱くなり、頭上から差し込むことをやめた瞬間に音も消える。間奏が途絶え、無音になると同時に暗転する画面。黒の濃度は希釈され、場面の転換を終えると、波に揺れる暗闇には、波間を掻き分ける男の姿が浮かびあがる。

 男は、浮舟は、死した鰯の群れとともに歩き続けていたのだ。

 浮舟は肩まで水に浸かり、やがて首や顎すらもが激しい波に襲われる。

 白い波は、海面に覗く顔を投網のように覆う。浮舟の顔が、瞼や鼻筋が網に覆われては水中に没する。最早、足裏は砂を掴むこともないのだろう。頭髪を濡らす飛沫は、躍る小魚みたいに網目を逃れて跳ね回る。何故、と溺れる浮舟白魚を見ながら呻くように思った。

 音源は、氷見の古傷を潮に晒しているようなものだった。

 どうして、自分が、こんな目に遭わなくてはならないのだろう。

 脳裏には、過去の記憶が蘇り、鰯の屍の腐臭を放ちながら流れていく。

 六月の梅雨で、土砂降りの雨が降っていた。荷物を背負い、JR鎌倉駅のホームに降り立った時の心細さ。豪雨の中、改札を抜ける人間を見て、雑踏を掻き分けながら歩き続ける諦念。誰も氷見を助けはしない、と思い知らされるような雨傘の群れと雨音を思い出す。

 憎悪の漂白とは、傷を海水で洗濯することと同じだ。

 傷口から、感情が染み出して漂泊する。潮が沁み込んで、ひたすらに痛い。

 旋律の裏で鳴る潮騒を、苛烈な雨脚の殴打するような音と混同しそうになる。荒波に攫われるまま、骨箱を抱いた浮舟は藻掻くこともなく溺れる。顔を覆う、投網のような波に抵抗することさえない。画面のなかで、波涛に飲まれてあっけなく暗んだ海中に沈み込んだ。

 そして再び、数秒の回想のカットが挟まれる。

 六畳の部屋で、手紙を読む兄の姿。兄は、静かに手紙を読んで泣いている。

 最後のサビの直前、カメラの視点は海中へと切り替えられた。溺れた人間が、海面を見仰ぐような構図だった。深夜の海は、仰ぎ見たところで暗いままだ。光源も希望もどこにもありはしない。ただ、孤舟のように、ゆらゆらと波に杜撰に泳がされる白い人影。

 水面には、寝間着を着た浮舟が浮いている。

 白地の布が、演出の加減か、冷たい闇のなかで発光する。

 蜉蝣の、薄翅よりも薄白い布地。褄から、ほどけた紐は、くらげの腕のように細い。

 この場面は、専用のスタジオを貸し切りレンタルした機材で撮影したらしい。洗濯も可能、浴衣の素材でもある、綿縮を衣装に使ったのは水中撮影のためだった。病院着の袖を広げ、浴衣や白装束をかたどった服。足首まで届く、甚兵衛のような着物の腰を結んだ紐がゆらめく。

 もう、腰紐は、上前の端からほどけた紐は結び直せない。

 音源は、後演のピアノの旋律だけを残す。まるで、切れた命綱のようだ、と思いながら曲が終わるのを聞いていた。紐は、海水を掴むこともできずに揺れている。白い紐が、くらげの腕がほっそりと闇に消えていく。些細な旋律も、紐の動きをなぞるように音量を下げて途絶えた。

 静止画の画面を、氷見は呆然としながら眺めていた。

 直視したくもない、腐りかけた感情が浮舟とともに死んだのだ。

 完璧なシンクロニシティの再現。浮舟と、氷見の衣装は作品そのものだった。

 本当は、祖父母が贔屓するからと敬遠された従兄も疎ましかった。諦念と嫌悪、疎外感の入り混じった醜い感情。その呪いが、弟に人生を捧げ、弟を犠牲にした罪悪感に溺れた兄とともに死んだのだ。画面から顔を上げ、鏡を見れば頬を滴り落ちる涙に気がついた。

 涙の粒は、飾り物の淡水養殖の真珠みたいに歪だ。

 浮舟を見るたびに泣いている。鎌倉に家出をした時は、泣けていたのだろうか。

 禁煙の客室に、左手首からはずした腕時計の秒針の音が響く。音量を、試聴用動画を開くときに調整したことも忘れていた。せめて、動画を受領した旨の返信だけでもするべきだ。頭では理解しているのに、暗んだ画面に指を触れるのが嫌でしかたがない。

 浮舟は、どんな気持ちでこの役を演じ、自分自身を殺したというのだろう。

 人の気持ちなんて読めやしない、と思いながら氷見清之介は泣く。人好きのする青年を、死の淵に追いやったような気がした。自分の選択を過ちだと認める恐れと後悔。今はただ、年下の好青年の稚いくらいの笑顔が懐かしかった。「浮舟君、ごめんなさい」

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