8月 京都  「白魚釣鯨」

 氷見淸之介は、浮舟白魚と三階建ての画廊に居た。

 京都府京都市南区、住宅街を東西に抜ける小路に面した古いビルだ。

 最近、JR京都駅の南側では、新しいホテルを含めた再開発が進んでいるらしい。

 以前から指摘されていた宿不足の解消のため、観光客向けのビジネスホテルやゲストハウスがいくつも開業したのだ。長閑な住宅街の合間には小綺麗なホテルが立ち並ぶ。東寺の市に通う氷見は、今回も八条東口から徒歩で数分に立地する比較的安価なホテルを押さえた。

 大阪暮らしの浮舟は、身軽なもので宿も取っていないと言う。

 そんな浮舟白魚こそが、今回の画廊での個展の立役者だというのにだ。

 転機を迎えたのは、金澤町家で撮影した写真がSNSで見事なまでのバズりを見せたことにある。6月の初旬、浮舟がモデルを務めた写真を、撮影した写真家がアカウントに投稿したところ万単位で拡散されたのだ。写真自体は、氷見の個人サイトにも掲載していたが、載せる媒体が変わるだけで反響も桁違いになるものらしい。

 浮舟に頼まなければ、京都の画廊での展示を打診されることもなかった。

 白漆喰の壁に、金具を取りつけて飾られた氷見の作品。大正、昭和の着物をリメイクした洋服が、狭い画廊の各フロアに展示されていた。フロアごとに、女性サイズ、男性サイズの差異はあるものの、デザインはユニセックスなものが多い。画廊はシンプルでモダンな内装で、京都市内の家具屋や建具屋と、北欧ブランドの照明が不思議と調和した空間を作り出している。

 外装は灰色のタイル張り、商店だったらしいビルを改装した画廊。

 そこに、白物で揃えた格好の浮舟が立つと、まるで展示品のようにも思える。

 今日の浮舟の服装は、Ⅴネックのトップスに生成の開襟シャツと麻混のスラックス。黒い幅太の革ベルトとスリッポンを組み合わせたシンプルなものだ。薄手のニットは、裾を仕舞っているせいで腰の位置が高く見える。スタイルアップする必要もない体形のくせに抜け目がない。

 墨のような黒髪と眉、頬骨がより目立つのは心労で痩せたせいだろうか。

 当の浮舟は、生白い顔でラックの衣装の袖をつまんでいる。

「お手伝いくださってありがとうございます」

「いえ、取材のついでです。大変やったと思いますけど、お疲れさまでした」

 展覧会を開くとの報告に、浮舟は開催前に取材に行くと連絡してきた。前日の搬入日を伝えると、混雑を避けるために準備中を取材する、との旨の返信があったのだ。確かに、今の状況で浮舟が個展に現れるとなると、騒ぎになることも考慮しなくてはならない。

 なにせ、浮舟は有名ななのだ。

 特に注目されたのが、氷見の選んだ美人図めいた構図の写真だった。

 曰く、「令和の見返り美人」。検索された単語は、「浮舟白魚」と「氷見淸之介」。

 投稿翌日には、浮舟の名前と、インスタグラムのアカウントが特定された。浮舟自身も、撮影写真をまとめて投稿していたせいだろう。浮舟の投稿を覗くと、大量のコメントが寄せられていた。もちろん、氷見のアカウントも発見され、個人依頼、通販希望の問い合わせがDMで殺到。

 写真家も驚いたらしく、浮舟と氷見の双方に謝罪とともに報告の連絡がきた。

 数日間は、事態の推移を見守りながらの対応に追われた。

 個人サイトにも、従来の倍を超えるアクセスがあり気を揉んだものだ。

 個別の返信には時間がかかることをサイトトップに明記、さらにSNSでも新規の受注を停止する旨を投稿。それでも、無名だった「氷見淸之介」の名前が写真のおかげで独り歩きして随分な騒ぎになった。今までは、ただのアマチュア作家だった人間のはずだ。

 こんなにも、自らの活動が注目されるとは思わなかった。

「今回の取材記事も、投稿サイトに掲載するんですか」

「いや、ほんまは、少し迷ってるんですよね。自分がモデルやったからって、紹介記事を書くのは露骨過ぎるかなと思って。理想はどちらかといえば、前回みたいに撮影日程をまとめて日記にするような感じがええんですけど。自然な感じで、氷見さんの作品についても触れておければ」

「投稿記事は、さすがに、有料のマガジンとかではないですよね」

 氷見は、搬入を終えた作品を眺めながら問いかける。

 襟足を短く刈り、分け目を変えた浮舟は黒髪を染め直していた。

 まさか、と浮舟が瞬きをして愉快そうに笑う。

 二カ月の間を置けば、さすがに注目度もさがるとはいえ懸念はあった。まして、氷見の展覧会の取材記事を、「見返り美人」と持て囃されるモデルの浮舟が執筆するのだ。再び投稿が脚光を浴びて、浮舟のアカウントにリプライが集中するのだと思うと気が滅入る。最近では、「浮舟白魚」の関連情報として、本職であるプロモデルの名前が紐づけられているくらいだ。

 こうなると、氷見が些細なことに頭を悩ませるのも仕方のないことだろう。

 結局、金沢の知人に説得されて展覧会の誘いに応じた。

 渋る氷見を、こんな機会はないとホテル経営者の女性が丸め込んだ。撮影を担当した写真家もアカウントを通じてかなり名前が売れたそうだ。浮舟については、言わずもがなで多方面から仕事の依頼が届いたと聞いている。親しいわけではないから詳細は知らないままだ。

 今でも浮舟は投稿サイトにブログを載せている。

 投稿記事の多くが、取材記事や撮影過程をおさめた記録や日記ばかりだ。

 確認したところ、有料記事など価格に応じた公開範囲の設定ができるらしかった。ただし、転送してもらったリンクから、浮舟のアカウントの記事を閲覧したが有料記事はなかった。読者や支援者を対象としたコミュニティなどの設定すらもない。

 無料記事でも、私生活を開陳するような内容は避けていた。

「有料記事とかは、運営のほうからガイドラインもあるんですよ。投げ銭とか、寄付を募ったりするのは違反になりますしね。僕の場合、有料記事にするようなノウハウや経験もありませんから。無料公開の記事は、個人ブログのかわりやポートフォリオとして投稿してます」

 肩を竦めると、浮舟がトルソに飾られた衣装にスマホを向ける。

 手慣れた様子で、角度を変えながら数枚の画像に撮り収めていく。個人でブログやサイトを管理するよりも安上がりで便利なのだろう。記事を読んでもらえば、記事の傾向やライティングスキルもおのずと読者に伝わる。無料記事ばかりだったアカウントに対する疑問を消化した。

 浮舟の話を信じるなら、記事になるかもわからない取材なのだ。

 取材どころか、事前の搬入の手伝いまでしてくれていた。

「やっぱり、氷見さんの個展ですし。自分も撮影に携わらせていただきましたから。記事がどうとかやなくて、お会いしておきたいなと思ったんです。もしも氷見さんが、僕以外のひとをモデルに選んではったら、こんな幸運には恵まれへんかったわけでしょう?」

「今の状況を、幸運だと、思ってくれているんですか」

 浮舟は、年上の氷見よりも、ずっとよくできた人間なのだろう。

 そうでなければ、なにも善意で投稿予定のない記事の取材や搬入準備を手伝うわけがない。先程、準備を終えた時点で、浮舟には礼を言ったがあらためて頭をさげたくなる。ありがとう、とお辞儀をすると浮舟は柔らかく目元を緩めたまま笑った。

 横に首を振り、睫毛の長い整った顔の前で掌をひらりと翳す。

「こっちのセリフですよ。ありがたいと思ってます」

「本当に? 今回の、いきなり売れて、大変だったんじゃない?」

 人前では言えない、素直というには身勝手な質問が口を衝いてしまう。

 写真家や経営者はどうあれ、氷見清之介にとってはなかなか大変な時期だった。

 作家として、願ってもない機会だと頭では理解していてもだ。だから、本職は文筆業である浮舟の仕事が、モデルの依頼に偏ることを望ましいとは断言できない。そもそも、臨時の執筆依頼や校正の仕事が本業のはずだ。被写体モデルの仕事はあくまでも副業なのだろう。

 浮舟の言葉は嬉しい。けれど、心のどこかで歯噛みしたくなる雑念も湧く。

「なんや、氷見さん、結構過保護なところがあるんですね。ほんまに、今のところは困ってません。仕事は選ぶタチやし、無理やと思うもんは断りますから。ただ、興味があって、自分にできることは受けてもええかなと思てます。実はこの間、モデル以外の仕事を受けたんです」

 まだ、撮影前ですけど、と浮舟がやや声量を落とした。

 潜めた声に、部外秘の内容であることを察する。撮影前、との表現から、モデルではないにしろ写真か映像などの関係だろうと推測をつける。今度はどんな仕事を引き受けたというのか。真面目な浮舟のことだ、先方の許可なしにぺらぺらと詳細は語らないだろう。

 とはいえ、含みのある口ぶりに興味を惹かれるのは否めない。

 素性不明で、年齢も出身も非公開。

 職歴、経歴だけは、過去の雑誌から詮索されたようだ。

 なにせ、「浮舟白魚」の名前は、若い世代を中心に浸透し始めている。

 投稿サイトやSNSにも、故事成語じみた名前と簡潔な職業しか記載していない。たまに投稿される記事は、撮影過程や依頼先のブランドについて。撮影についても、名前のクレジットのみ留めている。日記は簡単な内容で、読書の感想や俳句が認められている程度だった。

 この情報量で、の人物像を知るのは難しいにちがいない。

「今度、京都の若手バンドの、ミュージックビデオに出演するんです。関西で活動中のインディーズバンドなんですが、市内の芸大生が新曲の映像制作の企画と撮影を担当するらしくて。偶然、金沢で撮影した写真が目に留まって、出演してくれへんかて頼まれたんですよ」

 芸大の関係者が、編集部員時代に知り合った人間だったらしい。

 それ、俺が聞いてもいいの、と氷見が訝しげに問えば、「ああ、心配ありませんよ。打ち合わせの段階で、氷見さんの名前も挙がってたんです」とのあっけらかんとした答えが続く。意外すぎる話の展開に、半端に開いた口から気の抜けた声が漏れた。

「衣装担当を探しているらしくて。氷見さん、洋裁のプロやないですか」

「いや、でもリメイク以外は……というか、衣装って、イチから作るわけでしょう」

 無理ですよね、と浮舟はあっさりと引き下がる。

 どうやら候補は複数いるか、他の候補のほうが優先順位は高いようだった。

 氷見の名前も、というのが巧妙な言い回しだ。話を掘り下げると、先方から氷見に話を通してみてほしいと頼まれたらしい。ただ、個展の時期を考えて、難しいだろうとあらかじめ断りを入れておいたとも言う。 だとすれば、氷見に詳細を明かし過ぎなのではないかとも思う。

 結局のところ、単なる確認作業にすぎなかったのかもしれない。

 黙ったままでいると、浮舟が撮影に使っていたスマホの画面を見た。右手で大型のスマホを支え、何度か親指の腹でタップしながら通知を消化している。指をスライドして、画面のロックを解除してから、薄い瞼を見開いてぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 沈黙の後、電話してもいいですかと尋ねてきた。

 氷見は頷いて、浮舟に通話するよう目顔で催促してみせる。

 すみません、と手首が持ち上げられる。骨の突起の目立つ細くて白い手首。

 思わず、指の輪がすり抜けそうな手首を観察する。まじまじと眺めるほど、華奢な骨格に磨きがかかったような錯覚に悩む。夏バテか、そうでなければ過労か、もしくは過剰な詮索や問い合わせのストレスだろう。通話する横顔も、頬から顎にかけての陰翳が濃くなっている。

 鋭い顎の輪郭は、肌の白さのせいで脆く見えるほどだった。

「あ、オザキさんですか。すみません、すぐに通知に気がつかなくて。今、京都のどちらにいらっしゃるんですか、え、京都駅……いや、住所は画廊のサイトにありますけど。個展は明日からで、事前搬入が終わったところで、はい、はい、……ひとまず氷見さんに確認しますので」

 オザキさんが、と浮舟は眉を寄せながら呟いた。

 スマホを顔から離して、通話設定を切り替えると氷見のほうに向き直る。

 誰を指すのか、さすがに口頭ですぐに理解するのは難しい。氷見の反応に、浮舟が名前を言い直してから説明をつけ足した。「オザキ」こと、友人の「尾﨑琳汰瑯」が、京都駅付近にいるから画廊に寄りたいと言っている。その名前は、SNSなどで何度も見かけたことがあった。

 浮舟白魚の関連アカウント。プロのモデルで、パリコレにも出演実績がある。

「尾﨑琳汰瑯? え、本当に、彼が来るの?」

「今、撮影終わりで、京都駅の近くらしいんですが。京都で仕事があるとは聞いていて、氷見さんの個展も気になるとも仰っていたんです。ただ、多忙な方やし、今回の個展に来るのは難しいかとお伝えしていませんでした。自分の確認不足です、事前に話を伺っておくべきでした」

 浮舟の謝罪に、「いや」とスマホから否定の声が聞こえてくる。

 渋い声は、喩えるならエスプレッソのような響きだった。

「ご多忙のところ、まことに恐れ入ります。突然、連絡を差し上げて、大変申し訳ありません。浮舟君の友人で、モデルの尾﨑琳汰瑯と申します。氷見さんの作品については、浮舟君に話を伺っておりまして。差し支えなければ、今から画廊にお邪魔しても構いませんか?」

 謙虚に切り出された挨拶は、朴訥で実直な部類に入るだろうなと思えた。華やかな経歴とは裏腹に、居丈高な雰囲気はまるでなかった。言葉は慇懃にも思えるが、絶妙な間の取りかたに寡黙な純朴さや真摯さがにじみ出ている。そのまま台詞を鵜呑みにしたくなるような響きだ。

 短い時間で結構ですので、と尾﨑琳汰瑯は手短に説明を切り上げる。

 氷見は、面識のない尾﨑の挨拶に好印象を持っていた。鼻持ちならないような陰険さは感じないし、業界の人間特有の謙遜を装った侮蔑や皮肉だって含まれていない。そもそも浮舟の友人なのだ。警戒する必要はないと思った後、浮舟のことを信用していることに気がついた。

「いえ、大丈夫です。こちらこそ恐れ入ります」

「それはよかったです。お許しくださってありがとうございます」

 実はもう、画廊のすぐ近所にいるんですが、とは予想外の返答だった。

 スマホ越しの音声に、浮舟と揃って玄関のほうへと足早に移動する。まさか通話しながら歩いていたのか、と内心で焦ったけれど勝手な思い込みだったようだ。ふたりとも画廊の一階におり、すぐに玄関扉の型板ガラスに透ける人影に気がついた。

 軒先に立ち、雨宿りのように足を止めている。

 あ、と浮舟が声を漏らすのが聞こえた。「多分、尾﨑さんやと思います」

 通話が切られ、画面が暗転すると同時に玄関扉が開く。

 丸眼鏡風の、黒っぽいサングラスをかけた変装めいた私服姿だ。

 恐らく、背丈は浮舟よりも高く、モデルとして理想的な体格に視線が吸い寄せられる。薄手のレースシャツ、鎖骨が覗くほど首元の開いたTシャツと麻素材の黒染めのワイドパンツ。Tシャツ以外は、黒か黒に近い色味で、スクエアトゥのフラットな革靴だけはパイソン柄だった。

 木製の持手が美しい、黒地に白縁のクラシックな日傘を携えている。

「尾﨑琳汰瑯と申します。本日は、突然押しかけてしまい申し訳ありません」

「初めまして、氷見淸之介と申します。お越しいただき光栄です」

 氷見は、総髪めいたオールバックの頭を見仰ぎながら言う。

 肩へと続く首は、驚くほどに長く、くっきりと影が浮く鎖骨などは彫像のようだった。関節の目立つ指が、面長の顔からサングラスを除ける。顔の造形こそ、浮舟と似通っているが、切れ長の瞳、顎や鼻筋などはより怜悧さの勝る造りに見える。

 こうして比較すると、浮舟はすこし手弱女めいた翳がある。

「尾﨑さん、お久しぶりです。先程は本当にすみませんでした」

「いや、ほんまに構わへんよ。こっちこそ、迷惑かけてごめんな。無理言ったんは、俺のほうやし、こっちも撮影が早く終わるとは思てへんかったから。今日の雑誌の撮影、京都旅行の設定で、学生の頃に浮舟君が随伴してくれた取材のこと、思い出して懐かしなったわ」

 謝る浮舟に、尾﨑が先輩のような口調で緊張をほぐそうとする。

 氷見が話を飲み込む前に、尾﨑のほうから浮舟とのなれそめを説明された。

 数年前、編集部のバイトだった浮舟が、雑誌の撮影にスタッフとして随伴したらしい。日帰り京都旅行、という設定の特集号で、まだ売れる前だった尾﨑が学生役の設定でモデルを務めたのだという解説を聞く。同年代ということもあり、親しくなったとも補足が続いた。

 あの頃は、純朴な文学青年やったのにと尾﨑が笑いながら呟く。

 曰く、当時の浮舟は、あまり洒落っ気のない生真面目な学生だったという。

 それこそ、受験勉強に勤しんだ優等生といった雰囲気だったらしい。出版社なら文芸編集部にいそうな地味な服装の青年を想像してみる。まだ大学に入学したばかりで、服装にかけらの興味のなかった浮舟も、所属する雑誌編集部の影響なのか垢抜けていったそうだ。

 尾﨑の話に、浮舟が恥ずかしげに頭を振る。「憧れてた先輩の影響ですね、それは」

 氷見が頷く間もなく、へえと尾﨑が慣れた間合いで質問を返す。大学の、それとも編集部の、初耳やなとの矢継ぎ早な言葉の羅列に眉が寄る。そもそも、無遠慮で気安い関係なのだろう。氷見と浮舟は、仕事の関係だが、尾﨑と浮舟はあくまでもプライベートな友人だ。

 別に、深入りしたいわけじゃない。だが、場違いな疎外感のようなものは覚える。

「僕の話はええんですよ。氷見さんの作品、ご興味あったんでしょう」

「そう、氷見さんのお衣装で撮影した、あの写真を拝見して驚きました。あの和布の、素材や質感がとてもよく似合っていて。特に、あの白いガウンの裾が、振り返った瞬間に翻ってるでしょう。その風の抜け方と、衣装の色合いが白魚君らしくて素晴らしかったです」

 実物が拝見したくて、という言葉は嘘ではないらしい。礼儀正しく、気立てのよさそうな尾﨑は、浮舟と並ぶとまるで従兄弟のようだ。偶然にも、ふたりの私服が白と黒で対照的なせいもある。お世辞か、おべっかか、愛想のいい尾﨑が、畳んだサングラスを胸ポケットにしまう。

 氷見は、差し出された手を握り返す。自分よりも、すこし大きい掌は生温い。

 尾﨑琳汰瑯は、浮舟のことを「白魚君」と呼んだのだ。

 そして、浮舟白魚は今度、写真でなく映像作品の撮影に臨むと言う。画廊での個展で、搬入した作品に囲まれた望ましい空間。尾﨑という「高嶺の花」まで訪れている。喜ぶべき状況なのに、氷見は居心地の悪い不愉快さを抱きはじめていた。

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